じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 【8月8日:徳格】雀児山賓館の客室の外には雑貨屋さんがあった。しばらく観察してみたが、一度たりともお客が来なかった。どうやって生計を維持しているのだろうと疑問ではあったが、店の前でのんびりと談笑するところはいかにも中国らしい。





10月19日(土)

【思ったこと】
_21019(土)[一般]あと1%で魔法使い

 録画しておいたNHK「わたしはあきらめない:超魔術師Mr.マリック」を視た。はっきりした日付は覚えていないが、10月上旬に放送されたものだったと思う。

 番組によれば、マリック氏は17年ものあいだ手品用品の実演販売をして生計をたてていた(※デビューする前17年間だったとすると3歳の頃から実演販売をしていたことになる。これは謎だ)。手品師として奮起するきっかけとなったのは1974年、25歳の頃、ユリゲラーの「超能力」ブームであった。このことによって、人々のあいだに「手品はインチキ、超能力はホンモノ」といった見方が広まり、手品師は相手にされなくなった。そこで産み出したのが、100円玉貫通といった「超魔術」であった。

 もっとも、この超魔術はいろいろな困難にぶつかる。NHK紅白で実演した時には、極細の針金がハイビジョンに映ってしまいネタバレの大恥をかく。また、人気が出るなかで、週刊誌等で種明かしの嵐にさらされた。種明かしをされれば、超能力に夢をもっている人に夢を与えられなくなる。そのストレスから、とうとう顔面マヒになる。これは、顔の表情を変えられないという点で手品師にとっては致命的、また唇がうまく動かせないため、パピプペポの発音、例えば「スーン」とか「ハンドワー」がうまく言えない。

 そうした2年間の苦しみをへて、新たに打ち出したのが、なんと手品師のタブーを破る種明かし作戦であった。世界中の手品師の共通資産であるタネをあえてばらし、その延長上で違うトリックを使う。その心理的な対比効果で観衆をびっくりさせるという趣向であった。番組で実演されたように、ここでは、Aというタネで手品を見せる。ついでAの種明かしをしてなあんだと思わせる。そして、ではもう一度やってみましょうといって、今度はBというタネを使う。もし、Bの手品だけを単独で行えばBについての驚きしかない。ところが直前にAの種明かしをされた観客は、Aの延長上で結果を予期しているため、ちがうタネが使われるとそれだけ驚きの効果が高まるわけだ。もっとも、これは、他の手品師をすべて敵に回すとともに、常に新しいアイデアを産み出さないと飽きられてしまう危険が伴う。かなりの賭けになるだろう。

 マリック氏の夢はホンモノの魔法使いになることらしい。ここでいう魔法使いというのは、360度どこから見られてもタネがばれないこと、そして場所を選ばないトリックができるという意味。すでに99%まではその域に達しており、あとの1%が課題。

 以上が番組の概略。マリック氏の「超魔術」は何度も拝見したことがあるが、この種の裏話を伺ったのは初めてであった。こういう話を伺ってみると、手品というのは、もちろん基本として、手先の器用さやたくみな早業が要求されるのはもちろんだが、同時にさまざまな心理効果、例えば、ある種のschemaを観客に形成しその裏をかくような結果、あるいは、上記の種明かし作戦のように、驚きのコントラスト効果をねらった仕掛けなどが、巧みに配置されていることにあらためて気づく。もっとも同じような仕掛けは、政治の世界でもしょっちゅう世論の誘導に使われている。それだけに、政治の世界の「種明かし」もますます求められる時代となってきた。

10/20追記]こちらの記録によれば、この番組が放送されたのは10月9日であった。出演者、司会者らの感想も記されているが、毎週ファイル名の番号が1つずつ増え、追加分が20個たまると削除されてしまう模様。