じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 【8月9日 徳格〜セルシュ】
雀児山峠(標高4910m、但し看板には5050mと記されていた)で、この旅行としては初めて、プルーポピーを見た。ここに生えていたものは、背が低く、茎や葉の全体が毛で被われているタイプ。Meconopsis horridulaの一種であると思うが詳しいことは分からない。なお右は約20年前に訪れたインドヒマラヤ・ザンスカール地方で見たブルーポピー。こちらのほうは背が高いことなどから、Meconopsis betonioifoliaではないかと思う。





9月26日(木)

【ちょっと思ったこと】

木の癒し、アザラシの癒し

 京都大学・人間環境学研究科の江島教授、ゲルト・ファントンダー研究員らの研究によれば、龍安寺の石の間の中心軸を結ぶと1本の「木」の形になることが分かったという。石の位置や高さを考慮し「中心軸抽出法」により客観的に解析したものであり26日発行の『ネイチャー』に発表された[以上、9/27の朝日新聞記事より要約引用]。

 「植物を育てる」という能動行為とは別に、植物の存在自体が「癒し」になるという研究は園芸療法関連の研究会でしばしば耳にするが、それらは主として「緑」や「花」に関するものであった。江島氏らの研究は、「Y」型の枝の右側にもう1つ「Y」を斜めにくっつけたような「枝」の形を見いだしたものであり、少なくとも日本人にとっては「枯れ木の枝」でも癒しになることを示したと言えるかもしれない。

 もっとも、「Y」文字の右側にもう1つ「Y」を斜めにくっつけた図形が本当に「木」を表しているのかどうかは主観的解釈の域を出ない。単なる分かれ道にも見えるし、2つの砂時計から自分に向けて砂が降り注ぐ形であるようにも見える。このあたり、「木に似ている」というのが、単に話題性をねらった比喩表現であるのか、それともいろいろなパターンを被験者に見せた上で「木」の形にいちばん近い時が癒しになることを実験的に証明したものなのか、原著論文を拝見した上で再度コメントさせていただきたいと思っている。

 ところで、少し昔の話になるが、アザラシ型ロボット「パロ」が「Most Therapeutic Robot:世界一の癒しロボット」 としてギネスブックに認定されましたなどというニュースが伝えられたことがあった。同じ研究者が開発したアザラシは1999年NHK「紅白歌合戦」の応援合戦にも出場したということである。多摩川や鶴見川に出没した「たまちゃん」や、瞬間的に現れた「ウタちゃん」を見てもわかるように、「癒し」を与える動物ナンバー1は、どうやらアザラシで間違いなさそうだ。

 もともと「癒し」などというのは曖昧な概念であり、状況や文脈、個人のニーズなどによってさまざまに使い分けられるべきであろう。「枯れ木」の癒しとアザラシの癒しが同じであるというなら、龍安寺の石の上にアザラシを配置すれば、さらに癒し効果が高まるはずである。
【思ったこと】
_20927(金)[心理]英語教育と日本語文法を疑う(8)政策課題となった英語教育改革

 夏休み以降、ネットや書籍を通して、英語教育改革をめぐる最近の動きを調べてきた。そのうち、今回は、政策課題としての英語教育改革について取り上げてみたいと思う。

 小中高生における「学力低下」が一般には教育関係者や父兄の間で語られるのに対して、英語教育改革の必要性はむしろそれ以外のところ、つまり政府やその諮問機関、産業界などからの要請によるという点で際だった特徴があるように思う。

 過去5年程度にさかのぼって主な報告書、提言を参照してみると、まず、平成8年度の国民生活白書(要旨)には

(外国と比べ相対的に低下する英語能力)
日本人の国際化に対応する能力の1つである英語力について、英語能力検定試験TOEFLのデータをもとにみると、他の国は上昇しているが、日本は横ばいである。
......
( 外国語の授業時間数が短い日本)
中学校における1年間の外国語の授業時間をみると、日本は117時間であり、オランダの約303時間、フランスの約173時間、ドイツの約151時間など、ヨーロッパの非英語国の授業時間数と比較すると、かなり短い。
という記述があった。このうち英語能力検定試験の国際比較については、統計学的にみて大いに問題があるのだが、このことは後日ふれることにしたい。

 さて、その後、英語教育の問題がクローズアップされたのは、2000年1月、故・小渕恵三首相の委嘱を受けた「21世紀日本の構想」懇談会がまとめた「 日本のフロンティアは日本の中にある―自立と協治で築く新世紀―」という報告書であった。その中の「第6章 世界に生きる日本(第1分科会報告書)」では
3.国際対話能力(グローバル・リテラシー)のために
 すでに国際化の進行とともに、英語が国際的汎用語化してきたが、インターネット・グローバリゼーションはその流れを加速した。英語が事実上世界の共通言語である以上、日本国内でもそれに慣れる他はない。第二公用語にはしないまでも第二の実用語の地位を与えて、日常的に併用すべきである。
と提言されている。文中の「第二公用語にはしないまでも第二の実用語の地位を与えて(英文では“Even if we stop short of making it an official second language, we should give it the status of a second working language and use it routinely alongside Japanese.” 」というくだりは、「英語第二公用語論」として多くの議論をまきおこした。

 なお、上記の文言は、現在ネット上で公開されている最終的なものである。この報告書の内容が報道された当初は、上記の部分は、確か「英語を第二公用語とすることも視野に入れる必要がある」という表現になっていたはずである。いつの時点でトーンダウンしたのだろうか。

 2001年1月に報告された英語指導方法等改善の推進に関する懇談会報告は、単に英語教育の必要性を説くばかりでなく、具体的な改善策を多数提示している。私の知る限りでは、現在の英語教育政策は、ここが出発点になっているようだ。

この懇談会報告、さらに、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002」(pdf版)の指針も受けて2002年7月12日に発表されたのが“「英語が使える日本人」の育成のための戦略構想の策定について”である。

 この提言では、国民全体に求められる英語力として、中学・高校での達成目標を設定。具体的には、
  • 中学校卒業段階:挨拶や応対等の平易な会話(同程度の読む・書く・聞く)ができる(卒業者の平均が英検3級程度。)。
  • 高等学校卒業段階:日常の話題に関する通常の会話(同程度の読む・書く・聞く)ができる(高校卒業者の平均が英検準2級〜2級程度。)。
 また学習者のモティベーションを高揚させるための政策課題として、
  • 英語を使う機会の拡充 「外国人とのふれあい推進事業」/「高校生の留学促進施策」/「大学生等の海外留学促進施策」
  • 入試等の改善 高校入試における外部試験結果の活用促進/大学入試センター試験でのリスニングテストの導入や、 各大学の個別試験における外国語試験の改善・充実/外部試験結果の大学入試での活用促進/企業等の採用試験や文部科学省職員の採用、昇任等の際に英語力の所持も重視。
さらに、教育内容等の改善に関わる政策課題としては
  • 4技能の有機的な関連を重視した新学習指導要領の推進
  • 中学・高校において、生徒の意欲・習熟の程度に応じた選択教科の活用又は補充学習の実施等、個に応じた指導の徹底。
  • 「スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール」
  • 優れた英語教育カリキュラムの開発・実践等を行う大学や、特に全課程を英語で授業する大学(又は学部)を重点的に支援。
などが提案され、さらに、英語教員の資質向上及び指導体制の充実に関わる政策課題として
  • 国内外における教員の研修支援
  • 英語教員が備えておくべき英語力の目標値の設定(英検準1級、TOEFL550点、TOEIC730点程度)。
  • 中学・高校の英語の授業に週1回以上は外国人を参加させる。
  • 外国人(ネイティブ)の正規の教員への採用の促進
などが提案されている。このほか、「小学校の英会話活動の充実」や「適切に表現し正確に理解する能力の育成を目的とする国語力の増進」についても 、新規・拡充施策が盛り込まれている。




 さて、以上、政府関連の報告書等を引用してきたが、野党の中にも、英語教育の充実を強く主張する動きがある。民主党の英語第二公用語化検討プロジェクトチーム(座長・松沢成文氏、事務局長・小宮山洋子氏)は2000年5月23日に「英語の第二公用語化についての提言(中間まとめ)」を発表している。その内容は「目指せ!バイリンガル社会」や 「−10年後に英語公用語化−」という見出し、あるいは「大学入試では英語を廃止し、受験資格としてTOEFLかTOEICのスコアーを用います」といった提言からも示唆されるように、政府系審議会の提言をさらに強めた内容になっていた。なお、なお、9月12日付で民主党に問い合わせたところ、政策調査会事務局より即日、英語教育についてはこの「中間まとめ」がもっとも新しいものであるとの回答をいただいた。



 もちろん、すべての政党や議員個人が同じ考えを持っているわけではない。例えば、2000年2月24日に行われた第147国会・文教委員会において自由党の委員会理事(当時)の松浪健四郎氏は
昨今、日本人の英語力は世界で悲惨な状況にある、恥ずかしい、こういうお話があちらこちらから飛んでまいります。私は、決して恥ずかしいとは思いません。むしろ、日本人が英語ができない、苦手である、このことを誇りにすべきものだとも思っております。なぜそのように申すのかと申しますと、これは、日本が欧米の国々から支配されたり植民地にされなかった結果である、私はそう思っております。.....【中略】.....日本語というのは、世界で三千あると言われる言語の中で独特な言語であり、仲間を持たない。このこともまた、日本人が英語が下手くそだという一つの証拠であるかもしれません。とにかく、てにをはを使って私たちの感情を微妙に伝える繊細な、誇るべき言語であります。これをいつまでも伝え、また大切にしていかなければならない、このように思うわけであります。
と発言し、特に、所信表明演説の中でカタカナ英語が多用されていることを問題視した。




 以上いろいろと引用してみたが、政策論議の中では、
  1. 英語は事実上世界の共通言語であり、国際化・IT化の波の中で日本が生き残るためには、どうしても英語を使いこなす能力が必要である。
  2. 日本人の英語力は外国に比べて劣っている。
  3. よって、 英語教育の量と質の改善が必要。
というロジックが主流となっているように思えた。これらをめぐる異論については次回以降で。