じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 【8月7日:炉霍】寿霊寺(ダンゴ・ゴンパ)で見た怖い絵。建物のドアに描かれており、頑丈な錠前がかけられていたが、中になにがあるのか聞き逃してしまった。





9月7日(土)

【ちょっと思ったこと】
ガイア/雲はどうしてできるか

 夕食時にNHK教育「未来への教室 科学者ジェームズ・ラブロック いのちある地球に生きる」を視た。ラブロック博士(83歳)は、ガイアの提唱者として知られおり、また、フロンガスの大気への残留をいち早く検出した学者でもあった。番組では例によって、中学生たちが、森や海岸で特別授業を受けた。

 ガイアと言えば、かつてSFCソフトの「シム・アース」で子供たちにも広く知られるようになったようだが、私自身、いまさかんに言われる「自然との共生」や「持続可能(サスティナブル)な循環社会」などとどう関係してくるのか十分には理解できていない。普通われわれは、水、空気、鉱物といったものを資源として固定し、それを消費する形で生物が競争あるいは共生しながら進化していったと考えがちであるが、生物も鉱物もみなつながっており、1つのシステムとして(これまでのところは)安定した状態を保っているというのがガイアの考え方なのだろう。

 番組で紹介された中で最も説得力があったのは、海の上の雲はどうしてできるかという事例であった。ふつう、雲というのは、海水が蒸発し露点温度より下がることで細かい水滴となり、上昇気流に乗って空中を漂うものだと考える。しかし、実際にはそれだけでは雲にならない。水蒸気が凝集するためには核となる微粒子のようなものが必要なのだという。

 海上でその雲の素となっているのは、硫化ジメチルで、これは海中の藻類が発生している。もし藻類が無かったら地球の気温は今より10度高くなっていたそうだ。

 番組終了後、中高生から寄せられた質問の中に「科学が地球環境を破壊してきたことを考えると、科学の発展は止めるべきではないか」というようなものがあった(←聞き取りのため不確か)。これに対してラブロック博士は、科学は道具であり、環境を守るために役立つ使い方もできると答えておられたが、これに似た話題はすでに50年前、スキナーが『科学と人間行動』の中で論じていたことを思い出した。科学は道具である、だからこそ、その道具を使う行動を研究するための行動科学を確立し、科学が望ましい形で使われるようにコントロールする必要があるというのだ。50年後のいま、それは公害防止などの点で一定の成果をあげてきたが、京都議定書の扱いをみてもわかるように、各国の目先の利害のためにまだまだ危ない橋を渡りつつある現状といえよう。

9/8追記]番組サイトはこちら
【チベット東部旅行記(7)】_20907(土)[旅行]イスラム教と仏教

 今回の旅行は、成都から西寧に至る行程のほとんどすべてがチベット仏教の世界であった(西寧到着前に立ち寄った共和、あるいは西寧ではイスラム教のモスクを見ることもできた)。

 中国と言えば、2年前の夏には、カラコルムハイウェイを通って、タシクルガンかやカシュガルを訪れたことがあったが、こちらは完全なイスラム圏。おなじ国でありながら、人々の生活ぶりにもずいぶんと違いがあるものだと実感した。




 それぞれの教義のことは何も分からないが、日常生活や経済活動に影響を与えそうなファクターとしては、女性に関する戒律、僧侶の有無、外国との関係を挙げることができるように思う。

 宗派や国によっても異なるが、一般にイスラム教の女性はいろいろな点で制約を受けている。この点、仏教圏の女性たちは、街角の店先でも道路工事の現場でも活発に動き回っていた。その是非はともかく、経済活動への寄与という点では仏教圏の女性のほうがはるかに大きいのではないかと思う。

 そのいっぽう、仏教圏ではかなりの数の僧侶がいる。僧侶たちの生活を支えるためにはそれだけ余分に生産活動をする人が必要になってくる。五体投地の巡礼者の場合も同様だ。このあたりの仕組みも調べてみる必要がありそうだ。

 外国との関係に関して言えば、イスラム教徒の場合は「子どもを育て上げた上で、メッカに巡礼に行く」を将来の夢とすることから分かるように、国外への志向性が高い。チベット仏教の場合は、ダライ・ラマ14世など亡命問題があるとはいえ、信仰の対象は国内のラサやカイラスや地元のゴンパに向かっているという点で、内部への志向性が高いという印象を受けた。




 今回の旅行のガイドさんは敬虔なチベット仏教徒であったため、イスラム教にはあまり良い印象を持っていないようだった。彼は
  • 世界各地で起こっている戦争の大部分は、イスラム教とキリスト教との対立が原因。
  • 青海省内の犯罪者は、イスラム教徒の比率が圧倒的に多い。
  • 仏教徒が生活する世界は緑が多い。緑につつまれていると心もやさしくなる。
などを挙げて仏教の優越性を強調していたが、カシュガルでお世話になったガイドさんや運転手さん[こちら参照]、あるいはイラン皆既日食見物のさいにお世話になったガイドさんの話[たとえばこちら]からは、イスラム教徒がいかに平和で秩序ある生活を求めているかがよく分かる。けっきょくのところ、仏教、イスラム教、キリスト教のなかでどれが平和的かなどと言うのは比較不能である。もちろん、いずれにおいても、その教義を都合のように解釈したカルト宗教や過激派は存在するが、それだけを誇大に取り上げて批判するのは間違いであるし、ステレオタイプな見方も禁物だ。そう言えば、もうすぐ9月11日がやってくるが、ニューヨークにも平和を愛するイスラム教徒たちがいっぱいいる。