じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 昨日の日記で「発掘!あるある大事典」の悪口をさんざん書いたというのに、今日の夕食には、それらしきおかずが出現。そういや、私が旅行から帰った時にも、写真右のような植物が部屋の隅に置かれていた。影響されやすい人間というのはやっぱ居るもんですなあ。 [今日の写真]





9月2日(月)

【思ったこと】
_20902(月)[心理]日本行動分析学会第20回年次大会(10)これからの年次大会について考える(前編)

 昨日の日記で述べたように、行動分析学会の次期年次大会は岡山大学で開催されることになった。これを機会に、ネット時代に対応した学会活動のあり方について考えてみたいと思う。

 もともと学会というのは、同じ分野や研究方法に関心をもつ研究者たちが、その学問の普及や相互研鑽、研究発表の機会(論文掲載や口頭発表)を得ることを目的として設立されるものであった。

 私が参加したのは、今から30年近く前の日本心理学会37回大会(国立教育会館)が最初であったが、当時は、まだ電話と封書以外に日常的な情報交換の手段が無く、乾式コピーすら簡単にできない時代であった。年次大会は、他大学で行われている研究を知る最善の機会だったのである。

 それが今や、メイリングリストや掲示板上で瞬時の意見交換ができる。かつては困難だった映像や図表も送ることができる。ホームページ上からの発信も自由自在だ。そういう時代にあって、なぜ、多額の交通費や宿泊費を払って年次大会にやってくる必要があるのか、問い直してみる必要が大いにあると思う。




 上記のことに関して、私は少し前まで、個人発表(ポスター発表や口頭発表)は全廃し、ネット発表に切り替えたらどうかという考えを持っていた。ディスカッションは付属の掲示板で行えばよい。そのほうが時間は十分にとれるし、閲覧者全員で知識を共有できるからだ。

 しかし最近、このやり方はたぶん定着しないだろうと思いつつある。その理由として、
  1. 研究者の大部分は、(ごく一部の著名な発表を除き)他者の発表にはそれほど関心を持っていない。あくまで自分の研究をアピールするために学会に参加。そのついでに他者の発表を聞きかじっておこうという程度。
  2. 年次大会は、情報交換の場ではなく、自分の研究の区切りとして機能しているのではないか。
という可能性が考えられるからだ。かなり居直った、挑発的な見方かもしれないが、どうもそんな気がする。

 今回の年次大会では、発表論文集(抄録)の原稿がPDFファイルとして事前にネット公開されていた。しかし、それらを事前に精読し質問内容を整理した上で大会に臨んだ参加者は何人ぐらいおられただろうか。現実には多くの人は、発表の準備や研究の続行、(大学教員であれば)前期末の成績評価等に追われて、他者の発表内容まで精読する余裕はない。題目を見渡すのが精一杯ではないかと思う。

 となると、極言すれば、他者の発表を聞くという機会は、大会会場に足を運び、その空間と時間に自分を拘束することによって初めて可能になる。もしこれが正しいならば、ネットがどのように普及しても、「ネット上での発表+掲示板での意見交換」という方式は活性化できない可能性がある。

 もう1つ上記2.の点だが、我々が続けている研究というのはそう簡単には完結せず、また、他の校務、雑務に追われる中ではしばしば先延ばし(procrastination)の対象となりやすい宿命を背負っている。しかし、毎年、いくつかの学会の発表締切が設定されておりそれが動かせないものであると分かると、とにかくそれに間に合うようにデータをまとめようとする。しかも、そうやって頑張ったことは結果的に、研究成果として強化されるのだ。こういう機能もまた、ネット上ではなかなか実現しにくいものだと思う。なぜなら、全国から大勢が集まる大会で、生身の人間に向かってエエ加減な発表はできないし、発表取り消しをすれば目立つ。2.の点は、分厚い問題集を前にした受験生が
  • 自力ではできないが、同じ問題が通信添削会社から送られ、締切までの提出が促されるとできるようになる。
  • 自室ではやる気が起こらないが、図書館閲覧室なら可能。
という行動を示す傾向にあるのと似ているかもしれない。

 このほか学会年次大会は、大学院生が他大学の研究者に顔見せをするデビューの場でもあるし、いろいろな意味でプリゼンテーションのスキルを磨く場にもなっている。要するに、

●ネット上でできることを年次大会でやるのは無駄だ

という発想ではなく、

●年次大会開催によってもたらされる各種随伴性のうち、研究活動の活性化に有用と考えられるものは保持していこう

という姿勢で、改革に取り組むことが必要ではないかと考えつつある。では具体的にどうすればよいのか。次回に、いくつかアイデアを述べてみたい。