じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 35度以上の猛暑が続く中、ザクロの実が赤味を増してきた。





7月24日(水)

【ちょっと思ったこと】

路上生活者への偏見は考え物

 昨日の日記で東京駅万引殺人事件の空しさについて書いた。この事件の犠牲者はあくまでコンビニの店長であり、その正義感あふれる行動を称えると同時に、将来を嘱望されていた若い店長がこのような形で命を奪われたことへの憤りを感じざるを得ないのは当然のことである。そういう点では容疑者には全く同情の余地はない。万引きをしただけで手を切り落とされ、強盗殺人犯は公開銃殺刑に処せらる国だってあったくらいである。

 もっともこの事件が起こったために、都内や大阪市内などの路上生活者への偏見が増すようであれば困ったことである。7/24の朝、出かけようとしていた時に、妻お気に入りの民放ワイドショーでちょうどこの事件のことが取り上げられていた。そこの出演者たちの発言を、記してみるに[順不同]
  • 東京駅構内には、一日中仕事もせずにブラブラしている人たちが居る。
  • この不況の折りに皆一生懸命働いているのに、仕事もせずに甘えている。
  • 容疑者も殺された店長も同じぐらいの年齢だが、将来を嘱望された店長のほうが命を奪われ、どうでもよい容疑者のほうが生きながらえたとは...
あくまで長谷川の記憶に基づくものなので不確かではあるが、これらは、
  • 路上生活者は、仕事もせずにブラブラと怠けている
  • 路上生活者は危険である
というように受け止められかねない。もちろんそういう者が皆無とは言えないだろうが、リストラや転職の後に事業が失敗し、親戚にも顔向けできなくなって、やむをえず路上の生活(あるいは公園でのテント生活)を強いられている人たちも多い。再就職を志しても、住所が不定であるというだけで断られてしまう人だっている。だからこそ復帰のための法整備が求められているのである。

 7/25朝には、自殺者が4年連続で3万人を超えたというニュースが伝えられていた。失業を苦にした中高年男性の自殺も大きな要因になっているという。自殺行為は時として潔い行為として美化されるが、見方によっては、路上で逞しく生き延びていくことのほうがはるかに勇気のある行為とも言える。小中学校の総合学習「生きる力」の先生に招いてもよいくらいだ。何はともあれ、「仕事もせずにブラブラ」などという偏見を捨てて、彼らの生きる力を活かせるような機会を行政的に保障していくべきであると思う。




失敗学と国会論議

 7/25の朝日新聞によれば、“失敗に学び、教訓を広く共有して各方面に役立てる「失敗学」の確立と普及を目ざす”「失敗学会」が、非営利組織(NPO)として近く設立されるという。申請者は、失敗学の提唱者である畑村洋太郎・工学院大教授。

 失敗学については、某Web日記を通じて時たまオモロイ情報が伝えられているが、私自身は残念ながらまだ関連書籍を精読する余裕が無い。一般論として、失敗の原因には、偶然的な要因もあれば人為的なミスもある。そのうち人為的なミスについては、課題の違いを超えた共通のヒューマンファクター、例えば思い込みや過信のようなものがあり、それを体系的に整理することは、種々のプロジェクトの成功確率を高める上で有用であろうと思っている。

 昨年の10月下旬に、日記読み日記の中で
米長氏の『将棋に勝因はない。あるのはすべて敗因です。人生でもそうじゃないかな』や、野村克也監督の『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』という言葉は、ある成功状況(これらの場合は「勝ち」)を作り出す際の、必要原因と十分原因として説明できるのではないかと思う。「成功」というのは多数の要因がすべて揃った場合に初めて生じる。そのうちのどれが欠けても失敗になる。またそれぞれ要因が確率的に変動して時たま境界条件を超えるものだと仮定すると、すべての条件が揃うのは偶然(=「幸運」)であるかのように見えてしまう。
 一方、失敗というのは、それら必要原因のうちの1つが欠けても生じるものである。失敗は、通常、何かを揃えようとしている中で生じる現象であるため、何が欠けたのかは具体的に同定しやすい。それをもって敗因と呼ぶのだろう。
と書いたことがあった[オリジナルの日記はこちらの10月27日(土)付とその翌日] 。

 一般に成功談を語る人というのは、無数に近い成功要因のうち、自分が苦労して間に合わせた部分だけに関心が向くものである。それゆえ、別の人がいくら成功談を読んでも、(その時のすべての成功要因が列挙されていないので)必ずしも新たな成功のヒントには結びつかないことが多い。その点、「もう見るのもイヤだ」、「考えるのもイヤだ」という失敗要因を正確に語ることのほうが、遙かに教訓として活用できるのではないかと思う。

 もっとも、失敗要因をゼロにしても、それだけでは建設的な方向には向かわない。昨年来、いろんな議員の不正疑惑が国会で追及されているが、最終的に、議員個人を辞職に追い込んだところで、そこからは何ら建設的な方向は生まれない。そういうことにエネルギーを費やしているうちに、日本経済を前向きに支えていくための構造改革はホンマにダメになってしまうぞ。

 日本経済が崩壊しどうにも身動きとれなくなってしまったあとで、「構造改革推進のための建設的な議論を怠り、議員の不正疑惑追及にあけくれていたことが、崩壊の原因であった」などと失敗学者に指摘されぬよう、もうちょっと関心の向ける先を変えてみてはどうかなあ。どっちにしたって、今の日本のリーダーとしては、小泉さんか、石原都知事ぐらいしか名前が挙がっていないじゃないか。