じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 7月14日は、気象衛星ひまわり1号機が打ち上げられた日であるという。ということで、時計台前のひまわりを撮影してみたが、ハムスターの餌でも蒔いたのだろうか、食料・飼料用の品種が植えられていた。それとも「当館は、外見だけでなく中身も充実しています」という宣伝を狙ったものか?





7月14日(日)

【ちょっと思ったこと】

“なぜ”で引き出す子どもの意欲

 NHK朝のニュース(7時50分頃)で、月曜日から5回にわたって、子どもの「生きる力」、「考える力」を育てる総合学習についての事例紹介を行うという。7/15はその1回目として、クラスの子どもたちが提出した「なぜ」のうち、「沖縄の人たちは長生きだが、早寝早起きではない。早寝早起きと長生きとは関係があるか?」について、資料集めやディベートを行う場面が紹介されていた。

 子どもたちの「なぜ?」というのは、たいがいの場合、一般法則(「当たり前」や「常識」からの「類推」)に当てはまらない事例への驚きから生じるのではないかと思う。となると、
  • まずは日常生活で起こる諸現象を多様な角度で見つめること
  • それを自分なりに一般化してみること
  • そして一般化ができない事例を発見すること
というプロセスがどうしても必要になってくるかと思う。

 このほか、具体的なニーズがあって、それを解決すると「お得」な結果が得られる場合も「なぜ?」の対象になるのではないかと思う。
 
【思ったこと】
_20714(日)[心理]英語教育と日本語文法を疑う(6)日本語の自動詞と他動詞はどうやって区別できるのか

 連載の6回目。今回より

●『日本語に主語はいらない〜百年の誤謬を正す』(金谷武洋、講談社選書メチエ、2002年)

を取り上げていきたいと思う。

 7/9の日記でも述べたように、この本は、今年の春、生協ブックストアで平積みになっているのをたまたま見かけて購入したものであった。著者は、カナダのモントリオール大学・東アジア研究所の教員であり、私とほぼ同年代の方のようだ。

ところでこの本だが、ネットで検索したところ、毎日新聞2月10日付朝刊で、藤森照信氏が書評を書いておられることが分かった。しかしその内容は、
助詞『は』の働きは節を越え(コンマ越え)、文さえ越える(ピリオド越え)ことができる。
という(金谷氏のオリジナルではなく)三上文法の紹介に終わっており、この本を正当に評価しているとは言い難い。「主語はいらない」というタイトルに惑わされたのか、後半までお読みになっていないのか分からないが、この本の本当の凄さは、

●第1章日本語に人称代名詞という品詞はいらない
●第2章 日本語に主語という概念はいらない
●第3章 助詞「は」をめぐる誤解

という前半部分にあるのではなく、むしろ、

●第4章 生成文法からみた主語論【7/9の日記で言及】
●第5章 日本語の自動詞/他動詞をめぐる誤解

という後半の2章にあると私は思う。そこで、この連載でもまず、5章で感銘を受けた点から述べることにしたいと思う。

 5章ではまず、自動詞と他動詞についての誤りが明確に指摘されている。印欧語を手本に作られた学校文法を疑わない我々は、
  • 他動詞は直接目的語を持つ。日本語では格助詞「を」を取る動詞
  • 他動詞からは主客を逆転させた受動文が作れる
で区別ができると信じて疑わない。じっさい英語を習えば、目的語を持つ動詞は間違いなく他動詞であるし、学校では、目的語を主語にした受動文を作る問題をイヤというほどやらされてきた。

 しかし、もし上記の基準が正しいとするならば、日本語では格助詞「を」をとる自動詞や、自動詞を使った受け身文など存在しないはずである。

 金谷氏はそれらに対する反例として、まず、格助詞「を」をとる自動詞の例:
  • (92j)義経が安宅の関を通った。(自動詞:通る/他動詞:通す)
  • (93j)夏夫はすぐアパートを出た。(自動詞:出る/他動詞:出す)
  • (94j)フランス語を春子に教わった。(自動詞:教わる/他動詞:教える)
  • (95j)秋子からこの荷物を預かった。(自動詞:預かる/他動詞:預ける)
  • (96j)橋本先生は学校を変わった。(自動詞:変わる/他動詞:変える)
続いて、受身文が作れる自動詞文の例:
  • (97j)朝の3時に冬彦に来られた。(能動文:朝の3時に冬彦が来た)
  • (98j)最愛の祖母に死なれた。(能動文:最愛の祖母が死んだ)
  • (99j)雨に降られた。(能動文:雨が降った)
を挙げておられる。もちろん、何でもかんでも例外としてしまえば、ご本尊は揺るがないが、それでは文法の存在価値はない。ではどうすれば、簡潔かつ明快で、外国人の日本語学習者にも分かるように説明できるのだろうか。

 詳しい紹介は避けるが、金谷氏は、日本語では語彙そのものに自/他動詞の対立/区別があるとした上で、日本語では「通る/通す」「出る/出す」といったような対立のあるもののみを自動詞/他動詞と同定すべきだと説く。そこには、助動詞や形態素と姿を変えて再使用(リサイクル)された2つの動詞「する」と「ある」が介在している。日本語の受身文というのは単なる「主語が行為者か被行為者かの視点」ではなく、「ある状況における制御不可能性」、「コントロールできない状態」を意味するものだ。だからこそ、受身のほかにも、可能・尊敬・自発の意味が含まれるのであり、だからこそ、能動文が他動詞文である制約は不要ということになると説いている。

 こうした、自動/他動の機能の差は、上にも述べた「する」「ある」に端を発している。つまり
  • 日本語の「ある」は「人間のコントロールの利かない自然の勢いと状態」を表現。 マロリーにとってはエヴェレスト登山はもう抗えない必然と化していたわけだ。「ある」を含む自動
  • 「する」(古形「す」)は「人間の人為的,意図的な行為」を表す
という違いに根源があるのだ。1つだけ例を引用すると、
「橋本先生は学校を変わった」も面白い例だ。これと,他動詞文「橋本先生は学校を変えた」はどう違うのだろうか。ここでもやはり意図性が関わっている。自動詞文の方は,多くの場合は「転勤になった」という意味だろう。つまりこの先生にはコントロールの利かないレベルの決定と思える。あるいは問題のある先生だったのかも知れない。一方,他動詞文の方では,がらりとこの先生のイメージが変わる。元気一杯,やる気満々の先生,それも校長先生なのではないか。人為的,意図的,積極的に学校の雰囲気をがらりと変えてしまった,という意味になる。[p.202]
 金谷氏がさらにスゴイと思うのは、以上述べた自動/他動の機能差にとどまらず、(1)受身/自発/可能/尊敬(2)自動詞(3)自or他動詞(4)他動詞(5)使役という5つを態(ヴォイス)の連続線の全体像として体系的に整理してしまった点である。そればかりか、
  • 連用形がI-で自動詞,E-で他動詞
    立ち/立て 育ち/育て 縮み/縮め 開(あ)き/開け
  • 連用形がE-で自動詞,I-で他動詞
    焼き/焼け 切り/切れ 破り/破れ 割り/割れ 折り/折れ 脱ぎ/脱げ 砕き/砕け ほどき/ほどけ
というように、なぜ、『焼く---焼ける』と『続く---続ける』のように、同じ型でありながら,自動/他動の関係が逆になるのか、という、日本語文法研究の長年の謎まで明快に説明してしまった。これはスゴイと思う。

 時間が無くなったので、今回はここまでとするが、上記で「立ち/育ち/縮み/開き」と「焼き/切り/破り/割り/折り/砕き」というグループに、それぞれ意味上の共通点があることにお気づきだろうか。金谷氏が解明した答えは次回のお楽しみということで....。

7/15追記]
日本語ものがたり(第5回)に、金谷氏御自身による「連続線としての受身/自・他動詞/使役」についてのエッセイがある。