じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 6/8の日記で、観賞魚ベタを飼い始めたと書いた。このオスが最近泡巣を作るようになったので、メスを入れてみた。左はその写真。右は、6/8に購入したオスである。こちらのサイトを参考に繁殖を試みたいと思うが、さて、どうなることやら。 [今日の写真]





7月6日(土)

【ちょっと思ったこと】
「食べちゃダメよ!」

 ご近所から時たま洋菓子を貰うことがあるのだが、腹が空いている時には、私が飯がわりに全部喰ってしまう。妻や子どものために取っておいたものまで喰ってしまうので、いつも文句を言われている。
  • 妻:ねえ、あなた、子どものお菓子まで食べないで頂戴。楽しみに取ってあるんだから....。
  • 私:何を言うか。そもそも、ご飯の用意が遅れるから、胃酸の分泌で胃壁が破れないように食べているだけなのだ.....。
 ということで、本日も、妻はなにやら美味しそうなものを3個持ち帰ってきた。
  • 妻:ねえ、これ、ゼッタイに食べちゃだめよ!
  • 私:何を言うか。腹が減った時には、あるもんは何でも食べてしまうのだ。
  • 妻:ホント、じゃあ、いいわよ。食べてごらんなさい。食べると言ったら食べるのよ!

[今日の写真] と、いつもと様子が違うのでブツをよく眺めてみたところ、なんとそれは→→→写真をクリックしてみてください。
【思ったこと】
_20706(土)[心理]道頓堀ダイブその後

 サツカー・ワールドカップの際に合計2000人の若者が道頓堀に飛び込んだ原因を7/4の日記で考察したところ、mn先生の日記(7/6付)で

●なぜ、そもそも「道頓堀にダイブ」でなければならなかったのだろうか?

という反応をいただいた。mn先生は
単にそこが有名だからという理由であれば、通天閣でも大阪城公園でも良かっただろう。観衆が必要だというならば、人通りが多い心斎橋筋のどこかで別のパフォーマンスをやってもOKだっただろう。
という理由から、
  • 水に飛び込むというパフォーマンスがどうしても必要だった
  • 道頓堀へのダイブは、ビールかけに参加できないファンの「代償行為」だったのではなかろうか。
と考察しておられた。これを機会に、なぜ、「道頓堀にダイブ」だったのかについて、その後考えたことをまとめてみたいと思う。




 まず、nm先生の「ビールかけ代償説」であるが、タイガース優勝時はともかく、今回のサッカー・ワールドカップに限っては、原因としての可能性は非常に低いのではないかと思う。なぜなら、記事によれば、飛び込んだ若者の多くは「サッカーはあまり興味がないけど、この興奮を一緒に味わいたかった」というように、きっかけとなったスポーツの種類や勝敗と関係なく起こっているからである。

 もう1つ、ビールかけの場合は、自分一人が注目されるわけではない。つまり基本的には個体間の相互作用の中で活性化される行動であるのだが、水に飛び込みの場合は、大勢の観衆の前で自分が主役として拍手喝采を浴びる行動という点で根本的に違っている。観衆によって社会的に強化される行動なのである。



 では、なぜ「飛び込み」でなければならないのか。なぜ別のパフォーマンスではいけないのか。

 これについては私は次の2点が理由になると思う。
  • 飛び込むという行為自体は、若者はもちろん、(飛び込んだあとにどういう事故が起こるかを無視して考えるならば)ヨチヨチ歩きの赤ちゃんでもお年寄りでも、誰にでも簡単にできるパフォーマンスである。踊りやカラオケや、塔へのよじ登りなどは、それなりのスキルがないとできない。
  • 道頓堀(戎橋)は、全国にその名が知られているということに加えて、観客の声援、前例があるという点での一定の安全性(←といっても死者は出ている)などから、飛び込みというパフォーマンスを演じる最高の舞台であった。
 ここで、「道頓堀が先か、飛び込みが先か」はおそらく実証できない。最初は、大阪市内の何十箇所かに人が集まってお祭り騒ぎをやっていたが、しだいに少数の名所に集積し、マスコミで大きく取り上げたり、「いま戎橋に行くとオモロイぞ」といった携帯での情報交換によってエスカレートして、今回の現象に至ったのではないかと推測される。




 ところで、ある行動現象が特定の場所で起こった理由を考える場合には、
  • その場所は、その行動を起こすための必要条件(オペランダム)を備えているか
  • その行動を強化する随伴性が存在しているか
という2点を分けて考える必要がある。例えば、東京・渋谷でダイブができないのは、そもそも、適度な高さ、十分な水深、水質を備えた河川が存在しないためだ。とはいえ、必要条件を列挙しただけでは、「その場所でそういう行動現象が起こっても不思議ではない」と説明できても、「どうしてそういう行動が強化されたのか」を説明したことにはならない。




 それから、今回の「道頓堀ダイブ」は、ある程度珍しい行動が、ある程度たくさん起こったからマスコミに注目されただけである。サッカー・ワールドカップをめぐる若者の行動の中には、あまり目立たないが非常に多くが関与しているパフォーマンスも多種類あるし、日韓の若者の関わり方の違いも非常に興味深い。これらを総合的に把握しなければ、現代の若者の心理を分析したことにはならない。目立つものだけを取り上げて「自我が未成熟なままの若者の自己表現の一形態であろう」などと抽象的に解釈するだけでは、「若者心理に詳しい」某精神科医の見識が疑われる。




 余談だが、戎橋からの「道頓堀ダイブ」は1985年、阪神タイガースの優勝に喜んだだファン約30人が飛び込んだのが最初であると言われている。では、なぜ、巨人が優勝した時には後楽園近くの外堀で、広島が優勝した時には球場近くの太田川で、祝賀ダイブが起こらなかったのだろうか。

 その一因には、大阪人独特の気質があるかもしれないが、最大の理由は










阪神タイガースは滅多に優勝しない

という希少性にあるのではないかと思う。毎年のように優勝していたら、飛び込んでも記念にはならないだろうが...。

 そういえば7/7は七夕。先日、生協の店舗前にあった笹の枝には「阪神優勝!」という短冊をくっつけてきたところだが、その願い空しく、今年もまた下位に低迷しそうな雰囲気になってきた。にもかかわらず、今年もし阪神が優勝した場合は、nm先生と私で手をつないで道頓堀ダイブに挑戦!などと宣言したいところだが、まもなく50代に突入する私には、準備運動なしで冷水に飛び込む自信はない。このさい、水泳が得意な阪神ファンとして知られる、ぴったんこさんに代理ダイブをお願いしようかと思っている。