じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 森林公園の湿原。岡山市、津山市、奥津町いずれも曇りがちの天気だったが、県境付近は雨が降り続き、ハイキングには適さず。気温は12度前後で、みな暖炉に寄り添っていた。





6月23日(日)

【ちょっと思ったこと】

『坊ちゃん』の舞台は東京帝大英文科だったのか

 梅雨の中休みを生かして家族で奥津温泉へ。岡山を出発した9時半すぎから津山に着く10時半頃までの間、NHKラジオ第二の文化講演会を聴いた。この日(録音)は、作家 半藤一利の「夏目漱石・坊っちゃんを読む」。半藤氏は、漱石の孫娘にあたる方と結婚、つまり義理の孫にあたる。ネットで調べたところでは、1992年以降に『漱石先生ぞな、もし』やその続編を刊行しておられ、今回の講演もおそらくその内容を発展、要約されたものと思われる。

 講演ではまず、漱石が文学博士を辞退した経緯について語られた。吐血の直後ということもあったが、根本的には、学位が文部官僚によって主導、管理されていることへの反発があったという。当時はいったん授与された学位は個人の意志では返上できないことになっていたが漱石はあくまでこれを拒否し、晩年まで、博士の学位を付した宛名や名簿を突き返す姿勢を貫いたという。

 さて、本題の『坊っちゃん』だが、原稿用紙の枚数では250枚足らずと聴いて、ちょっと意外な感じがした。これは修論ならやや短め、卒論でもこのくらい書く学生も居る。この作品が1000枚を超える大作であるように錯覚してしまうのは、忠臣蔵の一場面や落語の展開技法などが各所に織り込まれているためらしい。

 『坊っちゃん』は、『我が輩は猫である』が完成する間際に、わずか一週間程度で書き上げられたものだという。普通の作家なら、1つの作品を書き上げてから次に取り組むはずだ。なぜこの時期に別の作品を書いたのか、また、なぜ松山についてあれほど悪口ばかり書いたのかについては私も以前から疑問に思っていた。半藤氏によれば、これは、東京帝大の英文科講師在職中、教授が作成した英語試験問題の採点を押しつけられようとしたことへの反発が背景にあったという。いまふうの言葉を使えば、『坊っちゃん』は、FD(ファカルティ・デベロップメント)をテーマにした小説であると言えないこともない。

 同様の批判精神は、宿直事件にも表れているという。そもそも、宿直は、(明治天皇・皇后の)御影と教育勅語の謄本を守るために始められた制度であるという。時期はズレるが、校舎が火災で焼失し、それらを守れなかった責任をとって割腹自殺した校長も居たという。漱石自身には宿直のノルマは課せられていなかったというが、松山中学の同僚や、当時のさまざまな報道から、バッタ(「イナゴぞな、もし」)事件が織り込まれることになったようだ。

 他にも面白い話が次々と紹介され、運転中、ずっと聴き入ってしまった。ネットで検索したところでは、清という名が鏡子夫人の本名に一致するといった説も紹介されていた。今回の講演では取り上げられなかったが、おそらくマドンナも、別に意味するところがあるのだろう。

 夏目漱石は、私の父が修士論文で取り上げたテーマだったらしく、今でも書棚に、いろいろな資料が残されている。これを機会に、いろいろな角度から『坊っちゃん』を捉え直してみたいと思う。




10年放置?津山市の公共工事の謎

 ローカルな話題になるが、国道53号から179号線に向かうバイパスの工事が行われている。ところが、着工から10年ちかくたった今なお、吉井川にかかる橋は完成しているにもかかわらず未だに通行止めとなっている。事情はよく分からないが、10年ちかく放置というのは明らかに税金の無駄遣い。誰が責任者になっているのだろう?




『島の規則』

 奥津温泉の帰り、同じくラジオでNHK高校講座・現代文(木村澄子講師)を聴いた。私自身が高校の頃は現代文というと、難解で退屈な論文ばかり読まされた記憶があったが、最近では文字通り、現代を扱う文章が取り入れられているらしい。ネットで調べたところ、6/16〜7/14(再放送日程)は「環境と時間」がテーマになっていた。

 この日の教材はは本川達雄『島の規則』。運転中のため細かい内容は忘れたが、本川氏は、米国留学中に、ある島で小型の象の化石が発見された話を聞く。また米国では、スケールの大きな研究プロジェクトが進められている反面、スーパーなどの店員の対応はきわめてお粗末で、落差が大きいことを知る。これに対して、日本では、失敗を恐れないようなスケールの大きい研究は存在しないが、一般人のレベルは高く、格差が少ない。小型の象をもたらした「島の規則」と「大陸の規則」を比較しながら、これからの時代、地球全体が1つの島のようになる、「島の規則」をもっと活かしていこうということを説いたものであったと記憶している(←あくまで長谷川の聞き取りによる。いずれ原書にあたってみる予定)。

 番組で紹介された限りでは、島の規則は、大陸型の競争原理に対峙するサスティナブルな棲み分けの原理のようにも感じられた。但し、これが、「大陸型vs島型」という対立軸で議論できるものかどうかは私には分からない。「農村型vs狩猟民族型」という比較もあるし「工業型vs農業型」もある。さらに、1つの集団の内部における競争と、集団間の競争は分けて考える必要があるだろう。

 進化のプロセスからのアナロジーには限界があるとは思うが、いずれにせよ地球環境全体を考える上での「個と全体」の役割の捉え直しは大切である。現代的な諸問題を扱ったテーマが次々と取り上げられることに今後も期待したい。