じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] ベランダのモウセンゴケの一種が小さな白い花を咲かせた。この水槽では、サラセニアやハエトリソウも3年以上育っている。日当たりの良いところなら、素人でも何とかなるようだ。





6月20日(木)

【ちょっと思ったこと】

落書き防止条例違反の逮捕者第1号

 岡山市で20日、全国に先駆けて制定された「落書き防止条例(正式には「岡山県快適な環境の確保に関する条例」)」違反の逮捕者1号が出た。逮捕されたのは無職の男性(21)で、マンションのエアコンに黒の太い油性ペンで絵を描いていたところを、見回り中の警察官に見つかり現行犯逮捕。この条例の罰則は罰金5万円以下ということだが、TVニュースで繰り返し実名が出されたことで、そのダメージは計り知れない。

 ところで、6/21の朝日新聞によれば、この容疑者は5月、店側の了解を得て雑居ビルの壁面に色鮮やかな人物壁画(高さ2m、幅10m)を描いていたことが分かった。壁画は落書き防止効果を狙った壁画の作者だったということから、今後しばらくワードショーの格好のネタとなるだろう。となると、逆に、一躍有名人になる可能性も残っている。

 なお、夜のローカルニュースで、落書きの実物が放映されたが、スプレーを使った落書きとは図案が異なるようにも見えた。
【思ったこと】
_20620(木)[心理]「人生のお願い」ではなく当然の権利だ

 21時15分からのNHK人間ドキュメント「人生のお願いききます」を視た。

 番組の舞台は、福岡県の老人病院。番組サイトにも記されているように、入院患者の多くは、家庭の事情で退院ができない。そうした中で、患者たちのささやかな願いを実現しようというのが「人生のお願いプロジェクト」であった。ある末期ガンの患者さんの「ビールを飲みたい」という希望をかなえるために病院がビールパーティを開いたのがきっかけ。その後聞き取った患者さんの願いは、「庭の雑草を取りたい」、「墓参りをしたい」というようなささやかなものばかりであった。

 番組では、「もう一度好きな山の写真を撮ってみたい」というMさんと、「家の畑で野菜を育てたい」というTさんの願いが部分的に実現されるプロセスが中心的に取り上げられていた。

 このうちMさんは、元気な頃、阿蘇山の写真を撮るのを楽しみにしていたが、入院後はカメラを手にすることさえできなかった。肺の機能が低下してため、しばらく立ち上がっていると酸素吸入が必要となる。急激な気温変化への対策も必要だ。充分な準備を整えたのち、医師・看護師8名体制で片道150kmの道のりを4時間かけて阿蘇外輪山に向かう。あいにく曇りがちではあったが、懐かしい景色を眺めることができた。

 もう一人のTさんはパーキンソンの影響で手足を満足に動かすことができない。そこで、実家ではなく、病院屋上のプランターで、介護スタッフの女性の助力を得てリーフレタス、エンドウ、ホウレンソウの栽培を始めた。その収穫の喜び、また、これをきっかけに、他のお年寄りたちも、プランターへのポット苗の植え付けや野菜作りに参加するようになった。こちらのほうは、まさに園芸療法そのものである。

 番組では、こうした取り組みが、患者さんたちのリハビリへの動機づけを高め、積極性を引き出す効果をもたらすことにもふれていた。
  • Mさんの場合は、入院時は殆ど寝たきりであり、その後の一時帰宅も困難であった。ところが、阿蘇山行きの準備が進む中で、久しぶりに一時帰宅ができるほどに回復。また院内では他の患者さんの笑顔を撮影したり、その際には、車椅子から立ち上がって撮影するなどの積極性が見られるようになった。
  • それまで歩行訓練を嫌がっていたTさんは、プランターでの野菜作りを始めてから、進んでリハビリに参加するようになった。実現可能性があるかどうかは別として、いずれは自分の足で屋上に行かれるように、さらには自宅の畑で野菜が作れるようにという、 目標ができたことが、積極性をもたらしたのであろう。
 先日のリハビリテーションのための行動科学研究会でも話題になったことであるが、身体・運動機能の回復だけを進めようとしても、その機能を能動的に活用する場が無ければ、必ずしもやる気は出てこない。今回紹介された2例は、特別に「療法的効果」という形で改めて実証を必要とするものではない。「写真撮影」や「野菜作り」という大きな結果を設定すれば日々のリハビリが強化されるのは当然のことである。




 さて、今回のプロジェクトは、スタッフの献身的な取り組みと「こんな願いがかなうなんて思ってもみなかった」というお年寄りの喜びを伝える美談として紹介された。しかし、これが美談であるということは裏を返せば、全国の殆どの老人病院では、患者に対して医療上必要な処置をとる以外のことは何もしていないとの証明にもなっている。

 もちろん、短期間で退院できる患者であるならば、治療だけに専念すればよい。しかし、患者さんの多くが実質的に終身患者であるような今回のケースでは、治療そのものよりも、患者さんの生活の質を高めるために最大限の努力が払われるべきであるのは当然のことだ。スキナーの言葉(佐藤方哉訳)を借りるならば、
人権を守るのだと主張している人たちはすべての権利のなかで最大の権利を見逃しています--------------それは強化への権利です。
という、人類最大の権利をないがしろにしてはならない。つまり、患者が多様に持ち合わせている「能動」と、それが強化される権利は決して奪われてはならないのである。

 そういう意味では、お年寄りたちが求めたものは「人生のお願い」でも何でもない。当然の権利なのである。「まさか、こんな願いがかなえられるなんて思ってもみなかった。ありがたい、ありがたい。」などと遠慮せず、もっと堂々と「能動の機会」を求めるべきである。周囲もそれを当たり前のこととして応じるようにならなければ、高齢者福祉などありえない。行政側も、治療を目的とした医療ピラミッドとは別に、そうした根源的な権利を満たしうるシステムづくりに取り組む必要があると思う。