じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 5/28に紹介したサボテンが、今度は同時に3輪をつけた。花の直径はそれぞれ10〜12cmもあり壮観。わずか一晩で萎むはかない花だが、育てがいがある。





6月17日(月)

【思ったこと】
_20617(月)[心理]「リハビリテーションのための行動科学研究会」(後編)「行動の制御」が目的なのか、「行動の中味」が問題なのか

 昨日の日記に引き続いて、6月16日(日)の10時から17時まで行われた、第1回リハビリテーションのための行動科学研究会の話題。

 今回の3者の講演で、行動の先行要因を重視する河合・芝野両先生の「三項随伴性」概念と、長谷川が強調した結果の質や随伴のしかた(強化スケジュールなど)を重視する「行動随伴性」概念が、異質のものなのか、矛盾するものなのか、疑問をもたれた方々もおられたかもしれない。

 結論から先に言えば、これは、「行動の制御」が目的なのか、「行動の中味」が問題なのか、という要請の違いの表れではないかと私は思う。

 ここでもう一度、オペラント行動とは何かから考え直してみよう。「オペラント」、「レスポンデント」というのは、刺激によって誘発されるかどうかという基準で行動を二分する概念であり(←他の基準を持ち込む人もいる、念のため)、
  • オペラント:生活体が自発する()行動。刺激による誘発を必要としない。行動の結果によって変容。
  • レスポンデント:刺激によって誘発される行動。刺激の提示の仕方や組合せ方によって変容。起こった行動の直後に結果を与えても変えることはできない。
今回のシンポで河合先生から、スキナーは晩年、「自発/emit」より「生起/occur」を使うようになったという御指摘があった。いずれにせよ、ここでいう「自発」は「内発的な意志」のようなものを前提にしていない。物理現象「放出」「放射」というような意味に近い。
ということになる
  • 例えば、犬の前に骨を置いて「待て!」と命令したとする。よく躾られた犬ならば、それに食いつこうとはしない。しかしヨダレは出るだろう。
  • ヨダレが出る(=唾液分泌)のは、骨の形やニオイによって誘発されたレスポンデント行動なので止めようが無い。行動の直後に「こら! ヨダレを出すな」と罰しでもどうにもならないのである。
  • いっぽう、骨に食いつこうとする行動が生じないのは、それがオペラントであり、結果によってコントロールされたためである。この犬は、以前、「待て!」と言われた時に骨をむしゃむしゃ囓ってこっぴどく怒られたのであろう。
  • 飼い主が次に「ヨシ!」というと、犬は喜んで骨を囓り出す。念のため言っておくが、「ヨシ!」という許可は、食べる行動を誘発したわけではない。要するに、「ヨシ!」という弁別刺激のもとでは、食べ始めても罰が与えられないので、その行動が頻繁に生起したというだけのことである。
  • 飼い主が「ヨシ!」と言っても、イヌは100%の確率で骨に食いつくとは限らない。「A man may lead a horse to the water, but he cannot make him drink./馬を水に引き入れることはできるが馬に水を飲ませることはできない」という西洋の諺もこのことを言い表している。
 同じようなことは、交差点の信号についても言える。仮に宇宙人がこっそりと交差点を横断する人のことを観察したとすると、正面が青の時は高頻度で渡り、赤の時は立ち止まるという行動が起こりやすいことを観察するだろう。とはいえ、「渡る」という行動は青信号に誘発されているわけではない。たまたま落雷で信号機が故障しても、人はいままでと同じように交差点を横断するに違いない。

 これらの事例から分かるように、オペラント行動は、いつ生じるかを正確には予測できない。ただし、
  1. 強化・弱化・消去の手続を用いたり、
  2. 弁別刺激による統制(刺激制御)を行ったり、
  3. 確立操作(遮断化、飽和化など)を行ったり、
  4. 競合する別のオペラント行動の頻度を変えたり
することによって、当該の行動を起こりやすくしたり起こりにくくすることができる。



 以上、教科書的な復習をしてきたわけだが、現実場面では、上記にかかわらず、
  1. どういう時にその行動が起こるのか、正確に予測したい
  2. 単に行動の頻度を変えるのではなく、場の状況や文脈に合わせて確実に行動するようにトレーニングしたい
という要請(ニーズ)にどう応えるかが、行動分析の重要な課題になっている。

 1.は特に、あるタイプの知的障害者や精神障害者が「突発的」に起こす「挑戦的行動」(攻撃、自傷、器物破壊など)にどう対応するのかを考える時に重要である。最近刊行された『挑戦的行動の先行子操作〜問題行動への新しい援助アプローチ』(ルイセリー・キャメロン編、園山ほか訳、二瓶社、2001年)で論じられているように、従来、この種の行動改善は、問題行動が起こった時にタイムアウトなどの弱化の手続をとったり、過剰修正、他行動を強化するなど、どちらかと言えば、「行動が起こったあとの結果を操作する」形で対応してきた。しかし、問題行動の多くは、「ちょっとしたきっかけ」に過敏に反応するなかで生じてくることが多い。であるなら、その「きっかけ」を分析し、先行事象を適切に管理することのほうがはるかに効果的となる。

 なお、先行事象を管理するということは、目的によっては、マインドコントロールにも使われる恐れがあるので注意が必要。というか、我々が日常社会の中で、物を買ったり、旅行を思い立ったりするのは、たいがいの場合、CMによって知らず知らずに先行事象を管理されていると言うべきかもしれない。

 上記2.の「場の状況や文脈に合わせて確実に行動する」ということは、まさに「適応」そのものを意味する。望ましい行動を増やし、問題行動を減らすといっても、場所をわきまえずに行動していたのでは適応的とは言えない。食事は台所で、排泄はトイレで、集団行事の時には協調的に、というように、それぞれの場所や文脈に合わせて適切な行動が生起することが求められる。これはつまり、弁別刺激を適切に利用できるような行動を形成するということであり、やはり三項随伴性の概念的枠組みがどうしても求められる。




 以上は、どちらかというと、問題行動(挑戦的行動)をどうやって未然に防ぐか、あるいは、特定の場所や文脈の中で適切な行動をいかに生起させるかという要請(ニーズ)に基づく分析であった。この場合、とにかく、当該の「行動が起こること(起こらないこと)」自体が目的なのであって、それをどういう結果操作で実現するのかは手段にすぎないということになる。

 これに対して、長谷川が提唱しているような

●どのような行動随伴性が生きがいにつながるのかを調べる。

という視点に立つと、行動の結果操作は決して手段ではなくなる。見かけ上全く同じ行動が起こっていたとしても、それがどのような随伴性で強化・維持されているのかを見極めなければ、生きがいには結びつかない。なぜなら、生きがいとは、行動そのものでなく、結果を手に入れることでもなく、「行動して強化される」という両者のセットの中に存在すると考えているからである。

 この要請(ニーズ)を重視するならば、行動が起こるきっかけというのはむしろ二次的な問題なのであって、肝心なことは、すでに起こっている行動が、一定時間なり一定期間、どういう随伴性で維持されるかという部分なのである。

 このように考えていけば、三項随伴性の枠組みを重視するか、それとも、もっぱら、「行動とその結果」の部分を重視するかということは、決して対立するものではない。単に、要請(ニーズ)の違いを反映したものと見なすことができるかと思う。