じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] ピンクッション。一昨年の夏に1鉢100円の処分品を購入。温室の花とは聞いていたが、日当たりの良い場所で冬越しできた。翌年はいっこうに花が咲かず、日本の気候に合わないのかと諦めていたところ、5月下旬から写真のような見事な花が咲き出した。花の名前は、「ピン+クッション=針山」という意味らしい。右は花を拡大したところ。別名「リューコスペルマム」ともいう。南アフリカ原産だがオーストラリアやニュージーランドのものもある。 [今日の写真]





6月2日(日)

【ちょっと思ったこと】

福岡は落書きの名所?

 人間・植物関係学会第二回年次大会参加のため、宿泊地からJR鹿児島線〜西鉄貝塚線経由で九大へ。途中、線路沿いのコンクリート壁、時には線路内の施設にまで至る所に、スプレーによる落書きがあり驚くいったい誰が何を目的にあんなことをしているのだろうか。落書きの大部分は判読不能な文字列や模様のようなものだが、時たま英語のスペルや絵も認められた。彼らなりの仁義があるのか、単に描きにくいだけなのか、一度描かれた部分は決して上塗りされていない。やはり何かをアピールしたいのか、それとも、犬のシッコかけみたいに、マーキング行動への先祖返りが起こったのか、とにかく、まことに見苦しい景色だ。ああいうことをする不届き者はごく少数者だと思われるので、徹底した張り込み、グループ内からの密告などにより犯人を検挙し重罰を与えれば以後は防止できるものと思う。それと、なにかしら、自己表現の場を欲しがっているのだろうから、いっそのこと、ネット上で自由落書きコンテストを実施し、優秀者を表彰するといった、発散の場を設けることも有用かと思う。

[6/3追記]岡山でも電柱や道路沿いの公共物、壁などで落書きが目立つようになっている。この件に関して、6/3の朝日新聞岡山版に、昨年3月に岡山で結成された「落書き調査隊」の隊長の岡崎久弥氏の活動が紹介されていた。岡山市中心部の落書きの実態を調査、分析する目的というが、最近ではもっぱら消去活動が主になってしまったという。御本人は「落書きは絶対悪ではない」と語りつつ、「書いている人間はスリルを楽しんでおり、絵に進歩がない」とも。また岡山市内の場合は、中小の商店や権利関係の複雑な建物に落書きするなどの弱い者いじめが目立つという。




全国一暑い?岡山

 九州から岡山に戻ってまず感じたのは、異常に暑いということだ。荷物を担いでアパート構内を歩いていたら、バッタリ会った同僚から「だいぶお疲れの様子ですね。どうしたんですか?」と訊かれた。学会でくたびれたというよりも完全な暑さ負けである。

 翌日の新聞記事でこの日の主要都市の最高気温をチェックしたところ
  1. 岡山 30.7度(平年より4.4度高)
  2. 大阪 30.5度
  3. 高松 30.4度
  4. 名古屋 30.3度
  5. 京都 30.1度
などとなっていた。県庁所在地の中では全国最高の暑さ?
【思ったこと】
_20602(日)[心理]人間・植物関係学会(2)幸せは、脳波や心理テストでは測れない

 人間・植物関係学会2002年大会の2日は、九州大学農学部で口頭発表が行われ、私も座長として参加した。九大は15年ほど前に心理学関係の学会(箱崎地区)で訪れて以来である。当時は水不足が深刻でトイレの水さえ出ない有様だった。今回訪れた貝塚地区は緑豊かで落ち着いた雰囲気があったが、時折、すでに車輪を出して着陸態勢に入っている大型ジェット機が上空をかすめる。岡大に比べるとずいぶんと騒がしいところだというのが第一印象であった。また、移転が予定されているのだろうか、発表会場の大講義室の壁面には、床から天井まで縦に何本かひびが走り、阪神淡路大震災級の大地震があればひとたまりもなく崩れ去りそうな雰囲気であった。

 午前中の研究発表は2会場に分けて行われる盛況であった。参加者は農学・園芸学の研究者のほか、医師、看護師、作業療法士、福祉施設職員、花市場の社長さんなど多彩であり、さすが学際的な学会という印象を受けた。中には、園芸活動に関する個人体験の感想を述べた程度の発表もあったが、いろいろな分野の人たちが、人間と植物の関係という1つのテーマをめぐってさまざまな知恵を出し合い、意見を交換しあうことにはそれなりの意義があると思う。

 そんななか、私が座長を仰せつかった発表は、どちらかと言えば、厳密な実験的統制を要求されるようなものであった。例えば、園芸活動に参加した実験群と、何もしなかった対照群に、心理テスト、脳波(α波やβ波の総含有量や割合)、筋電図などの測定を実施、その平均値の差を検定するというスタイルである[←あくまで仮想の事例]。この種の実験研究に関する一般性のある問題点を敢えて指摘させてもらえば、
  1. 脳波などの生理的指標測定は、実験室のような不自然な環境で被験者を拘束するという問題に加えて、(園芸に限定されないような)単に体を動かすことの影響も受ける。現実に、これはスゴイ!と思わせるような有意差が見い出せないことからみても安らぎや癒し効果の客観指標として有用かどうか、大いに疑問。
  2. ある種の心理尺度(←何かを測る物差し)を構成する各質問項目は、全体との内的整合性等を考慮しながら機械的に組み入れられたものであって、質問の意味内容をそのまま調べているわけではない。例えば、「新聞の社説を毎日は読まない」という質問は、新聞を読む習慣や几帳面さを測る質問のように見えるが、実際は虚構性(自分を飾る傾向)を測る尺度の1つに組み入れられている。そういう背景を考慮せず、ある種の心理テストの質問の一部を勝手に取り出してきて、社会通念や意味内容だけでスコアの変化を分析することには問題が多い。
  3. こちらの論文の3.1.1.にも記したように、セラピーの効果は100人中100人に有効であるとは必ずしも言えない。例えば、室内に生花のバラを置いた場合と造花のバラを置いた場合、100人中80人は生花、残りの20人は造花のほうがリラックスすると考えるかもしれない。そういう多様性を受け入れ、その上で、「なぜ20人は造花のほうを好んだのか、そういう人たちには共通した行動傾向があるのか」を追及するのが本来の研究のあり方であり、「生花と造花とどっちが有効か」という「万能性」を前提にして100人全員の平均値を有意検定しても、生産的な情報はあまり得られないように思う。
  4. これもこちらの論文などで繰り返し指摘している点であるが、実験的方法で確認できるのは、実験者が恣意的に設定した1点およびその近傍に限られているのである。ある条件のもとで、造花より生花のほうが癒しの効果が大きいと実証されたからと言って、造花の形や色をちょっと変えた時に同じことが言えるという保証はない。「一事例を示した」とは言えても、一般的法則を実証したとは到底言えない。
というようなことを考えれば考えるほど、実験的方法、特に、脳波や筋電図を使った実験や、質問紙・アンケートを使った調査で、効能を実証するということには限界があることが実感される。では、どうすればよいのか。最近私が思うのは、やはり、
  • 対象者が、「それをしてもしなくてもよい」という自由な時間の中で、どのくらいの時間、どういう園芸活動に従事しているのか
  • その活動は、どういう随伴性によって強化されているのか
を個別に調べることである。能動的な園芸活動が自発され、ポジティブに強化されているということはそれ自体が生きがいなのであって、それを改めて脳波の何タラ成分が増えたとか、心理テストのスコアが増えたなどという形で色づけする必要は全くない。肝心なことは、義務的あるいは日常習慣的に行われている活動の中から能動的で行動内在的に強化されている成分を客観的に抽出することではないかと思う。