じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 父親の代から育てていたサボテンが大きな白い花を咲かせた。一夜限りで、翌朝午後には萎れた。月下美人に似ているが、柱サボテンの一種。サボテンは元来、一夜だけ白い花を咲かせる種類が多いという。





5月28日(火)

【ちょっと思ったこと】

「日本最大」のプロジェクト

 某Web日記ネタになるなど前評判の高かった?プロジェクトX「命の水 暴れ川を制圧せよ」〜日本最大 愛知用水・13年のドラマ〜 を視た。番組冒頭に次々と出されるフレーズの中には、やっぱり「日本最大」という表現があり、妻や息子からは「しつこい」の声も。

 さて番組の内容だが、今回は、工事そのものよりも、そのきっかけを作った濱島辰雄氏と久野庄太郎氏の活動に焦点があてられていた。濱島辰雄氏は農業土木を学び旧満州で灌漑工事を構想するが敗戦で挫折、戦後は農業高校で教鞭をとっていた。父親から「自分を犠牲にして人に尽くせ」という教えを受け、信仰の厚い久野庄太郎氏は田畑を全て売り払い「愛知用水期成会」の活動費にあてたという。

 興味深いのはこのお二人の役割の違いだ。濱島氏は戦前に身につけた測量技術を活かし、土木の専門家を驚かせるような精密な計画図を作成する。用水というのは、高い土地から低い土地にスムーズに流れなければ意味がない。取水の位置、既存の水田のある濃尾平野の迂回などいろいろと苦心があったはずだ。政治家(吉田茂首相)を納得させるためには、単に「何とかしてください」ではなく、実現可能なプランを示す必要があった。これをやり遂げた点が濱島氏の最大の功績だろう。なお、濱島氏は、工事完成後は、アフガニスタンなど海外での灌漑にも貢献されたという。

 いっぽう、久野氏のほうは、技術ではなく、もっぱら精神的な支援に身を捧げたという印象があった。工事の最中には、現場の土を使って水利観音を作る。完成後は工事犠牲者を弔い、今から5年前96歳で亡くなるまで、宗教活動を続けた(こちらに愛知用水神社と水利観音の写真あり)という。なお、ネットで調べたところ、三好町長だった久野源蔵氏の紹介があったが、ご親戚なのか、単なる同姓の方なのかは分からなかった。

 ところで、冒頭にふれた「日本最大」表現だが、例えば「20世紀最大」というように期間を区切れば、最大のプロジェクトは1件のみに限られるはずだ。しかし、「当時においては、日本最大であった」というように記録更新型の記述をする限りは、複数が挙げられていてもおかしくはない。たぶん「日本最大のプロジェクト 愛知用水」というのは、「日本最大のプロジェクト 新幹線」より前に完成したのでこう表現されるのだろう。

 それにしても今の日本、もはや「最大のプロジェクト」は出てこない雰囲気だ。といって、ダム建設や干潟つぶしは環境を悪化させる恐れが大きい。これからは陸上よりも海。せっかく広い経済水域があるのだから、1つでも2つでも、海洋をテーマにしたプロジェクトが提案されてもよさそうなものなんだが。

5/29追記]久野庄太郎氏は、晩年には篤志解剖全国連合会初代会長をつとめられたという。このほか、こちらの愛知用水関連資料にあるように「とかく国主導がめだつ開発事業で、愛知用水だけは別だ。」というのがこのプロジェクトの最大の特色だろう。