じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] トベラの白い花に集まるアオスジアゲハ。写真には1匹(頭)しか写っていないが、全部で10〜15匹(頭)が群れをなして蜜を吸っていた。5月6日午後撮影。





5月7日(火)

【ちょっと思ったこと】

食のグローバル化

 夕食時にNHK「クローズアップ現代」を視た。今回のテーマは「ヨーロッパの新しい風(1)揺れる食大国フランス」。「食」にこだわるフランスでも、アメリカ式の農業生産が普及し、どの店に行っても特色の無い野菜や肉が出回るようになってきた。小規模農家の数は年を追うごとに減っている。それに反発して、遺伝子組み換え実験を実力で阻止するような団体も現れているという。

 経済効率優先の工業型の生産方式を農業にあてはめることが妥当かどうかについては、昨年9月30日に行われた人間・植物関係学会設立総会でも議論されたところである。農業の工業化は、味の画一化や安全性の問題に加えて、しばしば環境破壊をもたらす。これは日本の水田にも言えることだ。もっともこういう問題は、関税や条約で防ぐものではない。消費者が主体的に食材を選び生産地と提携し、経済効率優先の農業が少なくとも日本国内では成り立たないような状況を作り出すしか道はない。さらには、校庭と同じ面積の畑や水田をすべての小中学校に備え、腰掛け的な「農業体験」ではなく、収穫物が給食のメニューにあがるような総合教育に取り組んでいく必要があると思う。文字通りの根をおろした生活がなければ、技術大国も、有事立法で守るべき郷土も砂上の楼閣と化してしまうだろう。
【思ったこと】
_20507(火)[心理]鳥は鳥、獣は獣

 1日前の話題になるが、夕食時にNHK「地球・ふしぎ大自然」の一部を視た。この日はスペシャル番組らしく
  1. タマシギは父親が抱卵、子育てをする。メスはオスに卵を託し、別のオスとの交尾を繰り返す。少数個の卵を別々の巣で分散して抱卵させるので、全滅の危険が回避できる。
  2. コウテイペンギンの父親は極寒の中、絶食で抱卵、子育てをする。雛がかえると、お腹の中の食物を吐き戻して与え、それでも足りない時は胃の外壁が剥がれて雛の餌となる。一冬で10kgも痩せ、メスよりも体が小さくなってしまう。いっぽう、メスは卵を産んだあとは氷原を歩いて海に達し、翌春に戻る。
  3. クマノミは、群れのメスが死ぬと、それまで父親役だったオスが性転換して次の母親になる。
  4. 野生のライオンのオスは、大きくなると群れから追い出され、たいがいは飢え死にして死んでしまう。生き残った強いオスだけが、メスの群れに入れてもらい繁殖に関与できる。つまり、我々が知っているオスのライオンとは、争いに勝ち残ったオスだけなのである。
 こうした子育ての諸事例から言えるのは、鳥や獣たちが、それぞれの種や生活環境に合わせていかに多様な適応をしていったかということだ。これはおそらく人間社会にも当てはまる。一夫一妻の倫理観が絶対という根拠はどこにもない。イスラム社会に見られる一夫多妻、雲南省からミャンマーに至る山岳地帯に住むナシ族の「アツー関係」(1999年7月30日の日記参照)、あるいは、一部の少数民族で見られる一妻多夫など、いずれもそれぞれの苛酷な生活環境への適応の知恵でもあったはずだ。

 番組でも「強い遺伝子を残す」という適応と弱肉強食の原理について、基本的な説明があった。番組では必ずしも強調されていなかったが、それぞれの種で近親相姦がいかに巧みに回避されているのかも大いに参考になった。

 しかしその一方で、ペンギンの父親は「極寒と空腹に耐えて子育てに専念」とか、ゴリラの父親は「信頼と思いやりに支えられて...」といった擬人的な説明が各所で見られていたことにはちょっと首をかしげたくなる。もちろん、動物たちのいっけん献身的に見える子育てには、アナロジカルには人間社会のお手本になりうる事例が含まれているが、そういう都合のよいものだけを摘み食いして紹介しても自然から教訓を得たことにはならない。すべての事例を無批判に受け入れるならば、病弱な夫を家から追い出して強健な男と再婚するのも許されことになるし、高齢者介護やバリアフリーの社会構築も無駄なことになってしまう。

 ペンギンの父親が苛酷な環境に晒されているのは事実であるが、卵を守るという任務を遂行するため、あるいは子どもへの愛情の強さのゆえに絶食を続けているわけではあるまい。この時期には単に食欲が失われているだけかもしれないし、氷原はそれほど寒くないのかもしれない。今回紹介されたライオンに限らず、キタキツネやサルの群れでも、ある程度成長したオスの子どもたちは群れから否応なしに追い出される。この場合も、親たちは別段、子どもに試練を与えるなどという意図は持っていない。むしろ「子どもたちと一緒に生活するのがイヤになった」あるいは「子どもたちが嫌いになった」と考えるほうが当たっている。

 余談だが、番組の最後に、ペンギンが登場する3つのシーンのうちから好きなもの1つを選ぶという「心理テスト」が流されていたが、あれって、誰が出題したものなのだろうか。科学番組に徹するならば、ああいういい加減な、心理学に誤解を与えるような出題はやめてもらいたいものだ。せめて「動物占い」とか「心理ゲーム」と断った上で紹介してほしいものだ。