じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ナガミ(長実)ヒナゲシ。栽培が許可されているケシには、ヒナゲシ、アイスランドポピー、オニゲシなどあるが、図鑑を見てもこの品種は掲載されておらず長年疑問に思っていた。4月28日付の朝日新聞「花おりおり」(文・湯浅浩史氏、写真・矢野勇氏)でやっとその名前が分かった。記事によれば、最初に気づかれたのは1961年、東京都世田谷区。原産地はヨーロッパ。写真のいちばん手前の花はピンク色になっているが新品種だろうか、それともヒナゲシとの雑種?





5月6日(月)

【思ったこと】
_20506(月)[一般]「おかあさんといっしょ」と「みんなのうた」

 朝7時10分に北九州発、山陽道経由で岡山に戻った。連休後半最終日ではあったが、渋滞は全く無く、むしろトラックが少なくて道路が空いている気がした。走行距離は380km、所要時間は休憩を含めて4時間20分ほどであった。

 運転中NHKラジオで「いきいき倶楽部“こどもの歌スペシャル”」を聴いた。懐かしい歌が次々と流れ、楽しく運転することができた。

 番組の前半9時台は、「おかあさんといっしょ」特集であり、ゲストは16代目の「歌のおねえさん」の神崎ゆう子さん。この番組は昭和34年から開始されたということで、すでに二代以上にわたって楽しまれている長寿番組になっている。タイトルは「おかあさんと...」となっているが「おとうさん」にもファンが多い。また実際には、お母さんと一緒に視るというよりも、子どもだけをTVの前に座らせておいて、その間に家事を済ませるお母さんが多かったようだ。

 ちなみに、昭和27年生まれの私は、この番組が始まる頃にはすでに小学生になっていた(=安西愛子さんや松田トシ子さんのラジオ番組で育った世代)。「おかあさんといっしょ」に関わりがあったのは、息子や娘が幼稚園に通い出す頃。その時の「歌のおねえさん」がちょうど神崎ゆう子さんであった。

 番組によれば、神崎さんは6年間「おねえさん」をつとめたあと結婚退職。現在は2人の男の子の子育てをしておられるということだったが、ネット検索でヒットしたこちらのプロフィールによれば、結構多彩な活動をされているようだ。

 当時は「じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろり」の時代であったが、神崎さんも言っておられたように、それぞれのキャラの特徴が実にうまく描かれていた。歴代キャラの中でもトップレベルの人気があったのではないかと思う。それぞれのキャラに名字があったとは知らなかった。




 後半の10時台は、みんなの歌特集、ゲストはペギー葉山さんであった。みんなのうたについて、後でネットで調べたところ、開始当初のデータベースがこちらに、1980年以降は、より詳しい情報がこちらに紹介されていることが分かった。

 「みんなのうた」の放送開始は「おかあさんといっしょ」よりは2年ほど遅いが、タイトルの通り「みんな」で楽しめる番組であったので、我が家でもすでに親子二代にわたって楽しんでいる。

 1961年4月〜1966年.3月の放送時期リストには、タイトルを見ただけでメロディが浮かんでくる歌も多数含まれている。「だれも知らない」、「クィクヮィマニマニ」、「気のいいあひる」、「ビビディ・バビディ・ブー」などは、少なくとも息子や娘の時代には全く放送されなかった。一般の歌謡曲の場合もそうだが、ある時代だけによく歌われた曲というのは想い出の手がかりとなるものである。逆に「おお牧場はみどり」、「大きな古時計」、「ドレミの歌」などのように、いつの時代でも繰り返し歌われる人気メロディは、逆に「懐かしさ」が薄れてしまう。

 以前この日記でも取り上げたことがあるが、みんなのうたの中には、たぶん二度と放送されないであろうと思われる歌も含まれている。1961年4月〜1966年.3月の放送時期リストの1964年2月〜3月に放送された「でか ちび のっぽ」(うた 諏訪マリ)などは、おそらくその1つであろうと思う。たしか「でか ちび のっぽが 3人寄れば..」という歌い出しであり、「でか ちび のっぽが 野球をすれば...」、「でかちゃん→ホームラン、ちびちゃんちんちくりんでピッチャーゴロで、のっぽちゃん、のんびり三振アウト」で終わっていたと記憶している。ユーモラスな歌でそれなりに人気があったと思うが、いまの時代、見方によっては、身体的特徴と行動特徴をステレオタイプ化した差別用語オンパレードの歌詞であるようにも思える。

 ゲストのペギー葉山さんのお話の中では、ドレミの歌訳詞の際の苦労話が面白かった。最初は「ドはドーナッツ、レはレモン、ミはみかん、ファはファンタ(←長谷川の推定。放送の際には具体名までは出さなかった)...」というように、すべて飲食物で統一しようと考えておられたらしい。やはり「ファ」を何にするのかがネックになったようだ。もっともこの歌を聴いた当初は、私は「ファイト」という言葉の意味を知らなかった。

 息子が幼い頃の「みんなのうた」は一通りビデオに録画してあるのでいまでも画像つきで再生することができる。時間が無いので、その頃の歌についてはまた別の機会に取り上げることにしたい。




 上にもちょっと触れたが、一般の歌謡曲の価値は、曲や歌詞やリズムの普遍的価値のほかに、流行の短命さにあると思う。短命であればこそ、それが流行った時代背景や個々人の生活と結びつき、情動反応の条件刺激として、あるいはオペラント行動の弁別刺激として機能するがゆえに懐かしさを感じさせるのである。

 これに対して、「おかあさんといっしょ」や「みんなのうた」の場合は、「だんご三兄弟」のようなごく一部の例外を除けば、大ヒットすることはあまりない。むしろ、自分自身の幼い頃や、子育ての時期と結びついて懐かしさを感じさせるという特徴がある。それゆえ、
  • 一般の歌謡曲:想起される時代は固定的であり聴く人全員が共有できる。但し、その時にどういう生活をしていたかによって、懐かしさの内容は異なってくる。
  • 「おかあさんといっしょ」や「みんなのうた」:幼い頃や子育ての頃に聴くという点では共通しているが、時代背景は必ずしも固定されない。例えば、「アイアイ」、「サッちゃん」、「おもちゃのチャチャチャ」などは、1960年生まれの人にとっては1965年頃の想い出、1970年生まれの人にとっては1975年頃の想い出というように相対的であるが、子どもの頃に聴いたという点では全員で共有できる。
  • 「おほしさまひとつ、ぷちんともいで...」で始まる「だれも知らない」の歌や、上記の「でか ちび のっぽ」は、さらに限定的となり、たぶん1950年代生まれの人にとって子どもの頃を想起させるという点で、同窓会的な懐かしさをもたらすものと言えるだろう。