じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 座主川沿いで見かけたサクランボ。彼岸桜の一種。大学構内にももっと植えたらよいと思う。





4月29日(月)

【ちょっと思ったこと】

早くもお出まし

 連休前半はほぼ同じ日課。3日連続で妻を介護ボランティア先に送ったあと、花屋〜大学、昼は子どもたちと外食、ふたたび大学、夕刻は息子とキャッチボール、畑仕事...といった感じだった。この期間の出費は、花苗がトータルで8000円ほど、ホームセンターでの雑貨が5000円、ファミリーレストランとラーメン屋で5000円といったところ。アパートと大学を自転車で往復するだけの平日に1円も使わないことを考えると、それなりの出費となった。

 29日の夕刻、大学構内でウッドセージの写真を撮っていたら、指先が痒くなり、プーンという羽音が聞こえてきた。もしやと思ってあたりを見ると、何とヤブ蚊に刺されたのである。はっきりした記憶は無いが、通常、ヤブ蚊は5月10日すぎから10月いっぱい出没していたはずだ。虫よけスプレーで防げるとは言え、何とも煩わしい限りだ。こういう気候が毎年続くようだといずれマラリアやテング熱の心配も...。
【思ったこと】
_20429(月)[心理]結果が伴わないのに行動を続ける理由(2)なぜ後悔するのか

 4/24の日記に関連して、

少なくとも良い結果は何も伴わないのに、なぜ繰り返し後悔するのか?

について考えてみることにしたい。

 まず、「後悔」に限らず、過去のことについてあれやこれやと思いをめぐらすという行動は、その当時の言語的再現のほかに
  1. その時の行動の自発の手がかりとなるような弁別刺激の再現
  2. その時の行動の強化因や弱化因に対する確立操作
  3. その時の行動に付随してレスポンデント的に条件づけられた(情動反応を誘発する)条件刺激の再現
といった種々の行動がセットとして起こるものである点に留意する必要がある。

 このうち3.のようなレスポンデント的な反応は、繰り返し誘発させることで消去することが可能。クライアントが悲しい体験を語り、カウンセラーはそれを聞くだけに徹するというのは、レスポンデント的な情動反応を消去する働きがあると言われている。

 悲しい事件が起こった土地から引っ越ししたり、手紙や写真を焼き捨てたりするのは、1.や3.の物理的機会を「遮蔽」する行動であると言える。

 さて本題の「後悔しても何も良い結果は伴わないはずだ。ならば、後悔は弱化されるか消去されるはずだ。にも関わらず、繰り返し後悔されるのはなぜだろうか」という謎であるが、上に述べ多元性に注目するならば、
  • 「後悔」は一部に、レスポンデント的な要素を含む。
  • 「後悔する」という行動には、弁別刺激の再現や確立操作にあたる行動が含まれている。
ということが分かる。そう簡単には弱化されないはずだ。それでも、時の流れが解決してくれるということは、少しずつは消去(←自発された行動が強化されないこと)や忘却(←行動を自発する機会が無いままに時間が流れること)されていくか、もしくは時の流れの中で当人を取り巻く随伴性環境が大きく変わっていくためと考えられる。

 「後悔」は、「いま」の行動に「過去」を重ね合わせた時に起こる行動である。何も記憶に残らず「いま」だけを生きている人間にとってはそもそも後悔など起こるはずがない。

 「いま」の行動に「過去」を重ね合わせるという行動が起こりがちなのは、自分の行動に一貫性を持たせ累積的な結果に価値を見出すことのほうが、刹那的に生きるよりも強化的であり、かつ飽和化(飽き)されにくいためと考えられる。「後悔」は、能動的に起こる行動というよりも、むしろ、「いま」と「過去」を重ね合わせて前向きに生きようとする行動の弱化要因として機能しているように思われる。となれば、ただ消去や忘却に委ねるよりも、後悔の基となっている事実を捉え直し、いまの自分にプラスに働いている面を発見するほうが生産的であろう。昨年度の卒論研究でも報告されたが、不登校経験者でいま前向きの生き方をしている人の中にはそうした「捉え直し」に成功している人が多いように見受けられた。