じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
今年はすでにソメイヨシノが散ってしまったが(写真左)、代わりに鬱金桜(写真右)が満開となる中で入学式を迎えた。 |
【ちょっと思ったこと】
ミロのヴィーナス みのもんたさんの「今日は何の日」によれば、4月8日はミロのヴィーナスが日本で公開された日であるという(1964年)。門外不出のヴィーナス像がたった一度だけ日本に運ばれたのは、アジアで初めてという東京オリンピックを祝したフランスの特別の計らいであったという。 企画者の小原正雄氏によれば、開催前には、たった一体の石像で人が集まるのかという不安もあったという。実際には、東京と京都の二会場合わせて170万人(←長谷川の聞き取りのため不確か)を超える入場者があり大成功をおさめた。 芸術の分かるヤツもワカランヤツも、二目と見られぬスゴイものがやってきたと大騒ぎになり、当時小学校6年生だった私もご多分に漏れず、上野の美術館の周囲でとぐろを巻いていた行列の最後尾についた記憶が残っている。 もっとも、当時の私には芸術を理解する目がまるで無かった。「裸の王様」の童話ではないが、あのヴィーナス像を眺めて最初に思ったことは「なんだ、あれって、裸のオンナじゃないか!」。もしあれが弥勒菩薩像や阿修羅像のような信仰対象であるならば手を合わせて拝みたくなるし、旧ソ連時代に一度訪れたレーニン廟のように歴史上の人物の遺体と直接対面できるなら別の感激もあるが、ミロのヴィーナスに関しては、そのどちらとも言えなかった。それと、当然のことながら手で触ることはできない。実物を眺めるのと写真集を眺めるのとどこが違うのだろうかという疑問もあった。 では、ミロのヴィーナスは、私や同世代の男子に何の影響も及ぼさなかったのだろうか。一般的に言えそうなこととしては、ああいう裸体像を直接眺め、かつ、周囲の人々が口々に「美しい」を連発したとすると、最も美しい女性とはああいう容姿(顔はもちろん、乳房の形とかプロポーションを含めて)であると、刷り込まれてしまう可能性がある。そのことが成人後の配偶者選択に微妙な影響を及ぼしたかどうかは定かではない。私の妻は、ミロのヴィーナスにはゼンゼン似ていないようだが....。 狡猾なウィルス付きメイル 岡山に戻って公用メイルボックスを開けてみたところ、ウィルス付きと思われるメイルが2通紛れ込んでいた。この種の添付ファイルは一切展開せずに削除することに決めているが、今回の2通は、題名や発信者名に引っかけられてウッカリ開けてしまいそうな内容。狡猾さ最大レベルとの印象を受けた。
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