じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 昼休み、農学部構内を歩いていたら、銀杏が早くも雄花の蕾を出しているのに気づいた(写真左)。雌木のほうはまだ芽が堅い(写真右)。 [今日の写真]





3月26日(火)

【ちょっと思ったこと】

大学合格も楽じゃないが、これからは...

 塾から帰ってきた娘が、ビデオで録画してあった妙なスペシャル番組を視ていた。新聞のテレビ欄を参照してみると、どうやらタイトルは「悲願の合格か!?それとも別れか!?大学受験運命の結果発表!!」らしい。番組に登場した3名(3カップル?)のうち2名は、第一、第二志望いずれも不合格となったものの第三志望にかろうじて合格、めでたさも中くらいという結末になったが、これじゃあ、まるで入試難易度のランク付けをしているようなもの。私立大の定員割れが現実化しているいま、第三志望先として名前を出されたA大とH大にとっては迷惑な話だったかもしれない。それにしても気の毒だったのは、大○文化大学から補欠合格の通知を受けながら最終的に不合格となった、もう1名。大○文化大学の難関ぶりをアピールする効果があったとはいえ、受験生にとってみれば、入れるかもしれないと期待した後で最終的に不合格というのは精神衛生上よろしくない。ちなみに大部分の国立大では、入学手続者数が定員を下回るという万一の場合に備えて追加合格者リストを作成しているが、そのリストに誰が含まれているのかは一切公表していないはずだ。

 ところで、世間では、相変わらず「大学は入るまでが大変、入ってからは遊んでいても卒業できる」と受けとめている人が多いようだ。しかし、いま、全国の大学では平常点や小テストを含めた多元的で厳格な成績評価、1コマ2時間の講義に対して4時間程度の予復習を要求するような授業改善が求められている。後者は単位制の根幹、つまり大学の設置基準に関わる緊急の課題である。いい加減に学生を卒業させているような「大学」は社会的信頼を失い、結果的に入学者定員割れで廃校に追い込まれることになるだろう。

 近い将来、大学は誰でも合格できるもの、それ自体はあまりめでたくないという時代がやってくるはずだ。そのかわり、ちょっとでも怠ければたちまち留年、中途退学を余儀なくされる。今回の番組で第三志望に合格した2名が入学後にどのように勉学に励むか、それに対して大学がどのような指導を行うか、そして果たして卒業できるのかどうか、入試の合否以上に興味が持たれる。




議員辞職と離党

 「鈴木さんも、田中さんも、加藤さんも。愛と哀しみの...」という妙な新聞広告を見かけたが、あれって、日本人で最も多い名字を並べただけなのだろうか、もし政治家絡みのジョークだとすると、まもなく「さらに辻元さんも」が加わるのだろうか。

 それはそれとして、複数の議員の離党や辞職が話題になっている。あくまで一般論として私なりに考えてみるに
  • 所属政党の方針に合わない場合にも「離党」という行為はありうる。従って、「離党」という行為自体は何ら引責にはあたらない。
  • 政党との関係で「引責」を明確にするならば、政党側が主体的に「除名」をすべきであろう。
  • 本人の自発的な議員辞職が引責にあたるかどうかも不明。1つだけ言えるのは、比例区で当選した議員は、離党と同時に辞職すべきだと思う。なぜなら、有権者はその政党を支持するがゆえに投票したからであって、名簿リストの上位者個人を当選させるために投票したわけではないからだ。でなければ政党本位の比例制の意味がない。
 余談だが、辻元議員はなぜか「辻本」とよく間違えられている。議員を辞められた後は「辻元元議員」になるのかなあなどと思ってみたりする。人様の氏名をもじったダジャレは、ネームハラスメントに繋がるので慎重であらねばと思いつつ。




31年ぶりに『大学への数学』を買ってみた

 生協のブックストアに天文関係の雑誌を買いに行ったところ、すぐ横に『大学への数学』4月号が置かれてあった。岡山大学生協でなぜ『大学への...』を売っているのか疑問ではあったが、4月から高2になる息子の進級祝いによかろうと31年ぶりに買ってみた。

 『大学への数学』の想い出については1998年5月31日の日記で取り上げたことがあった。数学の才能など全く無い私ではあったが、当時の私にとって唯一好きな科目と言えば数学であり、この月刊誌の学力コンテストに応募し、毎月の「宿題」を解くことを生きがいにしていたくらいだった。前掲の日記に書いたように、高3の頃には、「長谷川・Tの定理」なんていうものまで考えたりした。ちなみに当時の「大数」界では、同学年ながら天才だったT氏、2年先輩で後にフィールズ賞を受賞された森重文氏のほか、中学生のクセに高3の私には歯が立たないような問題をスラスラと解いてしまう神童F氏が活躍されていた。ネットで検索したところ、なっなんと御自分のホームページを開設しておられた。やっぱ、今でも数学で頑張っておられるのね。




 購入した4月号をめくってみたところ、巻頭言で、この雑誌の発行人である黒木正憲氏の奥様が昨年6月に83歳で亡くなられたことを知った。その巻頭言には『大学への数学』発刊の経緯も記されていた。1957年の創刊当初に経理を担当された奥様のご苦労と活躍ぶりが伝わってくる。経理を引退された後は、裏千家と池ノ坊で最高位に近い免許をとり、さらに古稀を間近にした頃からは絵の教室に通い出してこちらも絵画展で連続入選を果たしていたという。ものすごく多才な方だったようだ。

 じつは私自身、一度だけ、広尾にある黒木氏のご自宅まで押しかけたことがあった。学力コンテストの提出が郵送では締切に間に合わなくなり、やむなく、地図と住所を頼りに「東京出版」所在地まで答案を出しに行ったのであった。「東京出版」というと「東京を代表する出版社」を想像しがちであるが、その住所にはごく普通の家しかなく、黒木氏の表札と「東京出版」と記した看板がかかっているだけだった。チャイムを鳴らすと、玄関から、髪の薄いおじさんがでてきて答案を受け取ってくれた。どうやらこの方が黒木氏御本人であったようだ。31年前にすでに髪が薄かったことと、イヌ年のお生まれであることから推測すると、黒木氏は80歳か92歳になっておられるはずだ。

 『大学への数学』4月号はなんと46年目の巻にあたる。いっけん受験雑誌のように見えて、数学の面白さ、多様な解き方を教えてくれるところにこの雑誌の魅力がある。私自身、この雑誌を通じて数学の面白さを知った。今後ますますの御発展に期待したい。

【追記】その後、黒木氏のご親族の方からメイルをいただいた。あの時お会いした方はどうやら別人であった可能性が高い。