じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ハクモクレン。花が開ききらない今のほうが神秘的に見える。





3月19日(火)

【ちょっと思ったこと】

4月からのNHKラジオ英語番組

 3/15の日記で、NHKラジオ「英会話入門」が最終回となったことを記したが、本日、生協のブックストアで、4月からの新講座のテキストを手に入れることができた。それによれば、
  • 英会話入門→英語リスニング入門
  • 英会話→英会話レッツスピーク
となっており、いずれも半期完結編。また従来のNHKラジオ英会話が20分の放送だったのに対して、「レッツスピーク」のほうは15分に短縮されていた。
 3/15の日記では
中学英語程度のレベルで自分の言いたいことを確実に相手に伝えることを練習するような講座があってもよいと思う。
と書いたが、そういう期待に応えてくれる内容かどうか、とりあえず、1カ月は聞き続けることにしたい。

 余談だが、昨年の4月から数ヶ月ほど「基礎英語1」と「基礎英語2」を聴いていた娘は、来年度はあっさりと視聴をあきらめた。毎朝7時頃起きるため、6時台の放送を聴くことは不可能。14時台は学校、18時30分からの分は、部活か塾のためこれもまた不可能。全国の中学生たちは、いったい、どの時間帯に聴いているのだろうか。
【思ったこと】
_20319(火)[心理]第11回エコマネー・トーク(10)コミュニティの適正規模、孤独を愛する人への対応など

 3/1に行われたエコマネー・トークの感想の10回目。キリのいいところで連載を終了したいと思う。

 今回は、エコマネーが流通するコミュニティの適正規模、不参加者への対応について考えてみたい。

 2002年3月現在で、「エコマネー」を推進しようとしているのはおよそ100地域。その中でも最も先進的と言われている栗山町の場合は、第2次が553人。第3次は800人〜1000人を想定しているという。また今回報告のあった「千姫」は第1次実験が155名、第2次実験は180名、「どんぐり倶楽部」は40名であったという。

 参加者が多ければ多いほど多様なサービスがやり取りできることは確かだが、その分、お互いの顔が見えにくくなる。登録は完了したが、結局何の交流も無かったというメンバーも出てくるに違いない。また、顔が見えにくくなれば、若い女性との交際だけを目的にした参加者も出てくるだろうし、ことによるとストーカー的なつけ回しをする人も出てくるかもしれない。特に都会で不特定多数に募集をかけた場合、単なる住所氏名確認程度でリスクが回避できるのか、今後の検討課題になるかと思う。

 少々脱線するが、この件で連想してしまうのが、「日記才人」というWeb日記リンクサイトの膨張である。私が参加した5年前(当時は「日記猿人」と呼ばれていた)には、この日記を含めて参加者は700人足らずであり、しかも全員が毎日書いているわけではないので、その気になれば全部の日記に目を通すこともできた。ところが、3月3日現在の累積登録数は1万7337にふくれあがった。5秒に1篇ずつ日記を読んだとしても、1分間で12、1時間で720、24時間で17280となるので、現実に読破することは困難。こうなると、もはや「コミュニティ」全体の交流は無い。私自身、1日に30人程度の方の日記を拝読しネット上でのメッセージ交換を続けているにすぎない。




 一個人における交流の適正回数というのもあるはずだ。今回報告された「千姫」の第1次実験(2001年10/9から12/9の2カ月)では、やり取り件数(利用回数)が一番多かった人は38回であったという。60日あまりの期間で38回、つまり2日に1回程度であるならばそれほど負担にならないと思うが、もし、1日あたり2時間も3時間も利用ということになると、煩わしさを感じる人も出てくるかもしれない。もっともエコマネーの発想は「ねばねばとした人間関係ではなく、さらさらと暖かい人間関係を求める」ことにあるのだから、共依存のような現象に至ることはあるまいが。いずれにせよ、この問題は、加藤氏が論じられている時間や幸せについての議論、あるいは内山節氏の『自由論〜自然と人間のゆらぎの中で〜』(岩波書店、1998年、ISBN4-00-023328-9)などと関連づけて論じる必要がありそうだ。




 極端な場合として、交流を望まず孤独を愛する人、何らかの理由で不参加を表明している人にどう対応するかという問題が出てくるのではないかと思う。エコマネーの対象が、グラウンドワーク、ゴミのリサイクル、介護福祉など広範囲にわたってくると、

●それをしなくても構わないが、すればよいことがある

という「好子出現による強化」ばかりでなく

●それをすれば現状が保てるが、怠るとよくないことがある

という「好子消失阻止」あるいは「嫌子出現阻止」の随伴性も不可欠となってくる。例えば、放置自転車問題などそうだが、自転車を駐輪場にちゃんと駐車した場合にエコマネーを受け取るようなシステムを作ったとしても、不参加の人は相変わらず駅前に迷惑駐輪を続けるだろう。環境問題は、「モラル」や「意識」の問題ではなく、本質的には

●塵も積もれば山となって大きな害となるような結果は、人間の行動を変える力を持ちにくい。

という行動分析の原理に依るところが大きい。これを改善するには、人為的に結果を付加する必要があるわけだが、善意(=「好子出現による強化」)だけですべてが解決できるかどうかははなはだ心もとない。エコマネーが、相互扶助(交流)→課題発見→協働というように発展を遂げる中で、このことに注意を向けていく必要があるかと思う。




 もとの話題に戻るが、岡山大学では、21世紀構想に基づき、「自然と人間との共生」研究プロジェクトがスタートしている。私自身は、そのメンバーとして、主として大学構内における環境問題の総合的な解決のためにエコマネーを活用できないかどうか、準備を進めているところだ。

 不完全ではあるが、以上をもって今回のエコマネー・トークの感想を終了させていただく。