じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 蔓ニチニチソウ。最近ではいろいろな品種が出回っており、花の大きさもこれだけ違う。





3月14日(木)

【思ったこと】
_20314(木)[心理]第11回エコマネー・トーク(8)「実験研究」と「試行積み重ね」のどちらがに情報的価値があるか

 別の話題を取り上げていたために3日ほど空いてしまったが、3/1に行われた「エコマネートーク」の感想の続き。

 今回のトークでは兵庫県姫路市の「千姫」と千葉県東金市の「どんぐり」の事例報告が行われたが、
  • 「千姫」ではプレ実験→第1次実験→第2次実験
  • 「どんぐり倶楽部」の事例報告タイトルは「どんぐり倶楽部の実験」
というように、いずれも「実験」という言葉が使われていた。また「千姫」主宰の岡田氏は「「更新」実験のよさ:リセットができる」とも言っておられた。

 長年、実験心理学の世界にどっぷり浸ってきた私のような立場から見れば、こういう形で「実験」という言葉が使われることには多少違和感があった。心理学研究における実験的方法の意義と限界(1)でも指摘したように、私が考える「実験研究」というのは、少なくとも
  1. 研究対象に対して何らかの働きかけを行うこと。
  2. システマティックな働きかけであること。
という2点を満たしていなければならない。「うまくいくかどうか分からないが、とにかく実際にやってみて、うまく行きそうな部分は伸ばし、うまく行かないところは改めていけばよい」という取り組みであるならば、それは「試行」(エコマネーに関して言えば「試験流通」)とは言えても、独立変数を厳密に統制し従属変数の変化を観測するというレベルの「実験研究」とは呼べないからである。

 しかし、それでは、この種の取り組みで実験研究は本当に求められているのだろうか。心理学の卒論や修論の序文にありがちな
○○については、現実場面で広く行われており、その有効性を支持する事例も多数得られているが、実験的に検討されたことは一度もなかった。そこで本研究では.....を操作し、○○の有効性を実験的に検証することを目的とする。
などという意義づけは本当に意味があるのだろうか。

 昨年6月にオーストラリアでダイバージョナルセラピーの研修を受けた時にも思ったことであるが、実は、日本国内で実際に高齢者福祉施設を運営したり現場で活動している人々にしてみれば、心理学者なるものがダイバージョナルセラピーを実験的に検討して何らかの有効性を「実証」したところで、現場に活かせる情報は殆どゼロに等しい。せいぜい「○○大学でその有効性が実証されている」というお墨付き程度の宣伝効果しか無い。

 実験的研究の弱点については、心理学研究における実験的方法の意義と限界(2)「象牙の塔」と現実をつなぐものでも述べた通りであるが、特に
  • 1つの要因や1つの行動変化ばかりに注目して、全体の連関や変化を見失う恐れ
  • 無限に近い要因が関与する現実場面からの乖離
という2点は、現場から見れば致命的な欠陥であるとも言えよう。




 もう1つだけ脱線するが、実験研究が現場に役立たない例として「結婚」を挙げることができるだろう。AさんとBさんが結婚すべきかどうか迷ったとする。結婚の有用性は、はたして実験的に検証できるだろうか。その際にとりうる方法というのは、
  • デートして時間を共有してみる
  • 貯金通帳を共同で使ってみる
  • 一緒に暮らした場合と、別居した場合の充実感を「充実尺度」で比較してみる
などという実験が考えられるが、いくらそれを反復検討したところで、おそらく最終的な結論は出てこない。ある人との結婚が人生をどう変えるかということは、結局のところ、結婚してみないと分からないのである(←結婚生活19年の私の実感こもった発言)。




 元の話題に戻るが、エコマネーで重要なことは、一般法則の発見や実証ではなく、それぞれの現場が実情に合わせて取り組みを活性化することにある。人間の健康に例えるならば、医学的・栄養学的な知識の集積よりもむしろ、健康で活発な個人を増やすが第一ということだ。各自が披露する「健康法」には過信や迷信が含まれているかもしれないが、そのような体験例が100も200も寄せ集まれば、「一致と差異の併用法」(『クリティカルシンキング 入門編』ISBN4-7628-2061-X、68〜75頁参照)によって、健康に有益な情報がある程度引き出せることになる。

 個体内ではきっちりした実験計画に基づくものでなかったとしても、各団体からの多様な実践報告が集められれば、全体としては、有用な情報になりうる。基本的な指針とツールだけを固定し、あとは参加者の自発的能動的関わり(=オペラント)に委ねたほうが、人工的な統制実験から要因を見出すより遙かに優っていると言えるかもしれない。




 以上、実験的検討のマイナス面ばかり書いてきたが、だからといって、実験心理学や行動分析学で培われた方法が全く無用ということにはなるまい。各地の実践報告が他地域で活用されるためには、やはり、何がどう操作されたのかは客観的、再現可能な形で記述されていなければならない。成果についても、ただ「面白かった、楽しかった」ではなく、個人や集団のどういう側面がどう変わったのかを多様に測定しておく必要がある。プロジェクトがうまく進まなかった時に、その原因を「やる気のなさ」などの精神主義に帰属させず、「行動とその結果」という随伴性概念に基づいて改善させていくためには、操作や測定をきっちりさせておくことが大前提となると思う。