じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 二部の学生集会所などに使われていた旧日本軍の老朽施設が3/6に解体された。右の写真は解体直前の様子。左側がナンキンハゼの幹。中央がセンダン。石碑は二部学生の記念碑。 [今日の写真]





3月7日(木)

【ちょっと思ったこと】

聖戦ノ美名二隠レテ.....

 みのもんたさんの「今日は何の日」によれば、1940年3月7日は、斎藤隆夫氏が衆議院議員を除名された日にあたる。

 参議院サイトにあるように、斎藤議員は1936年の2・26事件後にいわゆる粛軍演説、さらに1940年2月に
国家競争ハ道理ノ競争デハナイ、正邪曲直ノ競争デモナイ、徹頭徹尾カノ競争デアル......弱肉強食ノ修羅道二向ツチ猛進ヲスル、是ガ印チ人類ノ歴史デアリ、奪フコトノ出来ナイ現実デアルノデアリマス、此ノ現実ヲ無視シテ、唯徒二聖戦ノ美名二隠レテ、国民的犠牲ヲ閑却シ、曰ク国際正義、曰ク道義外交、曰ク共存共栄、曰ク世界ノ平和、斯ノ如キ雲ヲ掴ムヤウナ文字ヲ列へ立テテ、サウシテ千載一遇ノ機会ヲ逸シ、国家百年ノ大計ヲ誤ルヤウナコトガアリマシタナラバ現在ノ政治家ハ死シテモ其ノ罪ヲ減ボスコトハ出来ナイ[上記の紹介ページより、一部改変]
という約1時間半に及ぶ演説を行ったが、議会は軍部の圧力に屈して斎藤氏を除名。斎藤氏はその後1942年の選挙に立候補してトップ当選、戦後は日本進歩党や民主党(←今の民主党とは別)の創立に参加したという。

 歴史のことは全くの素人でよく分からないが、上記の削除箇所は戦争の本質をよく言い当てていると思う。昨年の同時多発テロがいかなる意味においても正当化できないことは明らかであるが、だからと言って、テロ撲滅の「聖戦ノ美名二隠レテ」、アフガニスタン全土に爆弾を降らせている米国の行為が果たして正当なものであったのかは、歴史的な判断を待つほかはあるまい。

 それにしても今の国会、自らの進退をかけて演説にのぞむ議員はいるだろうか。田中眞紀子氏なども、どうせ大臣やめるんだったら、あの斎藤氏ぐらいの意気込みで演説してもよかったんじゃないかなあ。



「きんさん、ぎんさん」の木、さようなら

[写真] [写真]  上の「今日の写真」でも紹介したように、岡大西門の左手にあった老朽施設が取り壊された。この施設の前には、金色の実をいっぱいつけるセンダンと、白色の実をつけるナンキンハゼがペアで植えられており、この日記ではかつて「きんさん、ぎんさん」と愛称をつけていたことがあったが、二本とも根元から重機でなぎ倒された。右はセンダンの痛々しい残骸、左下は少し離れて撮ったもので、枝から振り落とされた実が散らばっていた。
[写真]  人間側の都合で樹木が倒されるのはやむを得ないところもあるが、私がさらに残念に思ったのは、大学構内に出入りする大部分の人が、そのことに何も関心を示していないということだ。ジャングルの未開地では、今でも大樹に精霊が宿ると信じている人々が居る。日本でも古来より大樹を崇める文化があった。それが失われ、「木を見て森を見ない」どころか、一本の木にさえ関心を示さない人々が増えていることが残念でならない。

【思ったこと】
_20307(木)[心理]第11回エコマネー・トーク(5)ひよこさんからメイル届く

 この連載についてエコマネーのMLに報告したところ、ひよこさんからいくつかご指摘をいただいた。ちなみに、ひよこさんとは岡田真美子氏ご当人のことだ。今回のトークで配布された岡田のプロフィールには「ドイツ・ボン大学で哲学博士、趣味は勉強をすることと授業をすること、特技は水泳・小堀流踏水術2段」と書かれてあったので哲人(鉄人?)のような女性を想像していたが、なっなんと、ひよこが登場されたのでビックリしてしまった。

 3/3の日記および3/5の日記に関して、ひよこさんからご指摘いただいた点を、一部長谷川の言葉に置き換えて要約させていただくと、
  1. 今回報告があった431件のやり取りというのは最初の2か月のもの。次の2ヶ月でまた400件を超えるやり取りがあった。
  2. 「できること」、「お願いね」という登録メニュー表はレストランの見本模型みたいなもので、あれによる取引は全体の5分の1以下であった。メニュー表に載らない取引の事後申告も多く、サービスの分析はメニュー表ではなく家計簿の結果でしないとあまり意味がない。
  3. 私が「個別的なニーズに根ざしたものであり、全体として何かの課題に取り組むものではなかった」と書いた点については、一部には、「次第にエコな生活をめざそう」というような課題解決型の流れもできており、個人的なニーズの解消レベルで自己完結するものとは言えない(←この部分は長谷川の言葉)。いずれにせよ、まず目的ありき、ではなく、まず いっしょに楽しいことをしよう、という発想は大切。
  4. 3/3の日記で長谷川が書いた「キャンパスエコマネーの3つの形態」
    1. 大学内での勉学互助(各自の研究発表の相互リビュー、卒論下書きのチェック、留学生の援助、共同研究、自主ゼミなど)
    2. 大学環境内での諸活動(パソコンやネットに関する互助、草取りや掃除などの環境整備、リサイクル活動など)
    3. 大学と地域住民との交流
    に関しては、姫路でも、1.も2.も、また1+3、2+3も行われていた。例えば、学生に何かしてもらうときにも、学生に頼まれて教員が動く時にも、イベントの準備も、企画書書きも、みんなエコマネーのやり取りがある。つまりサービスがあるところエコマネーがある。
  5. パートナーシップが形成されるその過程がすでに課題解決をうながす協働の時間。実際にマネーをうごかすとそのことが良くわかる。「おこす」→「つなぐ」→「まわす」で、つなぐ、ということが非常に大切。なによりもまずエコマネー実験を実践することが、エコマネーを知る一番の早道。いろいろな課題を掲げるより、まずパートナーシップを築くことを課題にすると、無理なくたのしく、そのさきの課題に取り組んでゆける。
以上、長谷川の言葉に置き換えた部分もあるので、誤解している点や理解の至らない点があればご容赦ください。

 上記のうち3.に関しては、グリーン購入によってエコマネーをゲットするとか、ディスカッションの中で加藤先生が、「ゴルフ道具を車に積みっぱなしにしない」「家族で順番にお風呂に入る時には間隔を開けない」、「車の急発進をしない」などを守った時に自己申告でエコマネーをゲットするというアイデアが披露されたことを思い出した。

 4.の「キャンパスエコマネーの3つの形態」に関しては、果たして単一のエコマネー体系だけで成り立つものなのか、それとも、互換性のないエコマネーを2種類以上並行的に流通させるほうがよいのか、私自身まだ考えが進んでいない。垣根を取り去るという点から言えば、何でも使えるエコマネー1種類のほうがよいに決まっているけれど、やり取りを活発にするという視点からは、タイプの異なる複数のエコマネーの流通があってもよさそうに思う。

 5.の「いろいろな課題を掲げるより、まずパートナーシップを築くことを課題にする」という発想は、マロットらのいう「目的指向システムデザイン」(『行動分析学入門』、ISBN4-7828-9030-3)とは対立するようにも見えるが、

●コミュニティ内での社会的・般性習得性好子を創造することは、ツールではなく、それ自体がすでに課題解決を内包している

と考えれば、納得ができる。次回に続く。