じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] カランコエ。ラウイ(Laui)と呼ばれる品種。一昨年は1/21、昨年は2/3の日記で紹介している。長持ちするどころか、放っておくと他の鉢に落ちた葉から芽がでてどんどん増えていく。





2月16日(土)

【ちょっと思ったこと】

群馬県世田谷区川場?

 2/17の朝日新聞によれば、群馬県川(←老眼で見間違えていました。nm様、ご指摘どうも)村が東京都世田谷区との合併を検討しているという。群馬県民であり続けながら世田谷区民になるというのは奇妙な話しだが、法的には可能だという。世田谷育ちの私としても無関心ではいられない話題だ。

 記事によれば、県境をまたぐ合併の動きはあるが県境を接しない飛び地合併は例がないという。もっとも、近畿地方の地図を見ればすぐ気づくように、三重県と奈良県の県境付近には和歌山県の飛び地がある。東京都・小笠原諸島のように何百キロも離れた陸地が1つの自治体を形成しているところもある。村長の言葉にもあるように「近いから合併する」という固定観念のほうがおかしい。

 内山節氏の著作にも示されているように、生きがいの原点は農山村の暮らしにある。低料金で利用できるような区立の休養施設が川場村に建設されれば、大都市住民にとっても大きなメリットになるものと思われる。

 それにしても、両自治体の規模はずいぶんと違う。川場村85.3平方キロ、世田谷区は確か50平方キロちょっとだったと思う(←追記:こちらによれば、58.08平方キロメートル)ので面積だけは対等。しかし、人口は世田谷の約80万人に対して川場村4000人、歳入は世田谷区の約2080億円に対して川場村27億円。ということは、200人の世田谷区民に対して川場村1人、予算は、20万8000円のパソコン1台に対して2700円のマウスを買うようなものだ。合併が実現した場合、区議会選挙の際の一票の格差はどうなるのだろうか。




デパートの屋上に何があるか

 昼食時に視た(←正確にはチャンネル権を握っている娘に「視させられた」)「王様のブランチ」によれば、デパートの屋上(デパオク)は最近ではずいぶんと多様化しているようだ。球技場(フットサル)、ミニ動物園のほか、花屋を兼ねた英国式ガーデンを設置しているデパートもあるという。

 デパートの屋上などというと、昔ながらの遊園地か、中高生が群れるゲームセンターかぐらいしか頭に浮かばなかった。英国式ガーデンを見ながらスコーンを食べてコーヒーが飲めるとあれば、ちょっとした時間待ちには最適だ。こんど上京したら行ってみようかと思う。

 それにしても、屋上というのは今まであまり活用されてこなかったスペースである。私が住んでいるアパートも、大学の研究棟もすべて立ち入り禁止。これは、転落事故防止目的のほか、防水シートが傷むという根本的理由があった。法制化が進めば、最初から屋上庭園可能なビルが建ち並ぶようになる。なんでも、23区内のビルの屋上の総面積は港区の面積に匹敵するとか、都市砂漠型の異常気象緩和と、自然との共生を目ざす「癒し」空間実現のために、もっと活用するべきだ。それと、英国庭園でスコーンを食べるのもよいが、枯山水の庭園を眺めながら抹茶が飲めるという日本古来の伝統空間、あるいは、屋上水田でメダカやドジョウを飼うという農村型癒し空間の実現にももっと取り組むべきだ。

 余談だが、番組の終わりのところで、屋上果樹園を育てている白鳥さん(89)が紹介されていた。白鳥さんのビルは大森駅近くにあり、少し前にもNHK「ひるどき日本列島」で紹介されたばかりであった。上がることはできないだろうが、大森駅に行く用事があればぜひ立ち寄ってみたい所だ。
【思ったこと】
_20216(土)[心理]今年の卒論・修論研究から(10)そろそろ見直したい「因子分析」型卒論(後編)

 昨日の日記の続き。後編では、『複雑さに挑む科学〜多変量解析入門〜』』(柳井晴夫・岩坪秀一、講談社ブルーバックスB297、1976年)に挙げられていた分析事例について考えてみることにしたい。

 この本では「政治家の好き嫌いの因子分析」(p.111〜)と「俳優、歌手に対する因子分析」(p.123〜)が事例として取り上げられている。どちらも25年以上前のデータ(1976年2月実施、男性60名、女性40名、平均26.2歳)であるだけに、そこで抽出された因子が、果たして「真の潜在因子」を反映していたのか、それとも「冗長で不要な情報を切り捨て、重要な情報のみをとり出し、自己の知識として役立てるツール」として有用であったのかを考える好材料になっている。

 詳しい説明は省くが、「政治家」の調査では当時の26人の政治家に対する好き嫌いが○△×の3段階で評定された。その結果抽出された因子は
  1. 保守系(ニクソン、田中角栄、キッシンジャー、吉田茂、中曽根康弘、...)
  2. 革新左派(不破哲三、宮本顕治、....)
  3. 革新右派(江田三郎、河野洋平、...)
  4. 中国系(周恩来、毛沢東)
  5. 庶民性(佐々木更三、宮田輝、...)
であったという。25年たったいま考えると、これらは単に当時の政治勢力やイデオロギーを反映したものにすぎないことが分かる。少なくとも、100年単位で通用するような「事象の背後に潜む普遍的な因子(p.134)」を発見したものでなかった。




 次の「俳優、歌手」に対する調査では、同じ対象者に26人の俳優(または歌手)の好き嫌いを評定させた。こちらのほうの因子は
  1. 庶民性(菅原洋一、石坂浩二、加藤剛、...)
  2. ヤング(萩本欽一、山口百恵、岩崎宏美、...)
  3. 歌唱力(美空ひばり、藤圭子、森進一、...)
  4. 美人女優(栗原小巻、吉永小百合、山本富士子、...)
  5. コミカル(渥美清、北島三郎、三波伸介、...)
が挙げられているが、政治家の好き嫌い同様、いまの時代にこの5因子を「潜在因子」と呼べるかどうかは甚だ疑問である。
 芸能界のことはよく分からないのだが、調査が行われた1976年以降、どの因子にも含まれない独自の要素をもった新しいタイプのスターが出現したかどうか、その出現によって新しいファン層が開拓されたかどうかを確かめることも大切である。もしそのような事実があれば、上記の分類は芸能産業にとって有用なツールであったと評価できるだろう。

 念のためお断りしておくが、この本に挙げられた事例は決して「潜在因子」を強調したものではなかった。134頁以降に「因子分析における注意点」として記されているように、数人のスターを調査項目に追加するだけで新しい因子が抽出されることもあるし、調査対象者の年齢層を変えると上記の因子が消失することだってある。要するに一度の調査データだけからは断定的な解釈はできないということだ。

 心理学の卒論・修論の研究対象となる、「老い」の問題や、ケータイ・Eメイルの問題なども時代とともに大きく変わる可能性が高い。因子分析はやはり現状の整理ツールとして考えたほうがよさそうだ。

 なお心理学の卒論・修論では、このほか、重回帰分析もしばしば用いられる。これについてはまた別の機会に考えを述べたいと思う。