じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

1月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真] 近くのスーパーで「全国駅弁まつり」があり、昼前に妻と買い物に行く。駅弁コーナーの前にはスゴイ人だかり。日頃「このスーパーは値段が高いので行かない」と言っていた某・同僚夫婦の姿もあった。いつもと違った味へのニーズが大きいためだろうか。これなら駅弁産業も安泰。但し、添加物の多さがちょっと気になる。





1月27日(日)

【ちょっと思ったこと】

荒木経惟氏

 大相撲を視たあとTVをつけっぱなしにしていたら、“課外授業ようこそ先輩 「写真家・荒木経惟」”という番組が始まった。荒木氏と言えば、私のような世代には過激なヌード写真ばかり取っていた方という固定観念が抜けきれないのだが、実際には、お年寄りの顔写真をはじめ、ずいぶん多彩な活動をされているようだ。番組で紹介された「いちばんいい写真3枚」は、花屋のおばあさんの笑顔、俳優の笠智衆さん、それと、私にはショッキングな、お母様の臨終の顔写真だった。

 ところで以前から、荒木氏はなぜ「経惟」という宗教っぽいお名前なのかと疑問に思っていたのだが、なんでも、生家のご近所の浄閑寺の和尚さんが名付け親だったとか。やっと謎が解けた。



学力向上競争が無制限・無秩序に?

 1/27の朝日新聞記事によれば、文部科学省が17日に発表した『学びのすすめ』について、「学力向上競争が無制限・無秩序となり、子どもたちに過度な学習負担を強いる危惧を感じる」との発言が某教育団体の某集会であったという。全体の文脈が分からないので何とも言えないが、
  • 学力向上のための努力
  • 学力についての競争
という2つは全然別物ではないかなあ。個々人が学力向上のために努力することは、子どもでも大学生でも大いに結構であり、そこには制限も秩序も要らない。いっぽう、「学力についての競争」というのは受験勉強のことを言うのかもしれないが、じゃあ、制限や秩序のある学力向上競争っていったい何だろうか。センター試験の問題を見ていると確かに、こんなことまで覚えさせなくてもよいのにと思う部分はあるが、勉強したい人が好きなだけ勉強することは学習負担とは言えないはずだ。勉強したくない生徒には別のテーマで努力をさせ、そのプロセスと成果を正当に評価できる高等教育システムさえあれば、それでよいのでは?


【思ったこと】
_20127(日)[教育]日本人・大人の科学の基礎知識は14カ国中12位なのか?

 文部科学省・科学技術政策研究所が行った科学技術に関する意識調査・- 2001年2〜3月調査 -の結果が、1/27の天声人語などいくつかのマスコミで取り上げられ注目を浴びている。しかしその扱い方は、アサヒコムの【科学・自然ニュース】(1/24)毎日・子育て・教育などの見出し:
  • 科学の基礎知識、日本人は14カ国中12位
  • 科学技術の国民理解・関心、日本は最低レベル 基礎知識正解5割、14カ国中12位
にあるように、もっぱら日本人国民のふがいなさを強調される扱いとなっている。

 調査そのものは、ざっと見渡しだだけでも
  • 「科学的発見」関心度指数得点国際比較
  • 「技術発明利用」関心度指数得点国際比較
  • 「医学的発見」関心度指数得点国際比較
  • 「環境汚染」関心度指数得点国際比較
  • 科学技術基礎的概念の理解度
  • 科学技術に対する態度
  • 科学的研究等の利害
  • 科学技術の情報源
  • 科学技術の情報源:科学技術雑誌購読
  • 科学技術理解増進活動の名称周知度
  • 科学技術理解増進活動への意見:理解増進に努力すべき層
  • 科学技術理解増進活動への意見:研究への国民理解に必要な取り組み
というように多岐にわたっているのだが、「科学技術基礎的概念の理解度」だけに関心が向けられがちなのはやむを得ないところか。この日記でも、とりあえずこの部分だけについて考えを述べたいと思う。

 さて、社会調査のデータに多少関心がある方ならば、この「理解度」テストの結果を見て、あれっと思ったはずである。もし、アサヒコムの記事にあるように“「初期の人類は恐竜と同じ時代に生きていた」。○か、×か”というような質問をされていたのなら、正解率が25%や23%などになるはずはない。仮にコインを投げて○×を決めても50%前後に落ち着くはずなのだ[お互い更新日記(1/27)に関連記事あり]。

 もういちどもとのサイトの帯グラフを注意深く見ると、どうやら、解答は、○、×、「わからない」のいずれかから選ぶようになっている。しかし、三択問題をデタラメに答えても33%程度の正答率は確保できるので、これより下がるのは奇妙である。じっさい、質問項目を眺めると、正答率が最も低かった2つの質問に関しては、
  • 「男か女になるかを決めるのは父親の遺伝子である」=正答25%、誤答44%、わからない31%
  • 「抗生物質はバクテリア同様ウイルスも殺す」=正答23%、誤答49%、わからない29%
となっていた。少なくともこの2問に関しては、「分からない」人が多いのではなく、「間違って覚えていた人」、「誤解していた人」が多数を占めていたという解釈をしなければならない。おそらく、一般常識から類推するとかえって誤りとなる内容であったためであろう。となれば、少なくともこの2問に関しては、日本人は「知識が無かった」のではない。なまじっか中途半端な知識があったために、ヒッカケられたと考えるべきである。

 この種の知識調査では、正答率の高低が解答者にとってどういうメリット、デメリットをもたらすか(←行動分析的に言えば、解答行動に対してどのような行動随伴性が用意されているかという意味)についても留意する必要がある。仮にこれが入学試験であったとするならば、解答者は少しでも正答率をあげるような方略をとらざるをえない。その場合は、全く分からない質問であっても○か×かどちらかを選ぶはずだ。「わからない」と答えても何もメリットが無いからである。いっぽう、点数を競わないタダの調査であり、答えるのが面倒でたまらない時には、多少知っていても「わからない」を選ぶ確率が高くなる。

 この調査は「調査員による面接聴取(訪問面接法) 」と記されているだけで、細かい文脈は分からないが、調査員の面前で「わからない」と答えることが恥になるかどうかによっても、正答率も大きく変わるはずである。

 このほか、いくつかのクラスターに分かれることが示されているのに、その配分や重みづけを考慮せずに10項目の正答を単純合計して国際比較をすることにも問題があると思う。また、この調査が国際比較に使われることが事前に知らされていると、愛国心旺盛な国の解答者は少しでも得点を上げようと、「わからない」を回避するだろう。また、ゼッタイに自信が無い限りは常に「わからない」を選ぶという慎重な人が多い国があれば、結果的に正答率は下がる。結局のところ、正解率なるものは、
  • その質問をわかっていて確信をもって選んだ人
  • デタラメに選んで偶然に当たった人、外れた人
  • その質問の解答に確信が持てずに「わからない」を選んだ人
などの分布の文化差を考慮した上でないと、単純にランクづけするわけにはいかないと思う。