じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 大学近く、座主川沿いのロウバイの花。下から見上げるように眺めると美しい。





1月24日(木)

【ちょっと思ったこと】

あと一週間が勝負

 このWeb日記を毎日ご覧になっている方ならお気づきかと思うが、このところTV番組ネタがやたらと多い。いちばんの理由は昼間の仕事でくたびれて、長い文章を書く気力が無いためである。とりわけ今年はゼミの人数が昨年の倍以上となっており、卒論執筆指導に費やす時間が多い。また、ハッピー・マンデーのとばっちりで、28日から30日は3日連続で月曜日の時間割の授業をすることになっている。その準備も結構たいへんだ。しかし、卒論の締切まであと一週間。ここを乗り切ればかなり楽になるはずだ。




ケータイの絵文字

 ということで19時半からのNHKクローズアップ現代「絵文字の謎〜IT時代・変わるコミュニケーション〜」の話。ケータイで交わされるメッセージには絵文字が多く、国立国語研究所の調査では、文字の15%を占めているという(番組では12.1%という別のデータを示していたようだが出典を失念した)。

 番組で説明されていた内容を聞き取った範囲でメモすると
  1. 起源は、パソコン通信時代から存在した顔文字にある。「(^_^)」を初めて使ったのはワカン(←ハンドル)さんという方。欧米でも左右に並べた文字列を左を上にすると顔の形になるような顔文字(はっきり再現できないが、(:-=)というようなもの)があったが、発信者の顔の特徴を表す固定的なものだった。これに対して、日本では、自分の感情を表現するような多彩な顔文字が考案されていった。
  2. 情緒的な一体感を醸し出す効果がある。
  3. 今の若者は語彙が少ないと言われるが語用には長けている。語彙文化から語用文化。
  4. 象形文字的な使い方もある。例えば「OK」の上端と下端に横線を引いたシンボルは「病気」という意味になる。これはベッドの上で左を頭にして大の字に寝ている形に由来。
  5. 日本語特有の丁寧表現を絵文字に置き換えたもの。文字だけだの冷たい印象を避ける効果もある。例えば、「朝8時に会いたい」と言えば命令口調になるが、「申し訳ないのですが 朝8時に おめにかかることは できないでしょうか」と言うと丁寧になる。この付け加え部分(行動分析で言うところのオートクリティック)を絵文字に置き換える。
といった内容。ケータイでのEメイルなどというのは、パソコンを介して行われるEメイルの簡略版や応急版だと思っていたが、このような形で、全く異質の、絵文字つき短文が交わされていることは、私のような世代にとっては驚きであった。

 もっとも、番組の説明だけでは分からないところもある。

 まず絵文字率が12%だとか15%だとか言っても、どういう人々が、どういう文脈で、文章のどの部分に絵文字を使っているのかをもう少し詳細に調べる必要がある。上の例の「OK=病気」、あるいは番組で紹介された「お餅」や「エステ」を表す象形文字は、名詞的なアイコンであって、丁寧表現や感情表現を付加するというオートクリティック的な機能とは全く異質なものである。番組の初めのほうでは、象形文字的な使い方を紹介し、終わりのほうで「絵文字=丁寧表現説」を紹介したために、説明が不整合になってしまった。

 それから、ケータイにおいて、どのような形で文字入力(漢字や絵文字の変換)が行われるのか、手間の度合いも大きく影響していると思う。私自身はそもそもケータイなど使っていないので入力のしかたを全く知らないのだが、親指でピコピコと文字を入れていく早業にはいつも驚かされる。しかし、ローマ字変換が容易にできるパソコン・キーボードほどには、短時間に豊富な語彙をしたためることはできないはずだ(それができるならパソコン・キーボードも同じ入力方式になるはず)。となると、絵文字入力の簡便性とか、文字数の節約などのメリットも大きく影響しているはずである。

 番組では、象形文字を起源とする漢字文化に根ざしているというような説も紹介されたようだが、これも慎重に吟味する必要がある。ケータイの文字コードのことは全く知らないが、少なくとも欧米の1バイト系文字ではあのように多様な絵文字を送信したり表示したりすることはできないはずだ。コンピュータ、ワープロ、ネット通信が普及する過程で、漢字文化圏の人々は、2バイト系文字のコード整備のほか、文字列(熟語など)変換という画期的な機能の改良に取り組んできた。その副産物として絵文字による伝達が可能になったことも考慮する必要があるのではないか。つまり、欧米のケータイには、絵文字を送りたくても、そもそもそういう機能が無いという点も考慮に入れる必要があると思う。



森永太一郎氏

 みのもんたさんの「今日は何の日」によれば、1月24日は森永製菓の創業者の森永太一郎氏が亡くなった日であるという(1937年、71歳)。会社の創立者紹介にあるように、森永は1865年、佐賀県伊万里の出身。家業が倒産したあと、米国で伊万里焼の販売を試みるが高すぎて売れず。公園のベンチでひもじいで座っていたところ隣の夫人からキャラメルをもらう。これがきっかけとなって西洋菓子の技術を学び、1899年、東京の赤坂に森永西洋菓子製造所を開業。ケーキやマシュマロを製造ののち、「滋養豊富 風味絶佳」で知られるミルクキャラメルを日本で初めて発売した。湿気の多い日本の風土に合わせて洋菓子用のワックス紙で一個一個を包むなど工夫を重ね。1914年、タバコの紙箱にヒントを得てポケット用のキャラメルを売り出し大ヒットとなった。

 上記の会社サイトを見て初めて知ったのだが、森永太一郎は熱情的なクリスチャンであり、1935年に69歳で引退後は伝道活動に入ったという。あのエンゼルの商標もキリスト教に関係していたのね。

 私の世代の場合、「森永」と聞くと反射的に「森永ヒ素ミルク事件」のことがどうしても頭に浮かんでしまう。この事件は1955年、森永乳業が製造したドライミルクにヒ素が混入していたために、推定二万人以上の乳児の体に異常をきたし百数十人におよぶの尊い赤ちゃんの命が奪われた、戦後最大規模の薬害事件であった(関連記事が、中坊公平氏のエッセイや、はせがわくんきらいやにある)。私などもあと3年遅く生まれていたらこの被害に遭っていた可能性が大きい。

 念のため、森永製菓と森永乳業の関係を森永乳業のサイトで調べたところでは、森永乳業はもとは日本煉乳株式会社という名称で1917年の創立。1921年に森永ドライミルク(育児用粉乳)を発売とあった。森永太一郎氏の略歴の中にも「1921年、日本最初の育児用粉乳発売」とあるので、ルーツが同じであることは間違いなさそうだ。いま風に言えば、雪印乳業と雪印食品の関係のようなものか。

 ヒ素ミルク事件裁判のその後の展開については、私は殆ど知らない。森永太一郎氏のご存命中に起こっていれば、「森永」の栄誉を汚す不祥事としてさぞかし悔やまれたことであろう。また、1955年に起こった事件の裁判が20年間も長引いたということが、何はともあれ、被害者や関係者に大変な苦痛を与えたことは事実である。それと、その時の教訓をきっちりくみ取っていれば、今まさに問題になっている雪印食品や、少し前の雪印乳業の低脂肪乳をめぐる問題などが未然に防げたのではないかなどと思ってみたりする。