じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 春を待つ芽。たぶんハクモクレンだったと思う。





1月15日(火)

【ちょっと思ったこと】


髪を染めること

 昨日の日記で、モーグルの上村愛子選手の見事な「金髪」のことを書いたが、TVで伝えられた各地の成人式でも、かなりの若者が髪を染めているように見えた。毎朝見ている「おはよう日本」の女性キャスターもちょっぴり染めているし、最近は私の学部の50代の教授も複数、赤系統に髪を染めている。「チャパツ」が登場した頃にはずいぶんと違和感があったものだが、いまや完全にファッションの一要素になってしまった。「恥を知れ!黒髪を守れ!」などという右翼系のステッカーが空しく褪色している。

 髪染めの心理はどういうところにあるのだろう。白髪が多くなった50代以降の場合は、おそらく「若さを保ちたい」という願望があるのではないかと思う。他人の目はどうあれ、毎朝鏡を見たときに白髪が目立つとそれだけで元気を無くしてしまう人も多いのだろう。

 いっぽう、若者が髪を染めるのはなぜだろうか。アクセサリと違って、髪を染めるということは少なくとも1カ月程度は自分の外見を変えることになる。それまでと違った自分が見えてくるためだろうか。誰か卒論で研究してくれないかなあ。



 髪染めとはちょっと違うが、男性の場合、ヒゲを伸ばす人がもっと増えてもよいのではないかと思う。私の学部では時たま、そういう教員が現れるが、たいがいは一度試みてやめてしまう。理由はよく分からない。
【思ったこと】
_20115(水)[心理]月世界は観光名所になりうるか?

 このところ、「ルナ・クルーズ・プロジェクト」の影響だろうか。いくつかのニュースサイトや新聞記事で、月への観光旅行のことが取り上げられている。宇宙船の設計ばかりでない。宇宙飛行士のような苛酷な訓練を受けずに月まで往復するとなると、ベッドや宇宙服もそれなりに作り替えなければならない。実現不可能であったとしても、「仮に実現させるとしたら何が必要か」を検討することは何らかの役にたつかと思う。現にアポロ計画の時に開発された諸技術は、その後の地上生活にも大いに役立っていると聞く。

 しかし、そもそも、月旅行に参加しすることはいったいどういう感動をもたらすのだろうか?

 ここでもういちど、旅行することの意義から問い直してみる必要がありそうだ。私自身が海外旅行を好むのは、その場所に二本足でしっかりと立ち、大空を仰ぎ、肌で風を感じ、大地に手を触れてみたいと思うからだ。その国の人々と直接会話を交わし、街角で食事をし、日本国内とは全く違った生活スタイルの一端を知ることもまた大きな喜びである。もし、それらを体験できないのなら、テレビの海外取材番組を視ればそれで済むこと。わざわざ金を使い、事故に遭う危険をおかしてまで飛行機に乗る意味はまるでない。

 ところが、月旅行の場合はどうだろうか。そもそも空気が無いのだから、月の大地を肌で感じることは不可能。星はよく見えるだろうが、星空そのものは地球の大気圏外に出たときから全く変わらず、特に新鮮味は無いはずだ。青い地球の姿も、月に着陸した後よりは、地球から月に行く途中のほうが、迫力があるはずだ。


 旅行というのはまた、最終目的地よりも辿り着くまでの能動的な関わりから充実感が得られる場合もある。山登りなどはその典型であって、苦労して山頂に達すればこそ感激があるのだ。ところが、月までは自分の足で歩いていくわけにはいかない(仮に歩道がつながっていたとしても384401kmの道のりを毎日20kmずつ歩いたとすると、片道だけで52年以上かかってしまう)。宇宙船で達するというのは、ロープウェイで山頂展望台まで連れていってもらうようなもので、達成感は殆どあるまい。単に「自分は月に行った」という記録的価値だけに自己満足するだけかもしれない。

 このほか、地球の1/6の重力体験についても、月に達するまでの途中で無重量状態を体験しているので逆に体が重く感じるのではないかと思われる。ま、新婚旅行として月のホテルに泊まるなら、かなり新奇な体験ができるとは思うが。それにハネムーンというぐらいだし.....

 というように考えてみると、「月への観光旅行」のためには何が必要かを考える以前に、「月への観光旅行」の道中にどういう行動が強化されうるかということをまず考えてみたほうがよいのではないかと思う。SF映画のせいで、他の天体の上でも自由に歩き回れるような錯覚をしている恐れはないか。無人探査機を地球上から遠隔操作してスクリーンに映し出すのと、自分自身が宇宙服を着て月面を歩き回るのと、能動的にできる行動のリパートリーには大差ないようにも思えるのだが。