じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ロウバイ(蝋梅もしくは臘梅)。英語ではWintersweetという愛らしい名前がついている。春に咲く梅とは別の種類のようだ。





12月31日(月)

【ちょっと思ったこと】

年末こそ、絶好の機会なんだが

 年末は家族が協力して大掃除、買い出し、飾り付け、おせち料理などの準備に取り組むべきだと思う。これにより子どもたちは、祖父母から生活の知恵を学ぶとともに、少しずつ大人の仲間入りをする喜びを感じるものだ。こういうせっかくのチャンスなのに、妻と娘は小倉のデパートまでショッピングに行ったきり、夕食時まで戻ってこなかった。
【思ったこと】
_11231(月)[生活]ゆく年くる年の所感

 岡山から北九州に向かった29日、NHKラジオに元マラソン選手の増田明美さんと、元小結の智乃花さん(「の」の字が「乃」であったか「ノ」であったか不明)が出演されていた。いずれも私よりは遙かに若い方だが、スポーツ選手としての「現役」をすでに「引退」し第二の人生を踏み出しておられる。

 スポーツ選手の場合は、どんなに努力を重ねても、筋肉や骨の衰えを克服することはできない。いつどのような形で引退をするか引き際の見極めが難しいが、本人が何を望もうと、結果が悪ければ容赦なく下位に追いやられてしまう。たいへん厳しい世界だと思う。

 私のような職業の場合も、ほんらいは、老化に伴って、「やりたかったができなくなったこと」、「やりたいができそうもないこと」、「これからできること」、「まだできること」などがはっきりしてくる。新しいスキルを身につけることは困難になる一方、まだしばらくは蓄積した知的資産を有効に活用できる見通しがあるというのが今の段階かと思う。




 では何ができるか。その基本は、「発展」(ひょっとしたら「暴走」)を続けてきた科学技術を、人間がよりよく生きるためのツールに作り替える作業であり、そのためには、能動的存在としての人間、自然との共生の中で多様な可能性を探り続ける人間の地位を取り戻すことがぜひとも必要である。その基本原理、というか最も有効なツールとして私が前提としているのが、スキナーによって提唱された「行動随伴性」の原理である。この原理からの「援用」として私が提唱しているのが、
  1. 人間の本質は「能動する」ことにある
  2. 「能動」は、その結果によって変わる
  3. 生きがいは「能動」の起こり方によって決まる
という3点であり、これに基づいて高齢者福祉、働きがい、環境問題、教育、経済、競争「原理」などを考えていくことを基本方針として保ち続けたいと思っている。

 私は別段新興宗教の教祖ではない。上記の3つの前提はあくまでツールであり、絶対的に正しいかどうかを検証するような性質のものではない。そのツールを活用して具体的な課題がどこまで改善できるのかを示すこと、そのツールで解決できない問題として何が残されるのかを見極めようとしているだけのことだ。だから、そのツールにはいつでも改良できる余地がある。

 2001年はこうした方針に沿って、ダイバージョナルセラピー、エコマネー、人間・植物関係学会、英語教育などに新たに関与していったわけだが、最近特に思うのは、個々の行動の改善ではなく、
  • 現に行われている行動全体のバランスをどう評価するか
  • 長期的な時間の流れの中での行動やその結果をどう位置づけるか
という点。そこには行動随伴性とは違った新しい説明原理が必要なようにも思うのだが、確かなものには行き着いていない。すでに取り組んでいるテーマを深めるとともに、さらに多様な「現場」にふれてみる必要があると思っている。