じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 農学部農場の中国野菜。正月前なのにもう黄色い花が咲いている。たぶんチンゲンサイ。





12月26日(水)

【ちょっと思ったこと】

冬休みのくらし方

 娘が中学から配布された印刷物の中に「冬休みのくらし方」というのがあった。小学校までとは著しく異なり、非行対策も万全のようだ。

●無断外泊・夜間外出(深夜徘徊)・外泊・飲酒・万引き・無免許運転はしない。

 こういう注意書きというのは、「誰もそんなことはしない」ことまでは書かない。例えば、

●道ばたでウンチはしない

とか

●道路の真ん中で昼寝はしない

などは「してはいけない」ことの1つではあるのだが、誰もする人が居ないのでわざわざ注意する必要ない。ということは、上記の注意書きは、「放っておけばする人が居る」という意味にもとれる。

このほか、

●生徒だけのクリスマスパーティなどは許可しない。

というのもあった。小学生だったら子どもたちだけでクリスマスパーティをやっても誰も文句は言わないが、中学生ではキケンということなのだろう。

多少気になるのは、注意書きのどこを見ても

●タバコを吸ってはイケナイ

と書かれていない点である。どこの学校か知らないが、アパートの下の道路では時たま、制服を着た生徒がタバコをふかしながら自転車で下校しているのを見かけることがある。まさか黙認というわけではあるまいが。

 注意書きの中には

●年末・年始を家族や親戚の人たちと一緒に過ごし、絆を深めあおう。

というのがあった。昨日あたりから娘がイヤになれなれしくしてくるのはそのせいかと思ったが、どうやら別の魂胆があったようだ。1つは、「パソコンで年賀状の印刷をしてほしい」ということ、もう1つ、スピッツとやらのホームページを閲覧したいということ。
【思ったこと】
_11226(水)[心理]「事例」はどう扱うべきか(その2)

 昨日の日記の続き。少数の事例を扱うというのは、「対象の選び方」についての議論であって、実験や観察や質問紙調査や面接といった方法とは別次元の話題である。

 それゆえ、「自分は実験をやっているので事例研究には関心がない」というのは必ずしもあたっていない。極端な場合、20人の被験者を2群に分けて群間比較をした場合でも、それは、あるパラメターの1つを固定して比較した場合の事例と言えないことはない。例えば、「バックグラウンドミュージックが作業遂行に及ぼす効果」を検討する実験を行うといっても、あらゆる音楽とあらゆる作業について調べることはできない。仮に「軍艦マーチがパチンコに及ぼす効果」を実験的に検討したとしても、それは「軍艦マーチという音楽の一事例」と「パチンコという作業遂行の一事例」を扱っただけの研究にすぎず、そこからの結論の一般化に限界があることは否めない。

 上記はあくまで極論であり、いっぱんには「事例研究」と言えば、少数の対象者(被験者、参加者)についての詳細な研究を意味することが多い。昨日も述べたように、この場合、

●一般法則を導こうとするのか、それとも、多様な現象についてなるべくいろいろな事例を引き出そうとするのか

によって、対象の選び方も、要求される事例の数も変わってくる。




 最近、卒論研究の場合と、修論や博士論文の場合では対象の選び方は多少違っていてもよいのではないかと思うようになった。

 卒論研究の場合は、学術的な成果は必ずしも期待されない。3年次までに学んだスキルを活かし、先行研究や現状を十分に把握した上で「問題設定→研究方法の選択→研究の遂行→結果の分析→的確な結論の導出」の力を養成するという教育的な成果のほうがむしろ求められる。適切な事例を十分な数だけ揃えるには時間も経費もかかるため、卒論生が自力で解決できる限度を超えている。対象の選び方には偏りがあってもよいから、とにかく、その対象について的確な分析ができればよいのではないかと思っている。

 これに対して、学術的な成果が求められる修論や博論の場合には、対象の選び方そのものも評価基準となるように思う。一般法則を導こうとするならば、想定される母集団からの無作為抽出をするか、どれを対象としても結果は変わらないはずだという、均質性についての理論的保証が必要である。それらを必要としないのは、「その法則はすべての対象においていかなる条件でも成り立つ」ことへの反例を示す研究に限られる。

 卒論研究では「被験者は大学生30名」などと言いつつ、実際には、心理学教室の学生とか、心理学の授業の受講生だけから協力者を募っている場合が多い。ま、それでも悪くはないだろう。しかし、修論や博論、あるいは学術雑誌掲載論文となると、それでは許されない。上に述べたような、無作為抽出もしくは理論的保証が無いものは成果としては認めがたい。

 では、卒論研究の場合は、対象の選び方はどうあれ、分析方法がしっかりしていればそれでよいのかという問題が残る。事例研究ではヘタをすると「こういうケースもあります。それとは別のこういうケースもあります」というように事例の羅列だけに終わってしまう恐れがある。それを避けるには、対象に何らかの比較軸を設けるとか、対象として選ばれる範囲を明確にする(安易に「大学生を対象」と書かず、「○○という基準を満たす大学生」というように)などの努力が求められる。