じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 妻のクリスマスグッズ。





12月20日(木)

【ちょっと思ったこと】

今年の授業終わる/歳の差

 木曜日は1コマ目に行動科学概論(分担)、13時から17時半までは卒論合同演習(提出1カ月前の発表会)が行われ、これをもって2001年の授業はめでたく終了した。とはいえ、28日までの間には全学の会議や研究関係の打ち合わせなどが控えている。年休が16.5日分余っているようだが、消化できそうもない。

 教室の忘年会は毎年同じような場所で同じように開かれるが、1つだけ変わっていくのは、じぶんと学生との年の差であろう。初めて教壇に立った頃は年の差はまだ10年未満であり、じぶんの後輩という感じが強かった。その後15年、20年と差が開くにつれて次第に「学生」という独自のカテゴリーができあがっていった。ところがあと5年もたつと、自分の息子と同じ世代あるいはそれより年下の学生を教えることになる。ずいぶんと違った印象をもつことになるのではないかと思う。

 同じような印象の変化は、高校野球の選手についても言える。中学の頃は「おにいさん」、高校の頃は「同輩だがしっかりしたヤツら」、その後は「若者たち」。これも今では「息子と同世代」となる。興味深いのは大相撲の力士であり、いつまでたっても自分より年長であるような錯覚を起こす。髷を結っていることと、じぶんより遙かに体が大きいためにそう見えるのだろうか。
【思ったこと】
_11220(木)[心理]クリティカル・シンキングのネタに「遺伝子組み換え食品」を使ってみる(後編)

 昨日の日記では、GM食品危険論とそれに対する疑義を以下のように紹介した。
  1. GM食品のような新品種は安全性の確認に問題がある
    →伝統的な品種改良(交配、F1品種、放射線、突然変異誘発剤、バイオ手法など)でも遺伝的な変化があるはずだが、安全性確認は行われていない。
  2. ノンGMなら安全か
    →STS(シンクロニー大豆。突然変異誘発剤により特定の除草剤だけに耐性を持たせたもの)はGM手法を使わずに突然変異させたものなので、加工食品の表示上は「GMでない大豆使用」とうたえる。
  3. GM食品はアレルギーを引き起こす
    →GM作物で新たに作り出されるタンパク質については検査済み。食物アレルギーは、GM食品登場以前からあった。
  4. GM食品以外は、何千年も食べてきたので安全
    →酒類は何千年も飲まれてきたが、れっきとした発ガン物質。
  5. GM作物の栽培は自然環境に悪い
    →農業自体が環境破壊の側面をもつ。GM作物のほうが農薬使用量が減るので悪影響の度合いが少ないと言える。
 川口氏の趣旨は、GM食品食品が安全であると主張することではなく、「どれがまともで、科学的な妥当性があるのかを、的確に判断できる」力が必要であることを説いたものであったが、ここではあくまで「クリシン」の視点からもう一ひねりして、
  • 上記の5つの議論は「GM食品は安全である」という根拠になるだろうか。
  • 上記の5つの議論以外に「GM食品は危険である」という主張はあるだろうか。
  • 「GM食品は安全である」ことが100%確認された場合、それをたくさん購入することに問題はないのか?例えば、農業生産にはどういう影響を及ぼすだろうか。
について考えを進めてみることにしたい。

 まず上記の1.であるが、伝統的な品種改良が安全性であるかどうかという議論の結果でGM食品の安全性が変わることはありえない。「遺伝的な変化」にも程度や質的な違いもあるだあろうから、積極的に安全性をアピールすることにはならない。控え目に言えるのは、「遺伝的な変化」は直ちには危険をもたらすものではないということぐらいだろう。

 次に2.は、「GMは危険」という風評を逆手にとった「ノンGM」便乗商法にふれたものである。その指摘自体は正しいとしても、「便乗商法があるからGMは安全」ということになはるまい。

 3.のアレルギーについての議論は、検査がしっかり行われていれば、安全性の根拠の1つになりうる。但し、既存のアレルギーとの複合的な危険や、長期的な摂取が及ぼす影響までチェックできるのかどうか、素人としては疑問が残る。

 4.は伝統的に摂取されてきたノンGM食品が安全であるとは限らないという事例にはなるが、GM食品自体の安全性を高めるものとは言えない。いっぱんに「検査」という手法で確認できるのは、「既知の具体的な危険」あるいは急性的に毒性が現れるような危険に限られる。想定されていない「未知の危険」については検査の手法が存在しえないのだから「予見不能」として扱われてしまう。多少の例外はあるにせよ、長年摂取されることで想定外の危険は低められるという一般論は否定できないと思う。

 5.は、いちがいには言えないと思う。9月7日の日記に書いたように、日本の国土は世界でも珍しい「温帯・多雨」の気候に属する。この国土はほうっておけば森林地帯になってしまう。棚田や里山などの美しい田園風景は、人が手を加えて作った風景である。それは農業による自然破壊というよりも、人間と自然との共生のモデルとも言える。

 病害虫に強いGM作物が開発されれば確かに農薬の使用は減るかもしれない。しかし、作業が容易になればコストが減り、単一品種の作付け面積が拡大するだろう。もともとそれぞれの地形や気候にマッチするかたちで栽培されていた名産品に替えて、種苗会社から独占的に提供される特定品種だけが商品作物として栽培されることになる。このことの弊害は計り知れないと思う。

 4月28日放映のNHKの番組NHKスペシャル:「アジアのコメが消えていく」では、5億2千万人という慢性的な飢餓人口を抱えながらその「主食」を捨てようとしているかにみえるるアジア農業の問題が取り上げられていた。GM作物はその危機をさらに加速することになるのではないかと危惧される。そういう意味では、「GM食品は安全ならそれでよい」ということでなく、もっと根本的に、それぞれの地域の自然との共生を前提とした農業、メジャーの支配を受けない主体的な農業をどう確立していくのかという問題を含めて考えていかなければならない。そこまで考えを広げることこそがクリティカルシンキングの実践になるのではないかと思う。