じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 行きつけの花屋で買ったヒヤシンスが早くも花を開き始めた。うしろは娘の活け花。





12月13日(木)

【ちょっと思ったこと】

「笑っていいとも」と「おもいっきりテレビ」で娘とチャンネル争い

 アパートと研究室が近いため、たいがいの日は家に戻って残り物などで昼食をとることにしている。そのさい、「昼どき日本列島」か「おもいっきりテレビ:今日は何の日」を視ることが多い。

 ところがこの日は、期末試験を終えた娘が先に帰っていて「笑っていいとも」を視ていた。娘によれば、昼の番組としてはこれが一番の楽しみなのだそうだ。「その番組にどういう意義があるか言ってみろ! 反論が無ければチャンネルを変えるぞ!」などと抗議した結果、CMになったところでやっと合意。

 私が「笑っていいとも」を嫌いなのは、オーバードクターの頃、夕食時に生協食堂備え付けのテレビで「銀河鉄道999」の再放送を視るのを楽しみにしていた時に、同じ頃に食事をする別の学生が途中で勝手に「笑っていいとも」再放送にチャンネルを切り替えてしまったことに起因している。NHKの動物番組などにも出演していたタモリさん自身は決して嫌いではないのだが、あの番組に関しては当時からいったい何が面白いのかさっぱり分からなかった。

 とはいえ、私がオーバードクターの頃に始まった番組がいまなお継続し、とうとう娘までがそれを楽しみにするということは、他の短命番組と違った底知れない魅力があるに違いない。これはスゴイことだと思う。

10/14追記]
こちらの資料室によれば、「笑っていいとも」が始まったのは1982年10月4日から。最初のゲストは桜田淳子さん




「笑って最期を迎えたい」とアパート暮らしの一生

 夕食後にNHK「にんげんドキュメント:笑って最期を迎えたい〜ニュータウン診療日記〜」を視た。番組の舞台となった千里ニュータウンは、11月中旬のにんげんゆうゆうでも一度紹介されたことがあった[11/21の日記参照]。医師の雨森(あめのもり)さんはもちろん、その時と同じ患者さんも何人か登場された。

 今回の番組でも感じたのだが、在宅医療(往診)が望まれる背景には、患者にとっての快適より経営や医師の利便性を優先した病院一般の非人間的な環境があると思う。5/13の日記にも述べたように、いまの大部分の病院は、高性能の医療機器によってとりあえず命を救い症状を軽減する治療を行えるものの、そこから先に必要な患者の自己治癒力を高める環境を整えていない。ならばオーストラリアのように、手術後3日で退院とすればよいのだが、それに見合うだけの往診や在宅看護体制が整っていない。入院日数の多いほうが病院が儲かったり保険金がたくさん貰えるということも長期入院の一因になっているかと思う。

 もちろん、単に、往診のできる開業医が多ければよいというものではあるまい。番組で紹介されたように、雨森さんは、パーキンソン病で呑み込む力が弱くなった患者さんがいれば錠剤から粉剤に切り替えるよう病院に依頼を出すとか、入院をいやがる患者さんに対してはねばり強く説得を続けるというように、患者本位の治療につとめておられた。長年の交流と信頼の絆がなければこういうことは実現できないだろう。

 今回は一人の医師の活躍という視点から団地における高齢者福祉の一面を描いたものであるが、病気にかかっていないお年寄りが団地の中でどういう暮らしをしているのか、どういう交流があるのかという部分も忘れてはなるまい(←番組でも少しだけそのシーンが出ていた)。医師の世話を必要としないお年寄りたちが何を生きがいとして団地暮らしを続けているのか、そのことと医療がどう連携しているのかという面からも取材を続けてほしいと思う。