じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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10月17日(水)

【思ったこと】
_11017(水)[心理]不確定事象の公表時期

 厚生労働省は16日、「簡易検査の段階で狂牛病の疑いのある牛を公表する」としていた方針を撤回、狂牛病であると断定された段階で公表することを発表したという。

 突然の変更は自民党や農水省側からの抵抗によるものだというが、「疑い段階公表」に比べて「確定段階公表」のほうが本当に風評被害は抑えられるのだろうか。

 いっぱんに「疑い」とは、ある事象の起こる確率がゼロレベルから「0より大、1未満」という不確定なレベルに変化したことを言う。「確定」とはその事象が「1」あるいはきわめて高い確率で生じる(た)レベルのことを言う。

 疑い段階での行動が、ゼロレベルと同様になるか、それとも確定レベルと同様になるかは、予測される事象の質(危険性か、有益性か)と付随する結果の質によって変わってくる。

 予測される事象が有益なものであり、行動してもマイナスの結果が想定されないならば、たいがいの人はそれをするだろう。例えば、「○○を食べると健康によいかもしれない」という不確定事象は、それを食べても害が無く、コストが安くて済む場合は選択されることが多い。神社のお賽銭なども、大した出費でなく「もしかして御利益があるかも」と思えば苦にならない。

 いっぽう、予測される事象がきわめて危険なものであった場合、というか、例え1度でも起こっては困るような場合であったとすると、「疑い」は「確定」と同じぐらいに回避されることになる。いくら「疑い」を隠しても、流通が停止されれば必ずどこかで伝えられる。牛肉を買わなくても不便が無い以上、無理をしてまで買おうという人はたくさんは居るまい。また、「疑いは公表せず」という方針は、「疑い」が頻繁にあるという悪印象を与えかねない恐れもある。

 「疑い」公表時の不安を解消するいちばんの方法は、行動分析でいう「消去」(レスポンデント消去)の技法を取り入れることだろう。「疑い」→シロ、「疑い」→シロ、「疑い」→シロ、.....というように、「疑いのたびに大騒ぎしたが精密検査はシロだった」という事象が反復されれば、「疑い」はそんなに心配するレベルではないということが初めて体感される。疑いを非公表にしてしまえばそうした消去は起こらないので、「何か隠しているのではないか」と、不信感を募らせる結果になる。

 風評被害というのは、情報が不足している時に生じる認知の歪みである。情報をオープンにし、「疑い」についての無用な不安を消去する以外に道はあるまい。公表から非公表への方針転換を迫った人々は、心理学のこういう原理をご存じなかったものと思われる。




 「疑い段階」での公表が弊害をもたらすのは、風評被害よりもむしろ「慣れ」がもたらす油断にあるように思う。火災報知器の誤作動はもとより、地震予知、噴火、風水害の警報などでは、「過剰に警戒すること」よりも「慣れにより警戒を怠ること」のほうが遙かに重大な損失をもたらす。

 この慣れの原理は、「オオカミが来た」とウソをついた羊飼いの少年の話に象徴されている。1度や2度は人を驚かせることがあるが、3度目となるともはや相手にされず、本当にオオカミが来た時に被害を防ぐことができなくなるという話だ。

 最近ではこうした油断を避けるために、「異常乾燥注意報」の「異常」という文字を外したり、むやみに長時間の警報発令しないような措置がとられていると聞く。少し前、岡山理○大学の地震予知情報が話題になったことがあったが、あれなども、「警報がもたらす風評被害」よりも「予測精度の低い警報を繰り返し出すことによる油断」があればこそ、批判の声が上がったのである。

 もとの話題に戻るが狂牛病検査の「疑い段階」での公表は、今述べたような「慣れ」による油断をもたらすものではない。消費者には、能動的な対応をとる手段が与えられていないからである。となれば、それを逆手にとって、慣れにを不安解消に役立てたほうが、「風評被害」の有効な防止策になるのではないかと思う。