じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ホウキ草の紅葉がいよいよ本格的に。



10月14日(日)

【思ったこと】
_11014(日)[心理]しごと、余暇、自由、生きがいの関係を考える(18) 「環境密着型」、「目標達成型」、「累積回顧型」のどれを選ぶか

 10月〜11月の休日と言えば、かつては、大山や蒜山への日帰り、あるいは前日からのキャンプなど、家族全員でアウトドア型のレジャーを楽しんだものであった。ここ数年は、子どもたちがめいめい自分なりの過ごし方を好むようになったこと、私自身は昨年の足の甲のケガ、妻は膝の故障などあってハードや山歩きができなくなったことなどもあり、たいがいは大学構内の散歩や環境整備作業(草取りや花壇整備)、あるいは借りている畑の植え付けなどで一日を過ごすことが多くなってしまった。

 園芸や畑仕事のような趣味は、やるべき作業が季節変化に一対一に対応しており、ルーチンをきっちりとこなしながら自然との一体感を楽しみ、地球環境にどっしりと根をおろすところに特徴がある。もちろん、年々の経験の積み重ねで育て方が上達するとか、今までと違った新種の草花・作物にチャレンジしてみようといった「向上」や「発見」、「驚き」もあるにはあるが、それが生きがいの本質であるとは思えない。むしろ、今年もなんとかかんとか苦労しつつ、昨年と同じ景色を味わえたことにホッとする喜びのほうが大きいのではないかとさえ思われる。こういうタイプの生きがいは「環境密着型」と名づけることができるのではないかと思う。

 季節の変化にはあまり依存しないが、地域や学校の年中行事を繰り返すことを生きがいとする人々もいるようだ。神社、お寺、教会などの行事、町内会のイベントなど。あまりにも変化が大きく膨大な雑務を抱え込んでしまうので実感されないが、大学の年中行事なども本来は、生きがいになりうる要素を含んでいるはずだ。



 こうした、毎年の繰り返しでは飽きたらず、常に新たな目標を設定し、それがクリアされた時にはさらに上の目標を.....というように質的な向上をめざす生き方もある。

 9/30にベルリンマラソンで世界最高記録を樹立、その一週間後の10/7にケニアの メデレバ選手に記録を塗り替えられてしまった高橋尚子選手の生きがいは、たぶんこれにあたると思う。各種のレースは決して年中行事ではない。以前より高い目標を置いて努力を重ねるのであろう。ここでは「目標達成型」と名づけておくことにしたい。

 上記の「環境密着型」が個人主義、マイホーム主義に陥りやすいのに対して、「目標達成型」はしばしば社会的貢献度の大きい成果をもたらす。目先のマイナス面を我慢・克服して可能性を広げるという点でも効果があるため、これを志向するような教育が行われることが多い。とはいえ、「環境密着型」に比べて「目標達成型」のほうが価値があるとか、優位であるといった理由はどこにも無い。

 また「目標達成型」は「過去を上回る」ことを目ざすだけに、スポーツでは過剰なトレーニングが健康に悪影響を与える危険もある。「目標達成型」は、基本的には、発展が期待され、成果が現れやすい若者向きの生きがいであるとも言える。年をとって体力や気力が衰えてくれば、過去よりハイレベルの目標を置くことができなくなるからである。このほか、設定される目標が個人に特定的である場合は、自己満足に陥る危険もある。



 もう1つ、「累積回顧型」と名づけられるような別のタイプの生きがいも存在する。これは、通算本塁打数、登山回数など、1回ごとの行動で得られた結果が累積的に強化力を増すようなタイプである。個々の関わりがどんなに単純であっても、その積み重ねには別の価値が生まれる。この場合、具体的な数値目標を掲げて「あと、いくつ」などと頑張ってしまうと「目標達成型」に転化してしまうけれど、もっと気楽に、「知らぬ間にこんなに蓄積されたのか」と累積的結果に驚き、それまでのプロセスを回顧することには新たな喜びがある。このタイプは、年をとればとるほど重みを増してくるが、ヘタをすると「今を生きる」よりも「過去のしがらみの中で生かされる」余生になってしまう恐れがある。




 Skinner(1990)は「幸福(生きがい)」について
Happiness does not lie in the possession of positive reinforcers; it lies in behaving because positive reinforcers have then followed. /生きがいとは、好子(コウシ)を手にしていることではなく、それが結果としてもたらされたがゆえに行動することである。
と述べているが、これはあくまで生きがいの必要条件を示したに過ぎない、と最近特に思う。つまり、「自分の能動的な行動がポジティブに強化されていくことは、生きがいにとって不可欠な要素ではあるのだが、それだけではまだまだ不十分。どのような形で強化されることが十分条件になりうるのかについては、まだまだ検討が必要であろうということだ。

 上記の3つのタイプは、生きがいの十分条件を個人レベルで分類したものであり、今後の指針になりうるのではないかと思っている。このほか、対人的な面から別の分類もできるように思うが、それはまた別の機会に。