じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 文学部西側のフジバカマが見頃となった。かつてポット苗で買ったものだったが、年々株が太り、草丈も人の背丈ほどになった。



10月12日(金)

【ちょっと思ったこと】

狂牛病検査、結果がシロなら?

 厚生労働省は12日、狂牛病対策として18日から始める全国規模のスクリーニングの研修中に狂牛病の疑いがある牛が見つかったことを明らかにした。しかしその後の精密検査により、結果は陰性であると分かったという。この間、都は、同日処理された203頭と前日の509頭の枝肉と内臓の流通を一時停止にしたという。

 このスクリーニングテストは、エライザ法という検査法で、100〜1000頭に1頭が、感染していなくても陽性になり、また検査前の処理の仕方でも結果が左右されることがあるという。

 このことで思い出すのは確率・統計の授業ではお馴染みのベイズの公式だ。例えば、癌の検査では、
  1. 癌にかかっていて陽性になった。
  2. 癌にかかっているが陽性ではなかった。
  3. 癌にかかっていないが陽性になった。
  4. 癌にかかっておらず陰性であった。
という4通りの可能性がある。このほか、一般的にその癌にどのぐらいの確率でかかるかというデータが別にある。ほんらい陽性であることが問題となるのは「陽性という条件のもとで本当に癌にかかっている確率」なのだが、ふつうは、「陽性すなわち癌」だと思い込んであたふたしてしまう。今回の場合も、ベイズの公式に基づいて、陽性であるという条件のもとで狂牛病にかかっている確率のほうを問題しなければならないのだが、人の命にかかわるだけにどうしても過大に受けとめられる傾向があるようだ。

 もっとも、これだけで安心するわけにはいかない。スクリーニングテストがこれから全国規模で行われるということは、現段階では灰色が払拭されていないことを意味する。牛肉を食べなくても生きていかれるという状況のもとでは、あえて危険な選択をしないという心理がはたらく。

 また、これは農学部卒業の知人から聞いた話だが、牛の屠殺というのは一般人から見ると相当に残酷な方法をとるという。その最後の、背割りの過程で鋸の刃にプリオンが着いていれば、他の牛の肉も汚染される危険があるとのことだ。上記のベイズの公式云々は、それぞれの牛の感染を独立事象と見なした上での議論だが、他の肉に感染する恐れがあるならば、屠殺場全体を1つの事象として捉えなければならない。となると危険性は遙かに大きなものになる。ちなみに我が家ではもう1カ月以上、牛肉が食卓に出ていない。
【思ったこと】
_11012(金)[心理]「死人テスト」からの発想と具体的であること(7):「具体的に捉えること」と「具体的な指示を出す」ことは違う

 木曜日のゼミで、「具体的」ということについて議論があった。記憶の鮮明なうちに自分なりの考えをまとめておきたいと思う。

 行動分析では「行動を具体的に捉えろ」というが、これは「具体的な行動を強化せよ」という意味であって「具体的な指示を出せ」ということとは違う。例えば、「家のお手伝いをしましょう」というのは抽象的、これに対して、母親に代わって「皿を洗う」、「玄関の掃除をする」、「洗濯をする」、「お風呂を磨く」....というようのが具体的なとらえ方ということになる。

 しかし、ここに非常に誤解されやすい点がある。「お皿を洗いましょう」、「玄関の掃除をしましょう」、「洗濯をしましょう」、「お風呂を磨きましょう」というように具体的な指示を出すことはちっとも行動分析的ではない。それらは言語的な弁別刺激を与えて、マニュアル型に行動を統制しているだけで、能動性はあまりない。行動分析的な対応とは、何がお手伝いになるのかを自分で発見させること、つまり、家の中で多様な行動を自発させ、そのうち「お手伝い」に相当する具体的な行動が生じた時に強化するというのを大切にしましょうというのが行動分析的な接し方であると言える。

 このあたりの区別は、もう4半世紀も前に、佐藤方哉先生が「行動分析学的留学記」(佐藤方哉、1976、行動理論への招待、大修館書店、pp.277-303.)の中で「レスポンデント的随伴関係」と「オペラント的随伴関係」という形で論じておられる。似たようなお話は、昨年12月に台北で行われた国際会議講演の中でも聞いた。日本の電車は、「電車が参ります。白線に内側に下がってください」、「ドアにご注意下さい」、「次は○○です。お忘れ物にご注意ください」、「ホームに隙間があります。お足元にご注意ください。」...というように至れり尽くせりなのだが、逆に言えば、言語的な誘導に身を任せているだけで、環境に対して自発的な働きかけをする機会が奪われているとも言える。

 「具体的に捉える」ことと「具体的に指示する」ことの違いが顕著に現れるのはパソコンの操作だろう。ワープロソフトを使う場合、Eメイルを出す場合などみんなそうだが、先生の教える通りの手順を丸覚えするだけでは、ちょっとでもトラブルがあるととたんに身動き取れなくなってしまう。いろいろな行動を自発しながら、適切な操作を体験的に習得していくことのほうが長い目でみたときに上達しやすい。同じことは、英会話でも海外旅行でも、そしておそらくあらゆる勉強についても言えるだろう。

 「具体的な指示」のもとでの行動が受身的、消極的、あるいはあステレオタイプになりやすい理由はいくつか挙げられる。次回に続く。