じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] サンジャクバーベナの蜜を吸うアオスジアゲハ。この一帯の花壇には、ツマグロヒョウモンや、ルリシジミ、モンシロチョウ、オオスカシバ、ヒメクロホウジャク、イチモンジセセリ、アゲハチョウ、クマバチ、スズメバチなどが入れ替わり立ち替わりやってくる。



10月4日(木)

【ちょっと思ったこと】

疲労困憊、ミス続出

 月曜日から後期の授業が始まり、
  • 【月曜】一般教育、翌日の委員会打ち合わせ、学外非常勤講師で倉敷方面へ
  • 【火曜】委員会、心理学研究法
  • 【水曜】講読の授業
  • 【木曜】行動科学概論、ゼミ
  • 【金曜・予定】職員定期健診、委員会、卒論指導
という日程で、授業や会議とその準備に追われている。かなり疲労が蓄積しているらしく、いろいろとミスが出てきた。
  • 木曜日のゼミでは、欠席した卒論生の名前が思い出せず。その後遅刻してきた3回生を卒論生と人違いしてしまった(これは毎年のことだが、3回生の顔と名前がちっとも一致しない。まだ1/3しか覚えていない)。
  • 夕刻、卒論生から実験刺激用のビデオのダビングを頼まれたのだが、コピー元とコピー先を入れ違え、NHKのローカル番組を録画してしまった。
  • 夕刻、「お互い更新日記」の更新報告を出そうとした時に、何を勘違いしたのか、「じぶん更新日記」のほうの番号で報告を出してしまった。こんなことは登録4年半の中で一度も無かったことだ。
【思ったこと】
_11004(木)[心理]人間・植物関係学会設立総会(3)新会長挨拶/研究発表会(1)柿との関わり

 進士・東京農大学長の基調講演のあと、設立総会。最初の会長に選ばれた松尾・九大大学院教授より簡単な挨拶があった。松尾先生は、進士学長の講演の内容を受けて、
  • 「核分裂」を繰り返してきたこれまでの自然科学の研究を「核融合」の方向に持っていく必要があること。
  • そのためには「関係」に注目する必要があること。
  • これまで人間にとって植物は空気と同じぐらい当たり前の存在であったが、これからはそういうわけにはいかない。
  • 食物連鎖の上に位置する種ほど、バランス崩壊の影響を受けやすい。
といった点を強調された。

 引き続いて、11時30分から、4件の研究発表があった。今回は、いずれも学会誌第一巻第一号掲載論文の執筆者による発表であった。



鶴岡(山形県)と弘前(青森県)における市民の果物観の比較調査--カキに対するる意識を中心として--

 この発表でスゴイと思ったのは、アンケート調査を実施するにあたって、各市役所の選挙人名簿から年齢も配慮して500人ずつを無作為に抽出したという点である。依頼は郵送、回収率も4割台ということなので、まずまず。全市民を対象に調査した場合とあまり違わない結果を出せたのではないかと思う。

 結果の中で面白かったのは、両市とも、リンゴが最も好まれること、いっぽう、「秋を感じさせる果物」としては、鶴岡がカキ、弘前がリンゴというように地域差が現れたことである。人々の季節感が、それぞれの地域で生産されている果樹の種類を反映しているという証拠を得た点で興味深い。このほか、小中学生との比較データも公表された。もっとも彼らの場合は、選挙人名簿から無作為に抽出できない。このあたりが世代間比較をする上での難しい点かと思う。

 この研究の本来の特徴は、カキと人との関わりについて、全国有数の産地である鶴岡市と、リンゴの産地である弘前市を比較することにあった。季節感を与える果樹に違いが出るなど、信頼性の高いデータが得られた点は評価できるのだが、行政単位別の群間比較にどれだけ必然性があるのかという点にはちょっと疑問を持った。なぜなら、果樹との関わりはもっと個別的な生活環境に依存してからである。自分が鶴岡市民であるか弘前市民であるかということはその遠因にすぎない。また、いくらが似ているからといって、両都市には、気候、風景、交通、産業さまざまな面での違いがあるはずである。両市民の果物観に違いが見られたからといって、その原因を直ちにリンゴと柿の生産量の違いに帰属させることには無理がある。

 それではどうすればよいか。個体別に、例えば、
  • 住居の周辺○○m以内に何本の柿の木があるか
  • 一日にのべ何本の柿の木を見るか
  • 毎年何個ぐらいの柿を食べるか
  • 自分の手で干し柿作りをするか
といった形で、こうした個人別の数量データと好物や季節感などのデータの相関をさぐったほうがより生産的な結論が得られたのではないか。その場合、必ずしも選挙人名簿から無作為に抽出することに労力を費やす必要は無いのではないか、というのが率直な印象であった。

 もっとも今私が述べたような研究方法は、要因を細かく分けて効果を見るという伝統的な近代科学の手法に基づくものであって、先に進士・農大学長が強調された「全体を見る」という視点が活かされていない。もう一歩研究を進める時には、細かい要因の列挙ではなく、カキと関わることが個人の生活をどう形成していったのかを全体的に把握するようなアプローチが別に必要となる。これは、アンケートに基づく平均値比較ではなく、個別的な聞き取り、事例研究を通じて達成されるものかもしれない。次回に続く。