じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

9月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真] 農学部農場の洋梨。洋梨を見るたびに、ファーブルの『昆虫記』のフン転がしの話を思い出す。



9月23日(日)

【ちょっと思ったこと】

危うく偽金行使? [今日の写真]
 昼食時に息子とラーメンを食べに行った。二人で1432円だったが、5000円札しか無かったので、お釣りのコインがかさばらないように5032円を出した。

 ところが、レジのお姉さんが妙な顔をして「あのう.....」と言う。さてはコイツ、お釣りの計算が分からなくなったのか...と思ってお皿をよく見ると、なっなんと、10円玉の大きさが1枚だけ小さいではないか。

 よく見ると、このあいだカナダを旅行した時に財布に入れていた1セント硬貨だった。余ったコインは別の財布に移していたのだが、1セントは小さすぎて財布の隅に引っかかっていたのだろう。

 韓国のコインを削って500円玉代わりに使うのは、確か、通貨偽造行使という重罪になると思ったが、1セントを間違って出してしまってそのまま気づかれなかった場合はどうなるのだろうか。偽造はしていないのだが.....。
【思ったこと】
_10923(日)[一般]「共生のための環境教育」国際シンポでアジア英語を堪能する
[今日の写真]
 大学の西門に“「共生のための環境教育」国際シンポジウム”の案内板がかかっていた。近づいてみると、「23日の14時から17時まで、参加費無料」と書かれてあったので、息子と二人でフラリと聴きにいった。

 このシンポは、ユネスコ加盟50周年記念事業の一環として開催されたもので、主催は岡山ユネスコ協会、後援は岡山大学環境管理センター、コーディネーターは青山・前副学長であった。

 案内には同時通訳がつくと書かれてあったが、実際には、ウォークマンのようなイヤホン付きのレシーバーが何台か配られただけで、私たちのテーブルには回って来なかった。結果的に、英語だけのスピーチを3時間以上も聞くことになった。

 ユネスコ主催らしく国際色豊かなもので、中国、インド、フィリピン、オーストラリア、日本の関係者がそれぞれ自国の環境問題の現状と、環境教育について各20分間のスピーチをした。うち3名がパワーポイント、1名がOHP、1名は殆ど口頭(PDFファイルを一部表示)となっており、パワーポイント型の発表のグローバル化を感じさせた。

 それぞれのお国なまり入りの英語の特徴を挙げると、中国の教授は、殆ど抑揚をつけずに単語を並べるように喋った。インドのパンジャブ州主席委員の方は、独特の巻き舌。フィリピンの研究員の英語はいちばんアメリカ英語に近く聞き取りやすかった(以上、いずれも女性)。オーストラリアの方のしゃべり方は6月に研修に行った時のことを思い出した。もうお一人、ユネスコ本部の教育担当部長の方の挨拶もあったが、この方の英語は、半分フランス語風、半分はインド風の巻き舌が入っていた。どこの国のご出身なのだろうか。ネイティブ英語のリスニングを得意としている息子も、こうした聞き慣れない発音には、さぞおったまげたことだろう。




 さて、内容のほうだが、どの国のスピーカーも、前半では自国の環境問題について言及していた。日本のようにある程度公害問題を克服した国と異なり、中国もインドもフィリピンもまさにこれからますます公害が深刻化しつつあるように思えた。オーストラリアの場合は、環境汚染よりも、外来の動植物が在来の固有種を存亡の危機に追いやっていることを重視していたようだ。

 後半の環境教育の話だが、どのスピーカーも、教育制度にはふれたものの、教育の内容には殆どふれないうちに時間がきてしまった。このあたりに物足りなさが残った。

 制度、監視体制、テクニカルの面だけで環境教育を進めても根本的な解決には至らない。青山・前副学長が、「知識、意識、ツール」面での教育ばかりでなく、個人の価値観やモチベーションを高める教育が求められると言っておられたが、その通りであろう。しかしそのために何よりも必要なのは、テクノロジーではなく行動科学ではないかと私は思う。



 一口に環境教育と言っても、
  • 「周りに迷惑をかけるのはやめましょう」というような精神主義・道徳論
  • 自然環境とのふれあいそれ自体に価値を見い出せるような教育
という2つの面があることも強く感じた。

 環境問題の事情はそれぞれの国によって異なるが、主要な原因は、欧米型の大量生産、大量消費、大量廃棄に端を発したものである。その対策にさえ、欧米の発想が共通して入り込んできている。

 しかし個人の価値観まで入り込んで消費やリサイクル、リユースのスタイルを変えようとするならば、まずは、それぞれの地域の文化や伝統の再評価から始めるべきではないか。例えば中国やインドなら何千年にもわたる自然との共生の歴史があったはずである。日本も同様だ。環境を守るための先人たちの智恵、偉大な思想家もたくさん出ている。そういう人たちの教えから学ばない限りは、環境教育に必要と言われる「個人の価値観の変容」を実現することはできないのではないか。もっと自国の伝統を誇りに思うような教育はできないものだろうか。そういう面でのお国自慢をしてほしかった。




 最近の国際情勢は、国家というのが如何に「我が儘」であるか、アメとムチを使わないと動かないものであるのかということが強く感じさせられる。

 例えば、アフガニスタンの歴史についての解説サイトを拝見すると、いま問題になっているタリバーンとか北部同盟のような勢力は、結局は隣国の利権や思惑に絡んで強化され利用されてきた存在であることがよく分かる。

 また、米国は22日、インドとパキスタン両国に対する経済制裁の解除を通知したという。核実験を行ったことへの制裁として続けられてきたものであるが、米国の利益に資さないとなれば、核戦争の危機が低減しなくてもアッサリと政策を変えてしまう。パキスタンのほうも、米国に協力しなければテロ容認国家として武力行使の対象になるかも知れず、いっぽう、協力すれば多額の援助を受けることでインドに対抗できる力を養うことができる。

 こうした、大国の自国利益優先の外交、アメとムチの使い分けで動かされる弱小国という力関係だけで平和な社会や地球環境が守られるとは到底考えられない。ユネスコのようなNGO活動への期待はますます大きなものになっていくだろう