じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 講義棟南側の花壇。水色系統の朝顔が野生化し、サルビアの赤と天人菊の赤・黄と合わせて三原色を構成している。



9月12日(水)

【ちょっと思ったこと】

同時多発テロ

 この事件については、ショックがあまりにも大きく、今の時点で多くを語ることはできない。

 事件後、TVから流されるさまざまな映像を見た時の率直な感想は、これは何かの映画ではないか、何かの間違いで現実とフィクションが入れ替わってしまったのではないかということだった。特撮技術の進歩が逆に、現実と仮想現実の区別を分かりにくくしてしまったというのは皮肉なことだ。

 お茶の間では、いろいろな角度から航空機が衝突する場面が流される。それを見ながら平気な顔で談笑する。事件そもののはもちろんのこと、そういうギャップが生じることに別の異常さがあるように思った。実際には無理かもしれないが、事件の悲惨さを伝えようとするならば、航空機激突場面は一度だけ流せばよい。それよりも、血みどろのけが人や、バラバラになった遺体の映像を次々と流すべきだろう。それをしなかったら、世界の多くの人々は、何千人もの命が一瞬にして奪われたという事実を体感することができない。




 今度の事件は、ミサイル防衛網をいくら固めても、自国の内部の存在物を使った破壊活動は防ぎきれないことを示した。いくら法の裁きを徹底しても自分の命を投げ出すようなテロ行為は防ぎ切れない。なぜなら、法律は死刑を超える罰則を作り得ないからである。また、いくら警備体制を強化しても、パイロット自身がテロリストになってしまえば防ぎようがない。これは核兵器の管理についても同じことだ。

 となると、究極の防止策は、各種の思想を超えた人類普遍の倫理として、

●無差別大量殺人は、人間の性質の最悪の部分、邪悪さである

ということを確認し、子供の時からそれを憎む教育を徹底することだろう。そして、思想信条の自由を保障しつつも、無差別大量殺人を容認するような思想・宗教は断固として排除するという姿勢が求められる。もっとも、この、一見あたりまえと思われる普遍の倫理を確固たるものにするためには、1945年の8月6日と8月9日に行われた大量殺人についてもちゃんとした総括が行われるべきだと思う。「何らかの理由があれば大量殺人もやむなし」という論理がまかり通る限りは、この種の事件を根絶させることはできまい。