【思ったこと】 _10729(日)[心理]_10729オーストラリア研修(その18)報告会(3)「Q & A」形式によるまとめ/日本型の工夫が必要
昨日の日記の続き。7/27に大阪で行われた報告会をふまえて、ダイバージョナルセラピー(DT)について私が知り得たこと、考えたことを「Q & A」形式でまとめてみた。念のためおことわりしておくが、これはあくまで私個人の考えのまとめであってDT協会の公認の見解ではない。「ホンモノのDT」についての情報はDTに関するリンク集などを参照されたい。なお、このQ & Aは随時改訂版を出す予定。
- DTとは、結局のところ、どういうことをするセラピーなのですか?
高齢者施設や発達障害児施設などで、クライアント自身が行うレジャー、リクレーション活動を補助し、生活の質の向上、家庭的な環境の保持、自己実現、自分の価値向上など、心の面におけるポジティブな変化を実現するセラピーです。
- DTにはどんな効果があるのでしょうか?
いろいろな活動に従事することによる置き換え・発散によって不適切あるいは攻撃的な行動を起こりにくくする効果があり、また、いろいろな知的ゲームを通じて、痴呆の進行をくい止める効果もあると言われています。ただし、治療効果はあくまで結果、副産物であり、それよりも、クライアントの能動的な活動性がどのように増えたか、興味の対象がどれだけ広がったかのうほうが重要な指標となります。
- DTは、いろいろなセラピーの寄せ集めに過ぎないように思うのですが。
上記の目的に合致するものであれば、個々のクライアントの好みに応じて何でも利用していくのがこのセラピーの特徴です。
- DTとして紹介された技法はすでに日本でも行われており、特に目新しさは無いように思うのですが
DTは特定の技法を限定するものではありませんから、全体的な目的や姿勢を理解せずに実際の現場だけを見学しても、「なんだ、そんなことなら日本でもやっている」という感想を持ってしまう恐れがあります。個々の技法ではなく、全体として、クライアントの実情をきっちりとアセスしているか、リアセスメントに基づいて、きっちりとプログラムが立てられているか、ということのほうが遙かに重要となります。
- DTの中から、実施可能なものだけを適当に選び出して実施すればよいのですか?
最初のうちは、設備面でもスタッフの面でもできることが限られているものと思います。そういう現状のもとでは、1つでもよいから実現可能な部分だけを取り出して実施することにもそれなりの意義があるでしょう。しかし、DT本来のあり方は、上にも述べたように、アセスメントやリアセスメントを定期的に行うなかで、適切なプログラムが個別に作られ、クライアントの選択の幅を保障しながら最善のセラピーが配合されるべきものです。DTの一部と同じものを取り入れたからと言って、それだけで「DTを実施している」ことにはなりません。
- ボランティアやお笑いタレントにお願いすれば済むのではないですか?
集団で行うゲームや軽いスポーツなど場面では、そのような方々のサポートが不可欠になると思います。しかし、信頼性のあるアセスメント、あるいはプログラムの立案や点検を確実に遂行するには、DTの専門家がぜひとも必要であると思います。
- DTは贅沢ではありませんか。まずは介護体制、安全体制を完備し、治療のためのセラピーを優先的に実施すべきではありませんか?
これについては、7/26の日記をご覧ください。「ポジティブな変化を実現するセラピー」は「治療手段としてのセラピー」と同じぐらいに大切であるというのが私の考えです。優先順位をつけることはできません。もちろん、完璧な介護、100%の安全をめざすことは大切ではありますが、そのために「能動的に行動し、強化を受ける権利」、そしてその行使に不可避的に付随する「危険を受容する権利」を奪わないような配慮が必要です。
- DTは、日本でも将来、資格化されると思いますか?
DTの質を一定水準以上に保つため、また、DTを職種として確立し、DTの学習者に具体的な目標を与えるためには、資格化は必要になってくると思います。その際には、アセスメントやDTプログラムの立案、修正に責任をもつマネージャー的な仕事と、プログラムの実施を直接サポートする仕事では修了条件を分けて考える必要があります。前者は現行のPT、OTと同レベルの教育が、後者は、もう少し緩やかに、現場スタッフが一定時間数の講習や実践経験を積んだ場合に認定される資格として定着させることが現実的ではないかと思います。
- 行動分析学とDTはどのような面で連携可能でしょうか?
これについては、7/22の日記をご覧ください。施設内において望ましい能動的行動を増やすための強化随伴性を適切に配置することのほか、個体重視のアセスメント、クライアントの生活全般における行動のバランスの把握と改善などの問題で大いに貢献できると考えています。
以上、9つの「Q & A」を通して私の考えをまとめてみた。DTについて、オーストラリアから学ぶべき一番の点は、やはり、アセスメントやリアセスメントの技法であろう。音楽療法や動物介在療法などでもそうだが、セラピストや施設責任者の主観的な評価だけで効果を判定することは非常に危険。
いっぽう、アセスメントを行う際には、単純な医療効果ばかりに目を向けるのではなく、クライアントの能動性や活動性がどう高まり、興味がどれだけ広まったり深まったりするのかという点を生活全般のバランスに配慮しながら評価していく姿勢が必要である。医療効果は、あればそれに越したことないが、それが無いからヤメテしまえというものでもあるまい。
医療効果に関して1つだけ補足しておくが、アニマルセラピーの解説サイトの中に
心疾患で入院し、退院した人をペットの飼育の有無に分けてみると飼育者の方が1年後の生存率が高かった。
というように、医療効果を強調する記述があった。この場合、アニマルセラピーは、本人を楽しませるばかりでなく、生存率を高める働きがあるという点で一石二鳥の効果が期待されているわけだが、では、もし、別の研究で、動物を飼育している者のほうが生存率が有意に低くなった場合はどうするのだろうか。私は、仮にそういうマイナスの結果が確認されたとしても、本人が動物の飼育を望んでいる限りはそれを続けるべきであろうと思う。同じことは、生きがい療法の中で、癌をわずらった人が山登りに挑戦するケースでも言える。山登りに参加することについて
ガンの再発率が低く抑えられたり、生存率が大幅に高くなったり、治療効果が促進されたりという医学効果
が確認されているということであれば一石二鳥であろうが、万が一、逆に体力消耗などで治癒力が低められたとしても、本人がそれを望むなら引きとめることはできないと思う。この2つの例を含め、特に高齢者福祉の現場では、狭義の医療効果だけでセラピー実施の可否を判断してしまうことは非常に危険であると思う。
もう1つ、DTを日本で普及させるためには、オーストラリアで行われている技法を直輸入したのではダメ。日本の文化や自然環境に合わせた工夫が求められると思う。例えば、6/29の日記で紹介した「SENSORY GARDEN」と「MULTI-SENSORY ROOM」などは、もっと日本型の要素を取り入れる可能性があると思う。これは園芸療法などでも同様。少し前の新聞記事(朝日新聞2001年7月18日、eメール時評)でノンフィクション作家の最相葉月が「伝統園芸植物の危機」というエッセイを書いておられた。日本には、色変わりや模様の突然変異を楽しむ伝統園芸文化があるのだが、昨今のガーデニングブームではもっぱら外国で品種改良された草花ばかりが用いられている。そのほか、もっと根本的に、介護施設自体をなぜもっと日本風にできないのか、畳や床の間を活かした和風建築ではなぜいけないのかという点も考えていく必要があると思う。
ダイバージョナルセラピー研修報告についての連載は、今回でいちおう最終回としたい。オーストラリアで気づいたその他の点(大学環境、住宅環境、施設の適格認定など)については、引き続き、ボチボチと取り上げていきたいと思っている。
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