じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 農学部農場のヒマワリ。種を採る目的で植えているようだ。みな東側を向いている。



7月24日(火)

【思ったこと】
_10724(火)[心理]オーストラリア研修(その13)「いま」に向かうセラピー

 7/22の日記の続き。今回は、ダイバージョナルセラピーの重要な柱の1つである「Reality Orientation」(以下「RO」と略す)について考えてみたいと思う。「RO」は、高齢者が現実世界(時、場所、対人)について軽度の混乱に陥っている時に有効であると言われている。特に施設の場合、集団による画一的で単調な生活が長期間続くと、アイデンティティや現実感が失われがちであり、これを改善するためには人工的な介入が必要になってくる。そういう意味では、「RO」は、この連載の分類に従えば、改善のための「手段としてのセラピー」の1つということになるかと思う。なお、ネットで検索するといろいろなサイトがヒットすることから分かるように、「RO」は必ずしもダイバージョナルセラピー独自の方法ではない点に留意されたい。

 「RO」としては実際にどのようなことが行われるのだろうか。今回研修を受けた限りでは、その範囲は実用的な内容に限られているような印象を受けた。つまり、カレンダー、時計、新聞などを材料に、「今日は何日」、「今日は何曜日」と聞いたり、クリスマスや仲間の誕生祝いなどの年中行事について語ったり特別の飾り付けをすることなどが主体であり、必ずしも現実に直面させるような働きかけとは言えないように思えた。

 この種の「RO」を実施することにはネガティブな側面もある。それは「今日は何日」といった質問が機械的な応答だけに終わってしまう弊害、また、それに答えられない場合に、本人をガッカリさせたり自尊心を傷つけたりする恐れが出てくるからだ。なお、痴呆が進んで混乱が深刻化した場合には、次回に述べる「VALIDATION」のセラピーに移行することになる。



 今回の研修で「RO」の本来の趣旨はよく理解できたが、介入の方法や内容についてはまだまだ改善の余地があるのではないかという印象を受けた。というのは、私自身、日付などはしょっちゅう間違えることがある。夏休みのように授業が無い時期には曜日すら気にとめなくなる。祝日を忘れることも多い。他の人のWeb日記でも、日付を間違えたり、祝日であることに気づかなかったというような記述はけっこう見かけることがある。しかし、そういう人々が、現実に対して混乱を生じているとは言い難い。むしろ忙しい人ほど、誕生日や記念日などに気づかないことのほうが多い。時間や日付、曜日などに無頓着であっても、遙かにリアルな生き方を実現できるように思える。

 たまたま研修の休憩時間に、ある日本人が、海辺の近くにある痴呆症介護施設について語っておられた。その施設では、時たま、釣り大会のようなイベントを行うのだという。かつて名人と言われた人も多いのだろう。かなり痴呆が進んだようなお年寄りでも、みな生き生きと釣りをする。その瞬間こそがリアリティではないか。それに比べると、施設内で「今日は何曜日ですか」などと機械的な問答を繰り返すことはまことに空しい気がする。

 「いま」に向かうことは、電車の運転手のように正確に時刻を把握する作業とは質的に異なる。この日記で時たま引用させていただいている内山節氏の

『自由論---自然と人間のゆらぎの中で』(1998年、岩波書店、ISBN4-00-023328-9)

は、その第五章「時間と自由の関係について」の中で、かつては時計の無い生活があったこと、年をとっても生きることには変わりがないことを述べたあと、時間には「経過する時間」とは別に「いまを生きている」という時間があることを強調しておられた(p.84〜p.85)。「RO」の本当の目的は、この「いまを生きている時間」をどう実現するかというところにあるのではないかと思った。