じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 大学近くの用水(座主川)で、アジサイの切り花が流れているのを見つけた。「さらば 梅雨!」といった季節感を漂わせるものであるが、たとえ自然の物であっても川に捨てるのは良くないと思う。



7月9日(月)

【思ったこと】
_10709(月)[心理]オーストラリア研修(その9)セラピーは目的か、手段か?(その4)有効性の確認を必要とする別の理由

 7/6の日記で、「有効性の確認できないセラピーは無意味なのか?」という疑問を提出した。精神面の効果を狙ったセラピーの場合には、その影響は多面的であり、また、集団の平均値ではなく個人単位で検討すべき特徴を備えている。数量評価だけで有効性を一面的に検討することは、それぞれのセラピーの価値を過小評価してしまうことにはならないか、と言いたかったのである。

 にも関わらず、現実社会では、有効性の検証が強く求められる場合がある。その理由としては、次の3点が考えられる。
  1. 公的補助を受ける必要から。
  2. 公的資格として認定する必要から。
  3. 宣伝目的もしくは付加価値をつけるため。
 まず1.だが、もし完全な自己負担でセラピーを受けるのであれば、占いであろうとお祓いであろうと何を選んでも文句を言う人は居ない。しかし、医療や介護の一環として何らかの公的補助を受けるとなると、個人の好き嫌いだけに基づいてお金をつぎ込むわけにはならない。納税者や保険負担者を納得させるためには、有効性を示す証拠が求められることになる。また多くの場合、それは「健常者と比べて不足している部分を改善・援助する」上での有効性であって、不足していないレベルからさらに上に引き上げるような効果は、補助の対象とならない。

 次に、セラピーがある程度社会的に認知された段階では、セラピスト自身のスキルの向上、あるいはセラピーを受ける側に最低基準を保証するという観点から、公的な資格化が求められるようになる。しかし、その場合も、客観的な有効性が確認されていないと行政としては動きづらいところがある。昨年9月27日に行われた園芸療法の講演会でも、「園芸療法士の公的資格化はぜひとも必要だが、有効性を示す証拠が無いと厚生省(当時)を納得させることができない。役人は、証拠さえ持ってくればすぐにでも作りましょうと言っている。」というような発言を聞いたことがあった。

 最後に、第3の点だが、新しいセラピーを紹介する時にはしばしば誇大に宣伝されることがある。やや脱線するが、先日、新聞に「風水画」を宣伝した折り込みチラシが入っていた。それによれば、その絵画を購入したあとで宝くじを買ったある主婦は5000万円が当たり、他の家族も全員が当選し、合計1億円もの賞金を手にすることができたという。そのような広告が公正取引上妥当なものかどうかは別に議論すべきであると思うが、いずれにせよ、

この絵画には芸術的な価値があり気持ちが明るくなります。

という宣伝文句よりは

この絵画を飾ると風水効果によって運気が上昇し、金儲けや出世に効果があります。

と宣伝したほうが儲かるのは確かであろう(ホンマに効果があるのだったら、そのようなチラシを配って絵画を売る代わりに、社員がみな自分の家に絵を飾り自分で宝くじを購入して大儲けすれば済むはずなんだがなあ)。

 上記の例は極端すぎるとしても、一般に、ある種のセラピーを普及する時には、あれやこれやと有効性を羅列するケースが多い。しかし、本当に大切なことは、個々人の生活全般がセラピーを受けることによってどう向上し、どのような価値や生きがいを創出するかという点にある。「公的補助」や「公的資格」、あるいは「宣伝目的」や「付加価値」のために並べ立てられる方便としての「有効性」は、クライアント本位の有効性では断じてない! 次回に続く。
【ちょっと思ったこと】