じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 白妙菊。丈夫な多年草で茎は半ば木質化している。ちなみに、撮影地点は文学部の西側出入り口。岡大構内は半田山を借景にしているため、ひょっとして山奥ではないかと思わせるような写真が撮れるポイントが各所にある。



6月9日(土)

【ちょっと思ったこと】

「〜かったです」と「〜せんでした」

 車の中でNHKラジオ第二を聞いていたら、日本語講座の番組が始まった。この日は「〜かったです」と「〜せんでした」という表現が取り上げられていた。例えば、「ご飯はどうでしたか?」に対して「美味しかったです」、「ご飯を食べましたか」に対して「食べませんでした」と答えるものであった。

 これらの表現は日本人にとってはごく普通だが、よく考えると結構難しい変化があるように思った。4/23の日記にも書いたように、もし本気で日本語を国際的に普及しようと考えるのであれば、土着の日本語をそのまま普及させるのではなく、鈴木孝夫氏が言われる「イングリック」に対応した、簡易型の国際日本語のようなものを確立したほうが、結果的に学習者が増え、多くの外国人が日本語を使えるようになるものと期待される

 今回の「〜かったです」だが、番組の例文では形容詞の過去形が取り上げられていた。ここでもし「色は何色でしたか?」という質問があったとしよう。「白かったです」や「赤かったです」はよいが、「緑かったです」とは言わない。であるならば、無理に形容詞の過去形などは教えずに、すべて、

「形容詞or名詞」+「でした」

で統一してしまえばよいのではないか。上記の例で言えば、

「白いでした(白色でした)」、「赤いでした(赤色でした)」、「緑色でした」

 上記の問題は、結局、「白かったです」、「白かったでした」、「白いです」、「白いでした」という組合せの中でどれが本来の日本語としてふさわしいかという議論に繋がるとは思うが、「国際日本語」を普及させるならば、形容詞や名詞すべてに「でした」をつけたほうがシンプルで分かりやすいと思う。

 もう1つの、「〜せんでした」は、動詞の活用形が多すぎるためにすぐには使えない。いっそのこと、出来る限り「名詞+サ変」動詞に置き換えるようにすればシンプルになるのではないかと思う。例えば、
  • 食べませんでした→食事しませんでした
  • 着ませんでした→着用しませんでした
  • 読みませんでした→読書しませんでした





フッ素を水道に入れること

 同じくラジオ番組の話題を忘れないうちに書いておきたい。先週の夕刻、NHKラジオ番組で「虫歯予防のため水道にフッ素を添加すべきか」という話題が取り上げられていた。運転中であったため、一部聞き取りが不確かであるが、賛成論の論拠としては
  1. フッ素添加は安全。
  2. その地域の虫歯が減り、医療費の節約にもなる
  3. 子どもたちも、甘い物を我慢しなくて済む。
などがあったようだが、あまりパッとしなかった。

 いっぽう、その番組に登場された主婦連の代表の方は
  1. 「分からないもの」は使わないのが原則
  2. 水道水は選択の余地が無い。フッ素を含まない水道水を飲みたいという住民の権利を奪う。
  3. 虫歯は他の方法によっても自発的に予防できるもの。
  4. 地方議員フッ素について十分な知識を持っていない場合がある。「安全ならいいじゃないか」というような安易な気持ちから過半数の賛成が得られたとしても、実施すべきではない。
  5. 水道水のうち飲み水に使われるのはごく一部。すべてにフッ素を添加してしまうのは予算のムダ。水道代の負担を増やすことにもなる。
主婦連の方は反論をいろいろと並べておられたが、私は、上記の2.だけで十分に反論になっていると思う。今やペットボトルも容易に手に入る時代である。飲み水にフッ素を入れたいと思う人は、フッ素入り飲料水(もしくはうがい薬)を別途購入すればよいことだ。

 上記の議論と似たような性質を含むものに「シートベルト着用を強制すべきか」とか、「予防注射接種を義務づけるべきか」といった問題がある。前者の場合、どうしても付けたくない人に罰金を科すのは問題であるとは思うが、もし義務化を解くのであれば少なくとも任意保険額を割増して、着用者の負担が増えないように配慮することが前提となるだろう。後者の場合は、副作用の問題のほか、その病気がどれだけ伝染性をもつかにもよるだろう。最初のフッ素の問題の場合も、もしフッ素塗布によって明らかに虫歯の防止に効果があるというならば、塗布者の歯科受診時の自己負担額を減額するぐらいの措置は講じられてもよいのではないかと思う。あっ、これはもちろん、任意の塗布であって水道水添加とは別問題。