じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] テンニンギク(天人菊)。昨年6月11日の日記にも記したように、花期が長く丈夫な多年草だが、種では意外に増えない。黄色から赤に近い色まで各種あるほか、小型の赤花、八重咲きなどもある。お気に入りの色の花の株を増やしたり、配色を考えて花壇に並べるのも1つの楽しみとなる。右側の写真は私のお気に入りだが、なかなか増やせない。 [今日の写真]



6月6日(水)

【思ったこと】
_10606(水)[心理]象牙の塔と現場心理学(12)単一被験体法再考(その1)一人で(を)実験することの意義

 最近、卒論指導や某学会の論文査読などで、単一被験体法のことが話題になった。単一被験体法というのは、文字通り、一人の被験者、あるいは一頭(一匹)の被験動物を対象として実験を行うものであるが、その意義については意外に知られていない。園芸療法の効用を調べる研究などでももっと活用すべきだと思うのだが、たぶん、心理学や行動科学の授業などできっちりと教えられることがないため、「実験というのは、被験者を実験群と対照群(統制群)にランダムに振り分け、結果の有意差を検定するもの」という思いこみができあがっているのではないかと思われる。

 ではどういう場合に単一被験体法を使う意義があるのだろうか。昨年の3回生の演習の一環として作成したミニマムサイコロジーのサイトでは、次のような意義づけを行っている。
研究者は、実験結果のばらつきを排除し、普遍性をもつようにしなければなりません。しかし行動というものは、個体内でさえ時や場所によって異なります。ましてや個体間では言うまでもありません。行動が多様な要因の変数になっていることは、多くの専門の研究者の認識であり、実験心理学者は、このばらつきは環境だけではなく、生活体そのものがもつ本質であると考えています。環境が内的、外的にも人間の複雑さを生み出している原因は多様で、個体間でどの程度異なるかという問題は大変に難しいものです。被験者がそれぞれ違う反応を示すならば、まず1人の個体から始めることが妥当なのです。
 単一被験体法は、かつては、精神物理学の実験、自分一人を被験者として無意味つづりの記憶のメカニズムを調べたエビングハウスの実験、一匹の犬に条件づけを行ったパブロフの実験など数多く行われ、言わば心理学という学問の発展の基礎を築いたのであるが、その後、統計学の発達により平均値や分散を処理する技法が開発され、「平均値は美である」という固定観念が生じることで、心理学の授業で単一被験体法を教えない大学まで現れるようになった。

 単一被験体法は、一般には、被験者が少ない場合や個体差が顕著な場合に「やむを得ず」行われるもののように思われがちであるが、本来はもっと積極的な意義がある。そのことを考えた上で技法的な問題を論じなければ、入門者はそれを正しく活用することができない。この連載でしばしば引用している『心理学研究法入門:調査・実験から実践まで』(南風原朝和・市川伸一・下山晴彦、2001、ISBN4-13-012035-2)の第5章(南風原氏担当)を見ても、単一被験体法についての解説項目を入れていただいた点は大いに評価できるのだが、残念ながら
このような被験者がひとりだけの実験は,動物を用いて学習の原理を追究したB.F.Skinnerの実験的行動分析,およびそれにもとづいて人間を対象に展開した応用的行動分析を通して,方法論的に確立されてきた.こうした実験は単一事例実験,シングルケース実験,あるいはN=1実験とよばれており,臨床や教育の分野の研究,とくに行動療法とよばれる治療アプローチの適用と効果の評価において広く用いられている.
という導入部の紹介と、発達曲線に関するコラム、及び第7章の「臨床における実践研究 」(下山晴彦氏担当)で一行程度の言及がある程度で、
  • どういう場面で用いるのか。
  • なぜ個体間比較(グループ比較研究)では代替えできないのか。
  • その結論をどこに活かすのか。
という意義づけが殆ど行われていないのはまことに残念に思う。ちなみに、上記の『心理学研究法入門:調査・実験から実践まで』では紹介されていないが、

バーロー、ハーセン(著)高木俊一郎・佐久間徹(監訳)(1988)一事例の実験デザイン 二瓶社(ISBN4-931199-24-0)

という書籍はこの方面では大変有用な入門書になっている。上記のミニマムサイコロジーの解説サイト構築にあたっても、この本に負うところが多かったはずだ。次回に続く。
【ちょっと思ったこと】

大地震の予知は当たるのだろうか?

 6/6の朝日新聞に「岡山理大の『地震予知』方法 学会で批判相次ぐ」という見出しの記事があった。記事によれば、「地震危険予知情報」をホームページで公開している岡山理科大の弘原海(わだつみ)清教授らが5日、東京で開かれた地球惑星科学関連学会合同大会で発表した独自の予知方法に対して、「科学的根拠がない」などの声が相次いだという。

 岡山理大と言えば、私のアパートからは車で10分もあれば行かれる近場の大学である。県内のWeb日記作者からの情報もあり、さっそく、話題の予知情報サイトを見に行った。6/6夕刻の時点の情報によれば、6/6の11時時点において「10日以内にM7.0前後のスラブ内地震の可能性あり(場所は周防灘、伊予灘、豊後水道付近の海中か?)」という予知情報が発せられており、地震危険分類(大気イオン濃度とマグニチュードによる分類)では「要警戒レベル」にあることが分かった。もしこの通りであるとすると、防災体制を完備するとともに、無用な外出は控えるとか、鉄道や高速道路の利用を避けるといった対処が必要になるのではないかと思うのだが、ホンマに起こるのだろうか。

 ところで、同じサイトの中には、一般市民から寄せられたと思われる各種の情報が集計されていた(岡山県はこちら。但し、url指定に漢字が使われているのでこのままでは飛べないかも)。こちらのほうの「異常の詳細」は、あんまり信用がおけないように思える。著作権の問題がありそうなので、一部要約して最小限の引用をすると、(5/26〜6/6)
  • 電源を入れてもすぐに電源が切れる。テープは聞けるのですが、MDにすると電源が切れる。
  • 今まで涙を流した事のなかった家の猫が走りまわりその後涙を流していた。
  • 今まで見なかった毛虫が大量に発生して移動している。
  • 普段は番犬として全く役に立たないうちの犬が、人が近づくと奇妙な声で鳴くようになった。
  • 用水路に亀が、いつもは甲羅干しくらいしか姿を見ないが、ここ1週間程よく泳ぎ回っています。
  • 月が赤くなっていた。
  • 今日は朝からカラスが一羽もいない。
といった内容。これって、偶然的な出来事、あるいは別の原因が考えられるのではないだろうか。予知情報が出されたからというだけで、「そう言えば近頃...」と気になる現象を結びつければ何でも言える。そのうち、「そう言えば近頃、妻の愚痴が多くなった」という報告も出てくるかもしれぬ。

 同じサイトには、昨年9月以降の異常な形の雲についての情報も寄せられていたが、現実にそれに対応した地震が起こっていないところを見ると、いわゆる「地震雲」というのもそれほどあてになるものではなさそうに思う。もちろん大地震の直前には奇妙な形の雲ができるのかもしれないが、「異常な雲出現→地震あり」という事例に対して「異常な雲出現→地震無し」という事例があまりにも多すぎ、かつ見分けがつかないとすると、予知情報には役立たない。事後的に、あああの雲は地震雲だったんだとこじつけるだけだろう。