じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ユスラウメの実が赤く色づいた。ここに生えているのは種から育ったもの。



5月26日(土)

【思ったこと】
_10526(土)[心理]しごと、余暇、自由、生きがいの関係を考える(18) 百名山完登をめざす中高年と「累積的な記録」の強化力

 5月は一年中でもハイキングに最も適した季節である。我が家でもこれまでは毎年、キャンプや日帰りの山登りなどに行くことが多かった。

 もっとも、年をとるにつれて登れる山も限られてくる。私の場合は昨年夏に足の甲の腱を切断した後遺症がまだ残っていて傷跡に痛みを感じることがある。妻の場合も数年前から膝を悪くしていて、かつて新婚旅行で5090mのインドヒマラヤの峠を越えたほどの体力は無い。これからは、自分の体と相談しながら、できる範囲で楽しんでいくほかはないように思う。

 そんななか、少し前のことになるが中高年の登山について面白い記事があった。5/1の朝日新聞「中高年登山 4話 その2」によれば、いまや、中高年登山と百名山は切つても切れない関係にあるのだという。深田久弥が「日本百名山」は著したのは1964年のことであったが、その後NHKが1994年4月から1年間にわたって「深田久弥の日本百名山」シリーズを放映。翌年発売された20巻のビデオは、各巻が平均5万本を超すヒットとなったという。

 同記事によれば、「いつの間にか百名山の完登が、中高年になって山歩きを始めた人たちの格好の目標となった。......「あといくつで達成」。これが、山小屋や山頂で顔を合わせた登山者らの定番の話題である。」と記されていた。

 もっとも、中高年の登山愛好家の間で「あといくつで達成」という挨拶が本当に定番になっているのかどうかは、もう少し疑ってみる必要がありそうだ。なぜなら、「あといくつで達成」は、百名山に含まれている山に登った時だけに交わされる挨拶だからである。百名山以外の山に登ることを楽しみにしている中高年がどのぐらい居るのかを調べない限りは、「中高年登山と百名山は切つても切れない関係にある」のかどうか自体、疑わしいように思う。

 とはいえ、百名山完登をめざす中高年が多いことも否定できない。そういう願望はどういう心理から生まれてくるものだろうか。

 一般的に言えるのは、「累積的な記録」のもつ強い強化力による説明だろう。簡単に飽きるような単純なゲームでも累積記録をめざすととたんに面白くなることがある。例えば、3人でジャンケンをしてもすぐ飽きてしまうが、通算で何勝したかを競うととたんに面白くなる。プロ野球で各種の記録がもてはやされるのも、個別に見ればごく平凡なヒットや奪三振などに累積的な価値を付加することで見どころを増やすねらいがあるからだ。

 「百名山完登をめざす」というのも、おそらくこの「累積的な記録の強化力」によって説明可能である。観光開発などによって百名山の中には個別に登っても大した感動が生まれない山も増えてきた。あるいはガスがかかって何も見えずにガッカリする場合もある。そういう場合でも、とりあえず百名山登山数が1つ増えたという達成感があれば満足して下山することができる。その記録が社会的に認知されることもまた強化力を高めている。

 もっとも百名山完登をめざすという登り方が、本当に山を楽しむ登り方になるのかどうか、考え直してみる必要もあるかもしれない。
  • 百名山以外の山を楽しむ機会を後回しにする恐れ。
  • 「何が何でも達成」を目ざすあまり無理をし、最悪の場合遭難する恐れ。
  • 景色よりも、登ったという事実だけに振り回される恐れ。
私個人としては、百名山完登にはそれほど魅力を感じていない。

 余談だが、累積と言えば、この「じぶん更新日記」の日記才人の累計得票数が、まもなく4万票を超える見込みとなった。こちらのほうは大いに励みになります。今後もご支援をよろしくお願いします。
【ちょっと思ったこと】