じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] クロタネソウ(ニゲラ)。英語では「devil-in-the-bush」と呼ばれるかと思えば「love-in-a-mist」と呼ばれるなど、両端の評価。写真は白一色なので「love-in-a-mist」のほうがピッタリかも。このほか、青、水色、紫、ピンクなど様々な色がある。



5月22日(火)

【ちょっと思ったこと】

月曜日の授業どうする?

 朝日新聞5/23記事によれば、7月20日の「海の日」と9月15日の「敬老の日」をそれぞれ第3月曜日に移して3連休を増やす祝日法改正案が今国会で成立する方向になったという。

 すでに昨年から、「成人の日」と「体育の日」が第2月曜日に変更されており、これで、年度にかかわらず1年に4回、月曜日が祝日となる可能性が大きくなった(実施は来年または再来年で調整されるという)。

 3連休が増えることは一般には歓迎されるだろうが、反面、月曜日に割り振られた授業をどうするかという別の問題が出てくる。すでに後期の授業では10月1日以降の月曜日の授業を15回分確保することが困難になっており、2月の別の曜日に補講日を設けて対応せざるを得ない状況になっている。上記の改正により、このしわ寄せは前期にも及ぶことになる。

 仮に来年度から実施されたとして、授業回数を試算してみると
  • 4月:4/8がたぶん入学式あるいはオリエンテーション日。4/29はみどりの日なので、授業は2回のみ
  • 5月:5/6が振替休日となるので、授業は3回のみ
  • 6月:授業4回
  • 7月:7/15が海の日となるので、授業は4回
となり、合計で13回しか確保できない。完全セメスター制の大学では8、9月を夏休みにしているので、おそらく7月末や8月初めに2回分の補講日を確保することになるのだろう。もっとも、学外非常勤講師の場合には兼業届けの制約上、そう簡単に別の曜日には出講できない。この問題は、今後の検討課題であるクォーター制の時間割設定にも影響を及ぼすものと思われる。

 月曜日に祝日が増えるということは、火曜日から金曜日が休日となる可能性が減ることも意味する。こちらのほうは、逆に息抜きができず、演習など課題の多い授業では学生をくたびれさせることになるかもしれない。




マヨネーズ、ドレッシングの消費量ランキング

 5/23の朝日新聞「数字で見る視る診る ちゅうごくの暮らし」によれば、マヨネーズ、ドレッシングの1世帯あたりの年間購入数量(グラム)を都道府県庁所在地別に比較すると、
  • 1位:大津市 5987グラム
  • 2位:鳥取市 5592グラム
  • ......................
  • 47位:那覇市 2896グラム
となっているという(全国平均は2896グラム)。

 マヨネーズやドレッシングは、一般には、食の洋風化が進む都会ほど消費量が多くなると考えられる。但し、上記の数値では、世帯構成員数が多いほど上位になる可能性も出てくる。1位の大津市や2位の鳥取市はどう説明すればよいのだろうか。

 このうち、鳥取市が2位であることについては「マヨネーズをあまり食べない小さな子供が少ないからでは」という指摘があるという。上記の洋風化と矛盾するようにも見えるが、小さい子供はあまりマヨネーズを食べないというのは納得できる。では、1位の大津市はどう考えればよいのだろう。琵琶湖の淡水魚にマヨネーズをかけて食べるのか、あるいは食生活と無関係で、世帯構成に特異性があるのか、どなたか情報をいただければ幸いです。




「個性輝く時代」だからこそ「森」を見る必要

 小泉内閣誕生のせいだろうか、このところ、個性的な人物が新聞紙上をにぎわすようになったような気がしてならない。そして、そういう人々の発言がサウンドバイト(sound bite)として飛び交い、ちょっとした行動が過大に取りざたされたりする。こういう、「個性」が強調される時代にあっては、ともすれば、その個人のイメージや好悪だけに振り回されて、問題の本質が見えにくくなる。「個性輝く時代」なればこそ、社会的な背景(=森)と、それに主要に関わる人間の個人責任を分けて考えてみることも必要でないかとふと思った。

 夜のニュースで、たまたま参院予算委員会の質疑の模様が伝えられていた。確かに、以前よりは面白い。しかし、ただ面白さだけを求めるなら、いくらでも娯楽番組がある。必要なことは、「森」(←森・前首相ではないぞ)を見渡した生産的な議論であろう。。個人攻撃やレトリックの応酬のために、多額の税金を使い多くの要人を長時間にわたり質疑の場にとどめておくことの非生産性こそ構造改革すべきではないか。それと、会場に何名もの委員を座らせておくのであれば、その全員に発言の権利を与えなければ意味がない。