じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

5月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

[今日の写真] サクランボの苗を植えてから2年目。今年は裏年にあたるため、2個だけしかならなかった。たぶん鳥に食べられてしまうだろう。



5月2日(水)

【思ったこと】
_10502(水)[一般]「囲碁とは何か」

 1日前の話題になるが、5/1の昼食時にNHK「スタジオパーク」を見た。その日のゲストは、囲碁の王銘◆(=王へんに宛)・本因坊。

 王・本因坊は台湾の出身。昨年、囲碁界の三大タイトルの1つの本因坊戦に初チャレンジ。一回戦では前代未聞の一日目投了(←本因坊戦は2日がかりで行う)という不名誉な敗退を喫したが、その後実力を発揮し、4勝2敗で現在の栄誉を獲得した。

 昼食時間の関係で前半だけしか見ていないが、1つ面白いと思ったのは、初心者に対する囲碁の教え方である。

 私自身がもし子供に囲碁とは何かを教えるとしたら、
  • (「眼とは何か」を説明した上で)「眼」をたくさん確保したほうが勝ち。
  • 独立した眼が2つ無いと死ぬ。
  • 相手の石を取る瞬間を除いて、自殺手は打てない。
といった説明をするだろうが、これではややこしすぎる。王・本因坊の説明はきわめて簡単なもので、

囲碁は、オセロ(←NHK番組にしては珍しく?商品名が登場)と同じ。たくさん置いたほうが勝ち。

というきわめてシンプルなものであった。オセロの場合は、縦、横、斜めのいずれかを挟まれた瞬間に石を取られてしまう(相手の石になってしまう)わけだが、囲碁というのは、基本的には、相手に全部囲まれた時に取られてしまうだけの違いにすぎない。あとは、いかに自分の石を盤面に残すかという(勝敗ルールではなく)スキルの問題になる。

 「囲碁の勝ち負け」が「眼の数」ではなく「置いた石の数」によって決まるというルールは、中国式囲碁の基本であったと記憶している。日本では、終局のあとに、取った石を相手の眼に埋めて、残った眼の数で勝ち負けを決めるが、中国式では、空いている眼のところに石を全部埋め込んで盤面を石だらけにしてから石の数を数える。交互に打つ囲碁では相手にとられない限りは盤面の石の数は同数であるから、終局処理で隙間を埋める時に交互に打ちさえすれば、基本的には、石だらけにした時の石の数の差と、日本式に数える眼の数の差は同じになる。となれば、王・本因坊の説明のほうがよっぽどシンプルで分かりやすい。ちなみに、王・本因坊によれば、「眼の数を数える」というのは、単に集計を簡単にするための手順にすぎないという。

 なるほど、この教え方ならば子供でも簡単に分かる。こういうふうに教えていたら、子供たちも今頃はもう少し囲碁に興味を持てたかもしれぬ。
【ちょっと思ったこと】

「高速道路渋滞」についての素朴な疑問

 連休も後半となった。5/3昼のNHKニュースによれば、高速道路は東京からの下り線や、九州道の久留米IC付近で数十kmを越える渋滞になっているという。このことで毎年疑問に思うのだが、
渋滞すると分かっていて何でわざわざ出てくるんやろか?

何かの祭りだったら大勢の人混みでもそれなりの風情があるが、道路の渋滞なんてイライラするし、トイレにも行かれないし、ガソリンは減るし、空気は悪いし、何も得をすることがない。偶発的な事故による渋滞ならともかく、事前の情報で確実に渋滞が予想されるところにわざわざ出かけていこうという心理がよく分からない。考えられる理由としては、
  • 裏を読む。つまり、渋滞情報を知ってみんながお出かけを控えるので結果的にガラガラとなることを期待。
  • 目的地に行くよりも、ノロノロ運転しながら車の中での会話を楽しむ。例えば、カップルで過ごすとか、英会話のカセットを聴いて勉強するとか。
  • 見栄だけのために、とりあえず「出かけた」というアリバイを作る。
かく言う私も、ぢつは現在旅行中ではあるのだが.....。