じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 時計台前のアメリカ楓の新緑。



4月25日(水)

【思ったこと】
_10425(水)[心理]象牙の塔と現場心理学(番外編) 満1歳になったチンパンジーから何を学ぶか

 R研究所のチンパンジーのアユムが満1歳になったという。チンパンジーの赤ちゃん自体はそれほど珍しくはないが、アユムの場合はちょっと違う。世界でも有数の「言葉を覚えたチンパン人」として知られるアイが母親であり、そのアイの母親の胸に抱かれたまま、言葉の勉強に参加しているからである。

 4/25の朝日新聞・文化欄でM教授は、この1年間に分かったこととして次の点を紹介しておられる。
  1. 「新生児微笑」:人間の新生児に固有なものだと思われてきたが、チンパンジーにも新生児微笑がある、ということが今回の研究からわかった。
  2. 「新生児模倣」:チンパンジーの赤ん坊でも表情の新生児模倣が確認された。
  3. 「観察学習」?:約10ヵ月齢のアユムが、コンピューターの画面に向かって母親がやっていた課題に挑戦し、出てきた選択肢の中から、正しく茶色の四角形を選んだ。それまで一度も画面に手を触れたことはなかった。母親のようすをただじっと見ていただけだ。
 この記事を見せた時に妻(←元R研究所技官)も言っていたことであるが、じつは、これらの発見には、それ自体の価値とは別に、M教授の独特の研究手法として見習うべき点がいくつかある。
  • ちょうど私がR研究所でお世話になっていた頃、M教授は京都から(人間の)乳幼児発達の第一人者を招いて共同研究をされていた。ニホンザルやアカゲザルの赤ちゃんのほか、近くの保育園にも出向いて、新生児のいろいろな反射を観察しておられた。その時の豊富な観察体験がなければ、新生児微笑や新生児模倣など気づかずに終わっていた可能性が高い。
  • アユムが生まれる前の訓練の時でもそうだったが、M教授は、隔離した装置の中だけで実験をするという手法をとらなかった。所内を散歩したり、直接対面しながら、レキシグラムが描かれたプラスティックカードを手渡ししながらテストをする場面もあった。アユムの実験については何も分からないが、アユムにとってのM教授は限りなく父親役に近いという点で、人間で言えば参与観察に近い手法であると言ってもよいのではないかと思う。M教授とアイとのコミュニケーションは、ディスプレイの映像やボタン押しといった機械的な刺激・反応ばかりではない。スキンシップの中で交わされたノンバーバルなやりとりが不可欠の要素となっている。M教授が「よしっ」と言語的に誉めることは、餌などとは比べものにならないほどの好子(強化子)になっているはずだ。
 さて、それでは、M教授の研究成果からは何が分かるのだろうか。周知のようにこの種の研究では、一頭もしくは数頭の特定のチンパンジーしか対象にすることができない。それゆえ、どのように堅実な成果が得られたとしても、その基本は、

人間に固有なものだと思われていた能力や反応が、少なくとも一例、人間以外の種においても存在することが確認された。

というように、「定説」を覆す意外性を示すことにある。決して、チンパンジーという種のどの個体でもできるということを示したわけではないし、チンパンジー一般に見られる行動法則を明らかにしたわけでもない。このことに関しては、98年3月25日の日記「サーカスの曲芸と「天才」チンパンジーのちがい」で考えを述べたことがある。合わせてご参照いただければ幸いです。



 ここで98年3月25日に挙げた実験例でちょっと補足をしておきたい。「青い色の5本の歯ブラシ」を見せらた時、「青」、「5」、「歯ブラシ」という3つのボタンを押すことができると述べたが、その際の押す順序としては
  1. 青色の→5本の→歯ブラシ
  2. 青色の→歯ブラシ→5本
  3. 5本の→歯ブラシ→青色の
  4. 5本の→青色の→歯ブラシ
  5. 歯ブラシ→青色の→5本の
  6. 歯ブラシ→5本の→青色の
という6通りの順序が考えられる。日本語では、上記のうち1、2、4がごく自然な順序となる。英語では「5本の」の前に「青色の」が来ることはない。ロシア語などでは、確か、生格を使った別の順序が可能であったと思ったが、忘れてしまった。
 だいぶ昔の霊長類学関係の研究会で、この種の順序に関して、アイがいつも同じ順番でキーを押すことが話題になった。その時、私は、一頭のチンパンジーだけでそのような事実が示されたとしても
  • チンパンジー、あるいは人間を含めて、色と数と名称について普遍的な順序があるのか
  • アイに実施した訓練の歴史が順序を固定させる影響を及ぼしたのか
は結論できないであろうと発言したことがあった。この種の研究を、単一事例研究で立証することは原理的に不可能であろうと思う。



 元の話題に戻るが、朝日新聞記事では最後に
アイとアユムの1年から見えてきたものを、野生チンパンジーでの知見と重ね合わせてみると、どちらの場面でも、親やおとなと一緒に暮らす中で、そのようすを一長い時間をかけてじっと見守りながら学んでいく子どもの姿が見えてくる。
.....【中略】.....
 チンパンジーに「学校」という制度はないが、まちがいなく「教育」はある。その教育の基本は、正しい手本を親が示すことであり、子どもからの自主的な働きかけをいつも寛容に受けとめることだといえる。
という記述があった。これはM教授独特のリップサービスであって、研究の成果から導き出された結論ではない。新聞記事自体にあった見出し「親が手本を示す」が教育というのも、あくまで野生のチンパンジーの世界における「教育」の特徴を述べているにすぎない。

チンパンジーでさえ、あのようにしているのだから、人間はなおさら.....

というレトリックは一般に強い説得効果をもたらすが、しょせんはイソップの寓話と同じタイプのアナロジーであって、学術的な見解とは言い難い。じっさい、なんでもチンパンジーの真似をしていたら、子殺しもイジメも正当化されてしまうのだ。

 他の種の行動から多様な適応戦略のヒントを得ることには価値があるとしても、やはり人間世界の問題は人間世界を直視する中で解決の道を探ることしかできない。他種の生命体から教えを受けることのできない人間という種は、宇宙では孤独な存在であると言えよう。
【ちょっと思ったこと】
【スクラップブック】
  • 岡山商工会議所が2月に行った調査(県内外のモニター210名、電子メイル経由)によれば、岡山県内の土産品の知名度ランキングは、1位「きびだんご」、2位「備前焼」、3位「大手まんぢゅう」。