じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
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農学部本館前の櫂の木が今年も花をつけている。左がオスの木。右がメスの木。 |
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【思ったこと】 _10418(水)[教育]21世紀の大学教育(4)「女子学生亡国論」と「女子大生亡国論」 4/19の朝日新聞によれば、「女子学生亡国論」の流行語を生んだ国文学者・早大名誉教授の暉峻(てるおか)康隆氏が2日に死去していたことが18日分かったという。 「女子学生亡国論」はこちらのサイトによれば、1961年に「レジャーブーム」、「地球は青かった」、「巨人・大鵬・卵焼き」とともに話題となった流行語であり、同氏が女性雑誌で「目的もなく大学に進学する女子学生を皮肉った」[4/19朝日新聞記事]ことから議論を呼んだという。当時9歳であった私には、その当時の社会的背景を知る力はなかったが、ガガーリンの言葉や、「巨人・大鵬・卵焼き」(あるいはそれを捩った「柏戸・南海・ハムエッグ」)についてはそれなりの記憶がある。 「女子学生亡国論」というのは、私は、「一億総白痴化」、「駅弁大学」、「クチコミ」、「恐妻」などで知られる大宅壮一氏の造語の1つであったと思いこんでいた。ネットでいくつか検索した限りでは、大宅氏の造語は「女子大生亡国論」、暉峻氏のほうが「女子学生亡国論」であるように見えるが、確証はつかめなかった。どなたか情報をいただければ幸いです。 こちらによると、暉峻氏のコメントは1961年11月に『週刊新潮』で「文学部は女子学生に占領されて、いまや花嫁学校化している」とコメントされたものであり、その後『婦人公論』などの女性誌を中心に議論が活発化したという。 40年後のいま、大学生の男女比はどうなっているのだろうか。ちょうど身近なところで、昨年度の岡山大学の資料がこちらに掲載されていた。それよれば、2000年5月1日現在の岡山大学部学部学生数は10,793名、そのうち女性は4,081名となっている。また大学院生は2,514名、うち女性は642名であった。学部別に見ると(カッコ内が女性の内数)、
当時の議論はよく分からないのだが、雇用機会の不均等の状況のもとで「単に女性の比率が増えたから亡国」という主張をする人がいれば、いまの時代なら女性差別、あるいはセクハラ発言に進展しかねないゆゆしき問題となる。 いっぽう、朝日新聞記事にあった「目的もなく大学に進学する女子学生を皮肉った」という趣旨であるならば、いまの時代は、男女を問わず、さらに深刻化しているといってよいだろう。そればかりか、目的もなく、単に「社会人になるのがイヤだ」という理由だけで大学院進学を希望する男女学生も増えているという。 1961年当時であれば「目的もなく大学に進学する」ことは悪であり、その誤りは学生自身が正すべきものであると考えられていたのかもしれない。ところがいまや少子化により一部の私学では全入、努力を怠れば定員割れによる赤字倒産を招きかねない時代となった。また、社会機構の複雑化、経済の先行きへの不透明化などの外部要因によって、初めから明確な目的を持って大学に入ること自体が難しくなってきた。 そういう中で大学の役割は 明確な目的をもった学生を教育する場 から 不明瞭な志望動機や期待をもって入学してきた学生の将来の可能性を広げ、目的を具体化させる場 へと変貌しつつある。それに伴って、大学の授業内容についても、学生に(知的)満足度を与える努力が求められるようになり、「カリキュラムには大学の公益性を示す社会的契約という側面があり、教員の学術的関心のみから展開するものではない」という考えが定着するようになってきた。 さらにそれらの授業内容について、学生による授業評価も重要視されるようになってきた。少し更新が古いようだが、民間団体「大学の授業を考える会」ホームページの中で、奥島・早稲田大学総長が、 ≪学生による授業評価制度≫を早稲田大学でも導入したいと私は考えている。「学生のための早稲田」を実現するためには必要な制度だと思っている。あとは早稲田大学教師の「決意」にかかっている。とコメントしておられた。暉峻氏が同じ大学の名誉教授であられたことを考えると、ずいぶんと様変わりしたものである。 |
【ちょっと思ったこと】
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