じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 洋蘭の花がまた一つ咲いた(手前)。花屋の処分品で買ったもので、ラベルには「Soph. Arizona」という名前がついていた。おそらく「ソフロカトレア」の一種ではないかと思われる。



3月18日(日)

【思ったこと】
_10318(日)[教育]文系大学の合格を「保証」する学習ソフト

 3/18の朝日新聞に「文系受験の合格保証」という全面広告があった。概要は
  • ソフト代金10万円台
  • 必要なソフト科目を完全習熟して合格画面を出し、3学部以上を受験する
  • 受験した学部がすべて不合格になれば受講料を全額返還する
  • 但し、東大、京大、一橋、一部の私大は合格保証から除く。
というものであった。

 この広告どっかで見たことがあると思って過去日記を検索したところ昨年の5/14の日記で、同じうたい文句の資格取得講座があったことを思い出した。たぶん同じ業者がやっているのだろう。

 昨年の日記にも書いたが、この講座は、「努力してもしなくても不合格なら返還」ではなく「習熟トレーニングをクリアした上で不合格ならば返還」となっている。広告によれば、1日の学習時間は平日で平均3時間(土、日、祝は予備日)、夏休みは6時間となっている。通信添削の場合には提出を怠ってもペナルティは無いが、こちらは必要時間分は絶対に確保しなければならないので、結構ハードな受験勉強になるのではないかと思う。立場上あまり無責任なことは言えないが、これだけ頑張れば、このソフトであれ、参考書中心の自学自習であれ、大概の大学は合格できるのではなかろうか。

 いずれにせよ、用意されたマニュアル通りに勉強を重ねれば、そこそこ希望する大学には入ることができる。それをもって必要悪と考えるのも悪くはないが、滅多にない試練の機会を他人任せのレールの上を走るだけで終わらせてしまってよいものだろうか。

 2000年3/15の日記で引用したように、和田秀樹氏は『受験勉強は子どもを救う』(河出書房新社)の中で
...入試の本質とは、単に学力を見るものではなく、自分の能力を把握したり、出題傾向から何を勉強すればよいかと読み取って分析したり、そこから生まれた計画をきちんと実行して自分を律したりといった能力を見るものである[185〜186頁]。
と述べている。つまり、受験はその気になれば、ベンチャービジネス、市場調査、世界旅行計画.....などと同じで、自分自身の情報収集力やセルフマネジメント力を磨く最大のチャンスでもあるのだ。それを活かさずに、ただ与えられたメニューをこなすだけに終わってしまうのはいかにも惜しい。また、そういう形で大学に入ってきた者が、果たして、卒論研究のテーマや方法を主体的に選べるかどうか、少々心もとない気がする。
【思ったこと(2)】
_10318(日)[心理]「行動随伴性に基づく人間理解」(16)「賃金成果主義」の見直し

 3/19の朝日新聞によれば、富士通は4月から、成果主義に基づく賃金・人事制度の見直しを行うことになったという。記事から要点を読み取ると、
  • 成果主義:仕事の目標を決め、その達成度に応じて処遇と賃金を決める方法。
    半年ごとに社員一人一人が目標を決め、その達成度を上司が五段階評価し、賞与や給与、昇格に反映させる
  • 弊害:短期的な目標ばかりでヒット商品が生まれない。
    • 失敗を恐れるあまり長期間にわたる高い目標に挑戦しなくなったため、ヒット商品が生まれなくなった。
    • 納入した商品のアフターケアなどの地味な通常業務がおろそかになり、トラブルが続発して顧客に逃げられる。
    • 目標達成で手いっぱいになり、問題が起きても他人に押しつけようとする。
  • 今後の見直し
    • 短期的な成果だけでなく、長期的なプロジェクトや、結果的に失敗に終わった業務でも、どれだけ熱意をもって取り組んだかも考慮に入れるプロセスを重視。
    • 目標を達成した社員だから昇格ではなく、そのポストに適任かどうかも判断材料にする。
 記事の最後では、秋草社長が「成果主義は一つの文化で、アメリカのような社会ならともかく、日本社会で根付かせるのは難しかった。.....【今後は】日本型成果主義を定着させたい。年功序列制に逆戻りすることは絶対にあり得ない。」と語っていた。

 この事例、成果主義を導入する企業が増えるなかで、非常に大きな教訓になるかと思う。さらに、大学改革における研究業績評価のあり方を考える上でも重要な示唆を与えている。

 記事の中で社長は「成果主義」をアメリカ型、日本型というように分けたがっているようだが、単純に文化の違いとして位置づけてよいものか、もう少し考慮すべき点があるように思う。

 例えば、いま行われている大相撲を見ればよい。大相撲は完全な成果主義だけで番付が決まるが、アメリカ型とは言えまい。将棋や囲碁の順位戦も同様である。もちろん、大相撲の場合でも、勝ちにこだわって、はたき込みなどの技を多用する弊害が無いとは言えないし、(プロではまず不可能だが)将棋や囲碁でハメ手(相手を罠にはめるようなダマシ手、理論的には最善ではない)で勝とうとする場合もあるが、おおむねはうまく機能しているといってよいだろう。

 結局のところ、「成果主義」導入の成否は、
  • どういうスケールの行動を評価の対象とするか
  • 最終結果ではなく、プロセス(努力の量と質)をいかに評価するか
  • 何をもって強化するか
にかかっていると言える。「アメリカ型」、「日本型」は、本質的な区別ではないと思う。また、ここでは「成果主義」と呼ばれているが、少なくとも、行動分析で言われているところの「ペイ・フォー・パフォーマンス」や「目的指向システムデザイン」はもっとキメの細かいものであり、かつ長期的な視野に立っていたハズだ。

 形だけの「成果主義」でしばしば陥りやすいのは
  • 客観的・数量的に把握しやすい行動指標だけを評価対象として安直に限定してしまう。
  • 努力のプロセス(=努力の量と質)の把握を怠る。
という2点だろう。この弊害は、ひょっとすると大学改革における研究業績評価にも及ぶ恐れがある。要するに、「レフェリーつきの論文を何本書いたか」だけで採用や昇任を決めてしまうような弊害だ。これが浸透してくると、まさに、富士通のケースで挙げられていたような弊害が出てくる。上記の箇条書き部分を「大学バージョン」に読み替えるならば、
  • 失敗を恐れるあまり長期間にわたる高い研究目標に挑戦しなくなったため、画期的な発明や、パラダイム転換をはかるような、エポックメイキングな研究が行われにくくなる。→心理学であれば、具体的結果が得られやすい実験研究や質問紙調査研究、あるいは外国で行われた研究の追試を行うなどの無難な研究ばかりにはまってしまう。
  • 教育活動や委員会活動がおろそかになり、トラブルが続発して学生や他の委員から不評をかう。教授会などにはちっとも出席・発言せず、学生の質問にも応じず、ひたすら個人の研究に埋没する。
  • 研究目標達成で手いっぱいになり、問題が起きても他人に押しつけようとする。→教員どうしのコミュニケーションが不足。カリキュラム改革や学生の生活指導に無関心な利己的教員が増える恐れ。
ということになるかと思う。もちろん、だからと言って評価をやめてしまえということにはならない。結局は富士通が目ざしている見直しと同じ方向、つまり
  • 短期的な成果だけでなく、長期的なプロジェクトや、結果的に失敗に終わった研究でも、そこでどれだけ緻密な計画が立てられていたか、どこに失敗の原因があったのかを考慮に入れるプロセスを重視。
  • 論文を大量生産した教員だから昇格ではなく、そのポストに適任かどうかも判断材料にする。
ということになるのだろう。あとは、公正さをどう保証していくかが問題だが、審査のプロセスをできる限り公開し、独立機関によるチェック体制を完備すれば、人脈や学閥に左右されるような不公正人事は避けられるかと思う。
【ちょっと思ったこと】

びっくりドンキー

 3/18の朝日新聞によれば、ハンバーグレストラン「びっくりドンキー」と類似した「BIKKURIDONKEY.COM」のドメイン名の登録をめぐる紛争で、世界知的所有権機関(WIPO)は17日までに、会社側の敗訴の裁定を下したという。訴えられていたのは米国バージニア州の男性ということで、敗訴理由は「同社を営業妨害する商業用目的に使用しているとの主張が証明できなかったため、男性の悪意を認定できない」というものだという。

 「びっくりドンキー」と言えば正式社名の「アレフ」についても、オ○ム真○教が同じ名前の団体を名乗り、「びっくり」させられたことがあった。このレストランは私のアパートの近くにもあり、子どもたちにも人気がある。災難続きにくじけず頑張ってもらいたいものだ。