じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
ナンキンハゼの木に集結しているヒヨドリ。人気が無くなると手前のキャベツ畑に群がっている。青虫を食べているのだろうか。 |
【思ったこと】 _10314(水)[心理]「高齢者介護の実践と行動分析学からの提案」(その3):お年寄りが自己中心的性格であることは間違っているのだろうか 3/11に慶應義塾大学(三田)で行われた公開講座参加の感想の続き。特別養護老人ホームの介護施設職員から行われた事例報告の2件目について取り上げることにしたい。まず事例を要約すると..... ◆◆「思うようにならないと適応困難になる入居者への援助」◆◆
この事例に関して私がまず思ったのは、掻痒感へのコントロールだろう。施設側では外用薬を塗る時間を1日2回とし統一対応として定時での対応を図るが、出血するまで掻き壊してしまい要求が多くなるという。専門家ではないので無責任な発言になってしまうかもしれないが、少なくとも画一的な対症療法に終始するのは間違っていると思う。皮膚科の専門医の指導のもとに、薬を変えるとか、薬湯を使うとか、下着の繊維を変えてみるとか、もっと多様な試みがあってよいはずだ。皮膚科の専門医側のこれまでの対応にも、画一的な薬の処方をするなどの問題があったのではないか。 余談だが、私個人もけっこう皮膚が弱く、年に何回か、腕や足の関節付近が接触性皮膚炎になることがあった。ところが、何かのテレビ番組をヒントに、石けんを使う回数を減らしてみたところ、以後、皮膚炎が全く起こらなくなった。たぶん、石けんで擦りすぎていたことに一因があったようだ。ちょっとした試みが予想外の好結果をもたらすこともある。 次に、「昼夜マット(おむつ)対応」が本当に必要であるかどうかという問題。介護記録には「マット交換時、非協力的で荒々しい言動、ベッド柵を投げ飛ばし周囲の利用者より苦情がある」など、交換に伴う不適応行動がいくつか見受けられる。食事自立、歩行も車椅子にて自立という人に、なぜ24時間おむつを着用させる必要があるのだろうか。トイレで排泄してもらうための訓練は試みられていないのであろうか。 もう1つ、この事例報告には何カ所か、対象者が「自己中心的」であるとの記述があった。しかし、そもそもお年寄りにとって「自己中心的」とはどういう行動のことを言うのだろうか。入所後の不自由についていろいろと要求を出すことは、よりよい老後の実現にとって不可欠であり、決して「自己中心」とは言えまい。その要求に応えられないとしたら、施設側のほうが自己中心であるかもしれない。 もともとお年寄りはわがままだと言われるし、和田秀樹氏(1/28の日記とその翌日分参照)などは、“「わがままな老人」でいいじゃないか”と繰り返し主張されている。少なくとも施設側の都合、既存の倫理観念だけで「自己中心は悪」と決めつけるべきではなかろう。お年寄りの「自己中心的性格」を「協調的性格」に「改善」するのではなく、お年寄りの「自己中心的」行動を最大限に活かせるように施設側で対応すべきではないか。 明日以降に続く。 |
【ちょっと思ったこと】
FF世代 息子がFF9をやっとクリアした模様。わざわざエンディング部分をビデオに録画してあり夕食時に私も眺めてみたが、臨場感あふれる映像には驚かされる。息子がFF4を始めたのは確か小1の春から夏頃ではなかったかと思う。その息子もまもなく中学を卒業することになった。まさにFFで育った世代と言える。 ちなみに私が中3から高校に入る頃と言えば、もっぱら自宅の庭で花や野菜を育ててみたり、望遠鏡で星を覗いたり、日帰りで箱根や丹沢の山登りに行っていた頃だったと思う。タバコを吸い始めた同級生も居たが私は逆に反発して全く吸わなかった。麻雀を覚えたのもこのころだったか。 我が家のホワイトデー 夕刻、妻と娘がどこやらに買い物に。戻ってきてから「はい、ホワイトデー!」といって包みを手渡すので、おやっ、私が貰うのでは立場が逆ではないかと思ったら、「ホワイトデーのプレゼントを自分で買ってきたから、お金ちょうだい」という意味だったのだ。なかなか合理的な考えだ。 |
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