じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 農学部農場の梅。黄砂現象激しく、全体に茶色っぽくなっている。



3月7日(水)

【思ったこと】
_10307(水)[一般]事故の要因、原因、責任

 3/8朝のNHKニュースによれば、漁業実習船えひめ丸が米原潜グリーンビルに衝突され沈没した事故をめぐる査問会議で、グリフィス少将は事故が起こった要因として次の5つを挙げたという(いずれも長谷川のよる聞き取り)。
  1. 民間人への対応に追われていて、ソナー担当者の人数が不足していた。
  2. モニターが故障していた。
  3. 司令室に民間人16人が居たため迅速な対応ができなかった。
  4. 日程が遅れていたために、十分な確認作業が行われなかった。
  5. ワドル前艦長は人に助言を求めないタイプであり、部下が意見を言いにくい状態にあった。
 このニュースで注目しなければならないのは、アナウンサーが「事故の原因」と言いかけたのを「要因」と言い直した点である。査問会議の席上、もしくは報道用語として、要因と原因はどのように区別されているのだろうか。

一太郎11の付録についていたドクター・マウス(『岩波国語辞典』によれば「要因」は

主な原因。また、物事の成立に必要な因子。ファクター。「事故の―」

と説明されていた。いっぽう原因のほうは

ある物事や状態をひき起こすもと(として働くこと)。

とある。心理学では、一般に因果的説明が困難である場合が多く、それ自体が論争になることもある。そこでとりあえず「要因」あるいは「因子」と呼んで遠慮しておき、因果関係を分析する段階で初めて「原因」に言い換える習慣?があるように思うのだがいかがだろうか。

 元の話に戻るが、事故の要因は上記の5点だけだろうか。事故を引き起こすすべての要因を挙げるとするならば、民間人を乗せなければならなかった事情も究明されなければならないし、究極的には、そもそも潜水艦が存在すること自体も問題にされなければならない。「潜水艦なんていう危険な乗り物が無ければ事故なんて起こらなかったはずだ」というのは決して的はずれの議論ではない。

 次に、客観的に原因を挙げることと、再発防止のために必要な情報を収集することは異なる点にも注意しなければならない。例えば、大津波が発生し、海岸近くの住人が波にのみこまれて行方不明になるという事故があったとする。この場合、行方不明の第一原因は津波自体にあるが、それを防止することは人間の力では不可能。この場合は、人間が能動的に働きかけることのできる範囲で、具体的には警報の伝達や避難路の確保などについて、「こういうことをちゃんとしていれば事故が避けられたはずだ」という原因を探るしかない。

 最後に責任と原因の違いについて。事故責任というのは、事故原因とは全く別の次元で議論されなければならない。「責任」とは、一般には、あらかじめ定められた「しなければならないこと」を怠った場合に、個人に罰的結果を付加することを意味する。「しなければならないこと」であっても、それをすることが100人中99人にとって困難な状況であれば責任は軽減されるし、逆に100人中99人ができることを怠れば重大な責任として認定される。そのほうが、個人の努力を強化し、社会全体として事故の抑止に効果を上げるからに他ならない。さらに、99年5月19日の日記に書いたように、「それをしなくても追いつめられる状況が無く、かつそれをしたら得をするような状況」があった場合には、故意犯としてさらに重い罰的結果が付加される。

 本日伝えられた限りでは、グリフィス少将の掲げた要因はどちらかと言えば事故の再発防止を想定した議論であって、個人責任をただす議論とは別次元であるような印象を受けた。過失行為を公的に罰することが当たり前とされている日本と違って、米国では、過失は刑事罰の対象にならないと聞いたことがある。査問会議の今後の進展に注目したい。
【ちょっと思ったこと】

土俵に上がらない太田知事

 3/8の朝日新聞によれば、大阪府の太田房江知事が大相撲春場所の優勝力士に対する土俵上での知事賞授与を希望していた問題で、日本相撲協会の時津風理事長は7日、太田知事と会談し、昨年同様の「女人禁制の伝統を守るために拒絶」という意向を伝えた。太田知事はこれを承諾し、自らの授与を辞退することになった。

 太田知事ご自身も言っておられたと記憶しているが、この問題の一番のポイントは「大阪府知事が土俵上で表彰する」という公務に関して、知事が女性であるという理由でそれが拒絶された点にある。決して、太田氏個人が「女性である私も土俵に上がってみたい」と個人的に希望していたわけではない。

 「女人禁制の伝統を守る」ことが100%悪いかどうかは議論の残るところであろうが、授与される側から注文をつけられた以上は、大阪府としては府知事賞授与を取りやめにするのが筋というものだろう。

 他のWeb日記でも論じられていたが、国技の大相撲と言えどもプロスポーツの1つにすぎない。観客が集まらなければ消滅するだけのこと。内閣総理大臣や知事賞などを受けずに完全自立の道を探っていくのも1つの道かと思う。

 それにしても、10分程度の懇談であっさり承諾してしまうとはちょっと消極的すぎる。問題を先送りするばかりで、八方美人的に対応しているだけではないか。田中眞紀子氏が総理大臣になったら、こんなことでは済まされないというのは私の勝手な思いこみだろうか。