じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
娘のひな人形を飾った。室内が狭く、おまけに観葉植物だらけでジャングルのようになっているため、今年も人形の置き場所はテレビの上となった。 |
【思ったこと】 _10226(月)[心理]象牙の塔とアクション・リサーチ(9)分析することの意味 今回は、包括的な有効性と分析の意味の関係について考えてみたいと思う。 ここでいう「包括的」とは、例えば、「Aさんを家庭教師に雇う」ことが男の子の教育にとってプラスになるかどうかというような議論をすることを言う。2/25の日記で述べたように、日常生活場面における「実験的な試み」を通じて、包括的な有効性はかなりの程度で検証できる。しかし、2/24の日記で述べたように、それだけでは、
では、研究を目的としないならば立ち入って「分析」する必要はないのだろうか。「うまくいっているならそれでエエじゃないか」と言いきれるのだろうか。 これはおそらく、問題が何によって要請されているか、検討対象にどういう性質があるかによって変わってくる。一概に必要かどうかは判断できないと思う。 例えば、Aさんが男の子の受験を最後まで面倒をみてくれる状況にあるならば、「うまくいっているならそれでエエじゃないか」という議論も成り立つだろう。ところがもし、男の子が中2になった時にAさんが卒業・就職して家庭教師を辞めなければならなくなることが確定しているとするならば、分析的な検討はどうしても必要になってくる。すなわち、上記を分析的に検討することにより「Aさんが自作した教材が有効であった」と確認された場合には、後任のBさんにも同じような教材を用意してもらうように依頼できる。同様に「自習計画の指導が有効であった」と確認された場合は、Bさんには、教材に手間をかけるよりも、子どもが計画的に自習できるように時間配分を指導してもらったほうが勉強が進むはずだ。 このほか、Aさんの雇用が確保されている場合でも、分析をすることでさらに有効性を高められる可能性がある。上記で言えば、Aさんの教え方の無駄な部分を取り除き、有効な部分を増やすことができるし、万が一、中途で困難な事態が生まれた時にも、指導がうまくいかなくなった原因を速やかに把握することができる。 今回は家庭教師雇用を例としたが、同じことは、薬の投与や心理療法など、あらゆる場面にあてはめることができる。
次回は、とりあえず第一部の最終回として、教育活動と実験的方法の関係について話を進めていく予定。 |
【ちょっと思ったこと】
変わるゲームセンターとパチンコ屋 2/27朝のNHK「情報BOX」によれば、全国のゲームセンターの数は1994年には5万1520店舗から1999年には38672店舗と25%も減少。家庭用ゲーム機の普及に対抗すべく、生き残りをかけて新たな店作りが模索されているという。番組で紹介された事例としては
私が大学院生〜オーバードクターの頃は今とは逆で、学部生の頃毎日通っていた馴染みのパチンコ屋がゲームセンターに改装され残念に思った時代であった。比較的操作が単純で変化の少ないパチンコに比べると、多彩なアーケードゲームは若者には魅力があった。カップルやグループで楽しめるメリットもあった。このままではパチンコ屋は完全に姿を消すのではないかと思われたほどであったが、店数は減っても「国民ゲーム機」としてしっかりと根をおろし続けている点はまことに興味深い。 私個人はゲームセンターで遊んだことは一度も無いしパチンコ屋にも20年以上足を運んだことが無いのであくまで想像の域を出ないが、
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