じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 東京・八王子の大学セミナー・ハウスの宿舎。25年ほど前、大学院生の時に訪れたことがあるが、その時は丹沢山地や富士山がいたるところから眺められたと記憶している。今では木が茂り、富士山を眺められるポイントを捜すのが一苦労となった。



1月15日(月)

【ちょっと思ったこと】

風邪でダウン

 月曜日は1コマ目に講義、午後は倉敷まで非常勤講師、その後戻ってから会議2件が予定されていたのだが、朝から体が重く、時折、痛みが走る。午前中にとりあえず重要な用件を片づけて家に戻り体温を測ってみたところ38度以上。脈拍も80を超えていた。これはアカンと、非常勤講師先に休講の依頼をした上でベッドに寝込む。体調の悪い時というのはいくらでも寝られるものだ。

 土日に出張した東京八王子のセミナー・ハウスは、室内の暖房は行き届いているものの、会場を移動する際には氷点下の雑木林の中を通らなければならない。トイレや風呂を利用する場合にも、半屋外の通路を通らなければならず体を冷やしてしまった。やはり無理は禁物だ。

 早めに養生したおかげで16日朝にはだいぶ快復。とはいえ水曜日に長時間会議、木曜と金曜には授業や審査など重要な予定が詰まっているので、あと一日、できるだけ横になるようにしたいと思う。




比較は御法度?

 1/16の朝日新聞・文化欄に「ニッポンのことば第1部何が起きているか(7)日本語力 検定ばやりでも比較はご法度?」という見出しの記事(山本克哉記者)があった。「日本語運用能力検定」と「語彙力検定」という2つの日本語試験が昨年から新たに始まった。この種の試験としては他に、「日本語文章能力検定」と「日本語力測定試験」、「話しことば検定」、また27年目を迎えた「漢字鑑定」も知られている。

 この記事で面白いと思ったのは、一部の検定試験では平均点、最低点、最高点が公表されず、受験者個人の分野別の能力のバランスだけが示されるという点だ。相対評価の結果、もし「あなたの日本語力は不十分」というレッテルを貼られたらどうするかという問題が背後にあるということだが、ヘタに平均点などを公表すると検定試験そのものの質が問われる、ということを恐れているようにも見える。

 記事では、最後に、
他人との比較を避けようとする配慮が、そこにはうかがえる。だが、競争が激化する中で、試験はいっそう「進化」していくように見える。受験者たちの「満足」と「安心」に、落ち着く先はあるのだろうか。
と結んでいたが、これは、「相対評価」一般を考える上で非常に興味深い指摘だと思う。先日、ラジオで小学校の通知表についても「相対評価」についての議論があると聞いた。「◎」や「○」をつけて絶対評価をしても、親は子供にどう頑張れと言ってよいのか分からない。けっきょくは「◎」の数を競うばかりであり、いっそのこと、元の5段階相対評価のほうが分かりやすい、というのだ。5段階評価ならば「次は算数が3から4になるように頑張りなさい」と言えるためだという。

 検定試験がほんらい自己の努力の成果を測るためにあるならば相対評価は不要。にも関わらず、相対評価を求めたがるのは何故だろう。必ずしも上位の優越感に浸ろうということではなさそうだ。おそらく、上位でも下位でもよいからとにかく何らかの形で集団の中で自分を位置づけること、それによって複雑で不安定な社会に少しでも拠り所を求めようとしているタメかもしれない。