じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] この冬最初の水仙の花を見つけた。



1月8日(月)

【ちょっと思ったこと】

成人式その後

 1/9の朝日新聞(大阪本社)に、西日本各地で開かれた成人式の様子が伝えられていた。式がうまくいかなかった事例としては、
  • 高知市:橋本・高知県知事の話の途中で十数人が『帰れ帰れ』の手拍子を打ちながら連呼。退出せず。
  • 高松市:増田市長の祝辞の最中にクラッカー、ロビーでけんか、新聞記者が暴行受ける。最前列に座った男性らが一升瓶をラッパ飲み
いっぽう、少なくとも形だけはうまくいった例としては
  • 鯖江市:事前に「速やかにホールに入り、無駄口をせずに式典に参加する」などを誓約させた
  • 大阪市浪速区:会場を娯楽施設に変更、若手漫才師をゲストに
  • 西宮市:出席者自らが式典を企画
 記事の冒頭では、会場でのマナーを守らない新成人が「相次いだ」と記されていたが、例えば参加者3000人の会場で15人が騒いだとしても比率から言えば200人に1人にすぎない。暴力行為や「威力業務妨害」行為に対しては個人を特定して厳罰に処するのが当然であろうと思うけれど、問題行為ばかりを抜き出して若者全体の特徴であるかのように報じるとしたらそっちのほうにも問題がある。

 私がむしろ関心があるのは、会場内で問題行為があった時に他の参加者がどういう態度をとったかということだ。私語が多く祝辞が聞き取れないということは、聞き手にとっての権利侵害でもある。妨害行為それ自体が悪いことは言うまでもないが、それは「式典でのルールを守らないゆえに悪い」のではなく、「他の人の聞く権利を侵害しているゆえに悪い」と考えていかなければ問題は解決しない。これは、一部の大学で見られる授業中の私語の問題にも共通している。受講生は、自分の聞く権利を奪っている連中に対してもっと腹を立てるべきである。

 式典の祝辞を聞きたいという人が誰もいなかったらどうなるか。その場合でも「式は式、けじめをつけなければ」と主張することもできるけれども、聞く価値のないムダ話のために時間を拘束することの是非は別の形で評価されなければならない。一方的に話を聞かせるのではなく、参加者全員にアンケート用紙を配って、「祝辞の内容は価値があったかどうか」を評価させ、その結果を開示するぐらいのことはやってもよいかと思う。
【思ったこと】
_10108(月)[心理]論理療法と行動分析(1)

 毎週月曜日に「生きがい論の行動分析」というテーマの授業を開講している。この授業のシラバスによれば「論理療法」について紹介する時間が1〜2コマ分確保されており、その内容を取り上げないと「シラバス記載違反」になってしまう。ところが、他のテーマが長引いたことなどから、どうやら充分に話をする時間がとれそうもない見込みになってきた。そこで、このさい、Web日記を利用して「論理療法」についての私の考えを補足しておきたいと思う。

 初めにお断りしておくが、そもそも私は心理療法の専門家ではないし、治療場面に同席したことも無論ない。また、「論理療法」に関する日本語の解説書や邦訳書には目を通したことがあるものの、創始者であるアルバート・エリスの原著には全くふれていない。それゆえ、ここで私ができることは、行動随伴性やルール支配行動と関連のありそうな部分だけを抜き出して比較検討を加えることに限られる。授業の内容も、それについて教えるというよりも、それについて学ぶための材料を提供するというレベルにとどまるものである。

 数ある心理療法の中で論理療法を取り上げたのは、それが行動分析でいうルール支配と密接な関係をもっていると考えたからである。行動分析学の一部の研究者(例えばMalott)たちは、ルールを弁別刺激ではなく嫌子の確立操作であると主張している。いっぽう、論理療法を説く人々は、ビリーフという概念を用いて複雑な心理現象を説明しようとする。

 さてでこの「論理療法」だが、「論理」という言葉を聞いただけで「どうせ論理で説得するのだろう。人間は理屈だけで生きていけるもんか」といった拒否反応が起こってきそうな気もする。しかし、英語でこれに対応しているのは「logical」ではなく「rational」。またエリス自身、この呼称を少なくとも2回修正しており、
  • 当初はラショナル・セラピイ(RT、rational therapy)
  • 1961年にエリスはRTをRET(rational-emotive therapy)と改称
  • 1993年にエリスはRETをREBT(rational emotive behavior therapy)と改称
という変遷をたどっている(文献【3】、文献番号については下記参照)。

 我が国で「rational」を「合理」と訳さなかったことにも過去の経緯がある。かつては「合理療法」と呼ばれた時もあったが、それでは18世紀の「合理主義」の考え方との混同を避けるために、「論理療法」とよばれることになったそうだ(文献番号【2】)。日本での紹介者は國分康孝氏であり、氏を中心として、いくつかの本が刊行されている。この連載では主として以下の文献を引用していきたい。すでに引用したものを含め、簡略化のために「【 】」つきの文献番号を付しておく。
  • 【1】『論理療法〜自己説得のサイコセラピイ』(エリス & ハーパー、國分・伊藤訳、1981年、川島書店)
  • 【2】『論理療法にまなぶ』(日本学生相談学会編、1989年、川島書店)
  • 【3】『論理療法入門〜その理論と実際〜』(ドライデン著、國分康孝・國分久子・國分留志共訳、1998年、川島書店)
  • 【4】『自己変革の心理学〜論理療法入門〜』(伊藤順康、講談社現代新書、1990年、ISBN4061490117)
このほか、上記書籍のまえがきなどで、『論理療法の理論と実際』(誠信書房)、『自己発見の心理学』(講談社)、『負けない自分になる心理学』(三笠書房)、『人間性主義心理療法』(サイエンス社)などが入門書や専門書として紹介されている。  最後に、論理療法と行動分析との関係であるが、文献【2】によれば、エリスは、「もっとも好きな心理学者は」という質問に対して、構成主義者(コンストラクティヴィスト)としても名高いジョージ・ケリーの名をあげるとともに、スキナーの考えにも学ぶところ大だと回答したという。

 もうひとつ、行動分析との関係で誤解がないようにあらかじめ記しておくが、論理療法ではしばしば「ABC」の枠組みが重要とされる。じつは行動分析でも一部のテキストで「ABC」という言葉が使われるが、これらの略語の意味は全く違っている。
  • 行動分析の場合は「Antecedent(先行因あるいは直前条件)、Behavior(行動)、Consequence(結果)」の「ABC」
  • 論理療法のABCは「Activating events(出来事)、 Belief(ビリーフ)、Consequence(結果)」の「ABC」。
しかも同じ「Consequence(結果)」であっても、行動分析の場合は強化子の出現や消失などの外的事象の変化を意味するが、論理療法ではCの部分に「悩み」、ビリーフの結果としての感情および行動が含まれることになるので注意が必要である。